中年の危機とどう取り組むか?(その2):子供の頃の夢、若い頃の「積み残し」に注目し、放課後の課外活動として始めてみる。
前回は中年の危機の兆候、症状、まずは意識しておくべき対応策について述べた。
具体的には、衝動的に会社を辞めたり異性に狂ったりせずに、長期戦を覚悟してじっくりと中年以降の人生のテーマを模索して行こうと言う事であった。
さて、何だか第2回目を書く気分になったので、今回は中年の危機、45歳定年時代のセカンドキャリア模索等について、より具体的に「どう模索すれば良いのか」を書いてみたい。
○手短で良質な参考書
まずはいきなりだが、100ページ切る短い内容ながら、非常に端的に中年の危機との付き合い方がまとめられている本があるのでこちらから紹介する。
著者はキリスト教の牧師さんであるが、宗教色はそうないので宗教に興味がない方も読みやすいように思う。他にも心理学者のユングや河合隼雄等が本格的な中年の危機関連の著書を書いていたりするが分量的にも大著であり、心理学に興味のない方にはしんどいとも思われる。上記の本がそれら著書からの知見とご本人の体験を上手くまとめて「中年の危機の航海図」としてよくまとめており、まずはこの本辺りから読まれると良いと思う。エッセンスをまとめると、以下のような感じである。
*中年の危機の症状:人生に疑問を感じるようになる。
「自分の人生、このままでいいのか、もっと別の、もっと素晴らしい人生も可能だったのではないか」と感じるようになったり、より成功している周囲の人と比べてしまい自分の人生に否定的になる等が典型的な中年の危機の症状。また、出世やお金、仕事や家庭、配偶者や異性等で「先が見えてしまう」ことに不安や焦りが湧いて来る、「こんなところで終わりたくない」と感じる等も典型的な症状。
これらは典型的な中年の危機の症状であり、自分だけではない、比較的誰にでも起きる事柄であり、ある程度研究もされているし対処法も確立されていると言う事を理解する、深呼吸するのがまず最初のステップ。
*一方で、衝動的に全く違う進路に全振りするのは多くの場合現実的ではない。
上記の葛藤の結果、すべてを投げ出して全く別の事をしたくなるのも典型的な中年の危機の症状。しかしながら、(前回の衝動的な脱サラからの飲食店、全く異なる分野の起業等が成功しづらい等の例の通りで)多くの場合衝動的に全く違う事に全振りするのは良い解ではない。
*対応法
著者が勧めている内容としては、以下を挙げている。
持ち物の整理をして過去の棚卸しと将来への余白を作る
情報の選別をして「自分なりの価値観」を築く
「これまで自分が見落としてきたもの」「無視してきたもの」「これまでの自分の歩みと対極の価値」に、まずは仕事の外の趣味等の形でできる所から光を当ててみる
「自分なりのオリジナルの境地」を求めて「個性化」していく
...等等。これらは各々妥当感がある内容であり、自身も非常に参考になった。詳細に興味のある方は値段も安いし100ページ切る内容で簡単に読み終えられるので、一読をお勧めする。
○中年以降のテーマ替えの模索の際の、その他のお勧め事項
上記から派生して、私自身が中年の危機の際の取り組みとして行ったことで皆さんにもお勧めできる事柄が幾つかあるので、以下ではそれを紹介してみたい。
○子供の頃の夢、積み残し等を棚卸しする。
第一には、「子供の頃からの夢、職業人人生全般での積み残し等を棚卸しする」事かなと感じている。
「自分の人生、このままでいいのか、もっと別の、もっと素晴らしい人生も可能だったのではないか」と言う気持ちになる背景として、「子供の頃から夢だった事、やりたかった事等が大人になり現実的に仕事等に当たる過程で置き去りにならざるを得ない場合が多い、積み残しが発生している場合が多い」と言うのはあると思われる。
例えば自身の場合はコンピュータサイエンス、プログラミングがそれに当たる。
子供の頃、近所の友達が当時のNECのPC88/9801、プログラミング言語はBASICで(懐かしいですなあ 笑)「ドラクエっぽいバトルゲーム」を作って披露してくれて、それをやりながら「自分もこんなの作れたらなあ」「攻撃力ー防御力がダメージになるのだろうが、毎回微妙に異なる乱数はどうやってやれば良いのだろうか」等と思ってはいたが、当時それを学ぶ機会がなく積み残しになっている事に気づいた。
学生時代の卒論はITと経営、インターネットがビジネスに与える影響等について書いていたが、自身の学科は文系学部でありコードが書けない、プログラミングが出来ない立場でこう言う事を論じてもどうも地に足が付いていない感じになるなと言う違和感は残っていた。
社会人後は周囲は帰国子女ばかりで自分が英語もファイナンスも大した事が無かったのでVBAでアナリストの各種Excel作業を自動化する所にジュニアとしての付加価値、生き残り戦略を求めた。その後もRやSQL等使って仕事でも活用、Pythonも独学で学び始める等していた。昔の本を整理してみても、積読の本にはシストレ、統計、クオンツ系の分野が非常に多い事を感じる事になった。にも関わらず、自身はこの分野できちんとした教育を受けておらず、独学で中途半端な状態になっている事に気づいた。
これが自身の「積み残し」であり、NUSでCS修士に挑戦する流れに繋がった(詳細は以下参照)。
この過程で、遂に子供の頃の「ドラクエ風バトルゲーム」の積み残しはIT5001で実際にそれ風のバトルゲームを作る事で解消した。また、積読になっていた内容の過半(ベイズ統計、シストレ作成等)も片付ける事が出来た。
