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脱マネジメント型経営において、従業員満足度が高いのはいいことではない

私たちの事業部は、脱マネジメント型経営を進める上で、働き方改革を行い、職場環境を整え、仕事で効率的に成果を出せる工夫をしてきました。

具体的には、出社義務の廃止、リモートワーク化、クラウドの活用、各人の業務への裁量権の可能な限りの最大化を行いました。

すると、内向きには働きやすさの向上、外向きには顧客に提供する価値の向上が起こりました。その結果として売上は増離職は減

そして同時に起こったことは、目に見えて従業員満足度が上がったということでした。それは改革がうまくいった証拠だと思い、素直にうれしく思っていました。

しかし、そのような改善が定着して当たり前になっていくプロセスの中で、従業員が満足することって果たして素朴に喜んでいいことなのか? という疑問が自分の中ではふつふつと沸いてきました。

■この程度の満足でいいの?

たとえば、「職場環境」「やりがい」という項目で満足度が高いと「ん? 本当にこんなものでいいと思うの?」と思うのです。

手前みそで恐縮ですが、たしかに現在の職場環境は先進的で、世間一般の職場と比べればかなり働きやすい環境です。なので、特に他から移ってきた人は、職場環境に満足感を抱きやすいと思います。

やりがいということでも、各々の職分に非常に高い裁量は与えられており、押しつけの命令はありません。また、成果を出すための必要な支援も声を上げれば簡単に得られやすい環境です。

しかし、これらでまだ十分だとは思ってはいないし、そもそも既にある環境が120%活かせているとは言えない状況でもあります。

つまり、まだまだ理想に向かう途上であり、その理想もうんと遠いところにあります。なのに、満足することはいいのだろうか? という疑問です。

■相対的な満足と絶対的満足

いまの人手不足のビジネス環境において、現実問題としては満足度を高めることの最大のインパクトは、離職率の低下でしょう。優秀な従業員の確保、スキルを育てるまでの教育には大きなコストがかかるため、次々に辞められるのはきついわけです。

なので、現実問題高いというのは、他の職場と比べてどうかということになります。労働市場の中での競争を前提しているので、他社より相対的に満足度が高ければ、残ってくれる確率は上がるということです。それはそれで素晴らしいことで、満足度をはかる意味もあるというものです。

しかしそれは経営層にとって都合のよい満足で、従業員にとっては一方的に与えられた満足です。

脱マネジメントの僕らは他と比べるのではなく、全員で理想の実現を目指しているのです。理想を満たして、はじめて満足を感じるはずです。

他社と比べてまあまあイケていても、理想との距離で考えるとまだまだ遠いとなると、満足度が高いということの意味はガラっと変わります。「もっと良くなる」「こんなもんじゃない」という意識が共有できていないという意味になってしまうのです。

理想を目指すなら、僕らは現状に不満でいっぱいが正解。その不満は経営層が解決してくれるわけではないので、他社にうつればなんとかなる問題ではありません。自分たちで達成するものだから、不満が募れば募るほど、むしろ離職せずに、同士とともに突っ走るということになるはずです。

■不満足だけど幸せ

古来、「足るを知る」というのはたしかに美徳とされてきました。一杯のかけそば、いっぱいのお水に感謝して満足することは、現代においても簡単に幸福を感じる秘訣でもあります。

ただ、理想に向かって走る中で感じる幸福というのもあると僕は思っています。それは理想とはほど遠い現状には不満たらたらだけど、理想に向かって進めているという感覚がもたらす幸福です。

満足だから幸せなのではなく、不満足だけど幸せ。それが脱マネジメント型組織における従業員満足のあり方なのではないかと思うのです。

それは例えば、下のような企業の発展のサイクルを描くのではなでしょうか。

高い理想→現状に不満→解決しにかかる→解決する感覚が得られて幸せ→でもまだまだ現状には不満→解決しにかかる→解決する感覚が得られて幸せ→(以下略)

上記のような形が、脱マネジメント型組織には求められるのだろうなと最近よく考えています。

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