実際には、それらを片付けたからと言って次の仕事がゲームプログラマーになる訳でもないし、クオンツ運用者や機械学習エンジニアになる訳でもなさそうである。それでも、積み残しを成仏させていくと言うか片付けて行くことで、自然と次のテーマが見えて来た、中年の危機のわだかまりも解消して行ったようにも感じている。
○今までと全然違う内容の「積み残し」を、まずは仕事の放課後の課外活動の形から開始してみる。
上記の「積み残し」とも関連するが、その「積み残し」は恐らく今までの仕事や専門とは全く違う分野のはずである。だからこそ「積み残し」になるのであり、自身の場合は文系から理系への跳躍が必要で日常業務の中での独学でやるには距離のあり過ぎる跳躍だからこそコンピュータサイエンスが積み残しになっていたのである。大体同じ分野であれば仕事で実現すれば良いと言う事になるし、行き詰まらないし、そもそも中年の危機になっていないであろう。だからこそ衝動的に飲食店を始めてしまったり、インドに修行に行ってしまったりしがちな訳である。
また、上記の参考書でも「これまで自分が見落としてきたもの」「無視してきたもの」「これまでの自分の歩みと対極の価値」に光を当ててみる、とある。中年以降のテーマを考える際にも、「全く違う専門が増える事に価値がある、その組み合わせの妙が自分なりのオリジナリティを出せるポイントになる、中年以降のセカンドキャリアを面白い方向に向けていく原動力になる」と言う面もあるように思う。この辺は元リクルートの藤原和博氏が「三角形理論」として分かりやすくまとめている(以下サイト等参照)。
自身的にも、例えば過去のヘッジファンド時代の棚卸しとしてCAIA ( Chartered Alternative Investment Analyst)の資格を取る等したものの、類似分野の資格等を取得してもそう人生がドライヴすると言う事はなかった。(まあ過去の棚卸し、ヘッジファンド生活に区切りを付ける引退試合、儀式的な色合いとして自分の気分的な所で全く無駄だとは言わないけれども。)
一方で、前回も書いたが衝動的に新しい分野に全振りするのは心身共に弱っているし、中年の危機は良いタイミングではない。現実的に日々の仕事や家庭を回して行く必要もある。キャリア移行には数年単位で時間がかかる事を覚悟しておいた方が良い事もある。日々の仕事やキャッシュフローの手配も程々にやりつつ、長期戦で徐々に模索、移行させて行く事になる。
なので、まずは仕事の放課後の課外活動としてその「積み残し」を始めてみる事をお勧めする。自身の場合で言えば、NUSの社会人聴講生講座、Graduate Certificateからまずは仕事の傍少しづつ始めてみる、と言うのがそれである。
因みに、自身の場合はコンピュータサイエンスの他にもワインの国際資格のWSETのLevel 2まで学ぶ等もしてみた。学生の頃からバーテンダーやお酒の世界というのには憧れがあったからである。しかしこちらはLevel 2まで取得した時点で自身的にそれ以上深める、自分が生産者やソムリエさんになる程の熱はないと自覚した。いち消費者としてはLevel 2位の知識で十分であった事もありそこで止めたりもした。衝動的に仕事辞めてワイン関係の仕事に転向しなくて良かったと感じている。
このように、興味があり実際始めてみるが思った程のパッション、熱量が出ないので途中で止める、と言った事が出来るのも、衝動的に全振りしないで放課後の課外活動から始める良さである。中年の危機の間にはこうした試行錯誤は伴うものと考えておいた方が良いように思う。
○留意点:放課後の活動は「課外活動」だが、出来るだけ公的な色合いを帯びた形で、人間関係が発生する形で、本格的に。
上記の話で留意点はこちらである。自身の中年の危機の試行錯誤を振り返るに、放課後の活動は「課外活動」ではあり、「いきなり全振りしてはいけない」。しかし、出来るだけ公的な色合いを帯びた形で本格的に始めた方が良いと個人的に感じている。加えて、その全く異なる分野での新たな人間関係が発生する形で始めた方が良いと考えている。
例えば、自身のケースで言えば、放課後のその文脈でプログラミングスクールやオンライン独学の類でプログラミングの勉強をしたのは、あまり生産的ではなかったように感じている。NUS修士の総括の所でも述べたが、プログラミングスクールや独学の類では土台のしっかりしたBody of knowledgeが中々付かず頭打ちであったし、周囲にも本気度が伝わらない、履歴書等に書いても評価対象にならない等で結局はあまり人生がドライヴしてくれる感じがなかった。近道のようで遠回りになってしまったなと感じている。
加えて、独学の決定的な欠点は、「新たな人間関係が発生しない」点であるとも思う。新たな人間関係が発生する、今まで接していなかった類の人、コミュニティの人との関係が始まる所から人生がドライヴして行くという面はあるように思う。
従って、放課後の課外活動として始めるにせよ、その際には出来る限り公的な色合いのある「本格的な」形で、かつ「新たなコミュニティや分野の人との人間関係が発生する」形でやる事をお勧めする。
自身の場合ではその辺のオンラインスクールではなく、あくまでシンガポール当地のフラッグシップの大学が開く、修士過程への単位振替等の道もあるGraduate Certificateに行き、実際の修士課程の教官や生徒と接する機会を持つようにしてから物事が動き出した面がある。他の分野の場合でもこの点は意識しておくと良いかも知れない。
長くなってきたので、今回はこの位にしたい。他にも何か書く事が浮かんだ際には続きを書くかも知れない。
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