11年超在住したシンガポールから日本に帰国する事に相成りました。

NUS卒業と並んで大きな話で、そろそろ開示して差し支えない状況になったので今回は題名の件について報告したい。特に情報価値のある内容ではなく、ご報告と、後は個人の感慨等を述べた徒然とした内容である。

○日本帰国の経緯

端的には、シンガポール駐在員であった配偶者(日本人)が日本帰国する事になった、と言う至極月並みな話であり、それだけと言えばそれだけである。

パートナーについては自身よりも1周り近く歳下であり、キャリア的にも既に四十路佳境の中年の自身よりも彼女の方が大事な局面にある。この点は彼女本人もそうだが、夫の自身の方がより認識している。有り体に言えば「パートナーの方がスペック的にも、キャリア双六的にも、から騒ぎを繰り返した挙句あぼーん残念参加賞で四十路を回った自身よりも客観的に見て出世しそう」と言う事は自身としてよく理解している(あーあ言ってしまった、しかし事実だ)。

自身については昨年1年で修士の学生をしながら次の進路を模索していた。NUSの修士卒業見込みと言う学歴パワーはそれなりの手応えはあり、修士入学以前は全く面接の案内も来なかったデータサイエンティストや仮想通貨関連の仕事等で面接がぽつぽつと入るようにはなってはいた。

しかしながら決定的に「凄く素晴らしい、次のキャリアとして最適だ」と思えるような仕事がシンガポールでは中々見つからない日々が続いていた。下の記事でも書いたが、特に「金融専門家としてはシニアだがコンピュータサイエンス専門家としては修士出たて位」と言う所ですぽっとはまる仕事が中々見つかりづらい状況にあった。

そうした中でパートナー側がシンガポール駐在が長くなりつつあり、日本帰任の可能性が徐々に高まっていた。

更には昨年には子供も産まれた事もあり、今後は子供の教育をどこでやるかと言う事について考える必要もある。

そうした中で、今後についてどうしようかと言う話題について、パートナーとは頻繁に話し合うようになった。

○日本帰国の決め手

最終的な日本帰国決定の決め手としては、以下の通りである。

*コロナ禍である事もあり、EP(Employment Pass)での駐在であったパートナーがシンガポール現地で良い仕事を得る難易度が非常に高かった一方で、彼女の東京帰任後の仕事がかねてから興味のあった非常に良いものに決まった事。また、数年前にシンガポールで出会い再婚したパートナーにとってはシンガポールは「駐在の赴任先のひとつ」であり、一生この地でやって行くと言った位置付けではない面もあった事。

*夫の自身側も東京で「NUSでの理転修士後の職場として適切な、金融とデータサイエンスの交差点的な仕事」を得られた事。年齢的に日本で比較的良い条件での転職が出来るぎりぎり上限に来ているとも思われた事。シンガポールで物凄く高所得かつ内容的にも理想的な、パートナーのキャリアや上述のシンガポールの位置付けをうっちゃってまでシンガポール在住を続けようぜと言う程の仕事が見つからなかった以上、パートナー側のキャリアを大事にした方が良いとも感じた事。

*既にシンガポール在住が11年になりNUSをこの度卒業してコンピュータサイエンス修士を得た自身にせよ、駐在が長くなっていたパートナーにせよ、シンガポールでの生活については、「名残惜しさはある、あと数年位この快適でASEANの中心で成長のダイナミズムのあるシンガポールで暮らしたい、しかしある程度やり切った感もある」と言った局面に来ていた事(この辺は以下も参照)。

*加えて、パートナーは30代、中年言っている自身でもまだ40代半ば位であり「仕事、キャリアとかどうでも良いからとにかくシンガポールに住む事優先で」と言った職選びをするには早かった事。例えば双方とも既に50代以降位に差し掛かっており「あと1社、1キャリア位で仕事は終了、後は続けるにしてもまったり程々に」位の段階であれば、「キャリアとかどうでも良いからとにかくシンガポールに住む事優先で何でも良いから仕事を探す」と言う選択肢もあったかも知れない。しかし長期的な家族のハッピー充実最大化と言う事を考えた場合、互いにキャリア面で良いステップを踏んでいくと言う事は優先順位の上位にしようと言う結論になった事。

*双方の実家の親が相応に高齢者入りしており、何処かのタイミングで日本に帰るのが良いかもなと感じる局面に来ていた事。

*子供についても、両親が日本人である事から子供も日本人としてのアイデンティティはきちんとさせたいと考えており、仮にあと数年シンガポールにいる事が出来たにせよどの道何処かの段階で日本に帰る事になっていたであろう事。そうであれば理想的なキャリアステップでの日本帰国が夫婦とも可能な今のタイミングという流れになって行った事。

*その他、全体的な流れ的に「そろそろ日本に帰る時だ」と言う流れに自然になって行った、そうした自然の流れに沿うのが良いのだろうなと感じた事。

○しかし勿論名残惜しい面も

しかし名残惜しい面、最後まで迷った面も勿論結構ある。例えば以下。

*アジアのセンター、都会の街さにせっかく田舎から上京さしたのに、地方都市の実家へ帰る感覚。この感覚はやはり否めない。シンガポールの方が成長しているし、外資系企業についても大概はアジア本社は今や東京ではなく香港かシンガポールであり、昨今の香港の情勢等もあり更に重心がシンガポールに移ろうとしている時でもある。金融にせよテクノロジーにせよホットで先端の話題が多いし、活力がある。日本については勿論自分の故郷であるし、良い場所だし愛着もあるにせよ、今やアジアの中心地とは言い難い面、閉塞感がある事は否めない。この点は最後まで悩ましかった。

*教育。子供の教育、特にバイリンガル教育とか国際的な環境での教育、STEM教育のレベルの高さと言った観点ではシンガポールは素晴らしいものがあり、教育インフラについては日本とは比べるべくもない。日本に戻って教育をどうすれば良いかと言うのは今後の課題だと感じている。

*その他気候や風土、外人としての居心地の良さ他、数々のシンガポールの良い面。勤務地の都心と南国リゾート的雰囲気がコンパクトに両立する環境、日本の寒い冬もないし災害リスクもない、日本のような満員電車もない、政府も非常に効率的&効果的に運営されていてストレスがないし税金もずっと安い、治安も良い、国や人も外人慣れしており日本人への差別などもなく居心地も良く、しかも日本食レストランやどんどんドンキやスーパー銭湯も充実して日本的なものも比較的容易に享受できる。ここまで整った、日本人にとり過ごしやすい海外は多分世界的にも非常に少ないと思う。そこを去ることの名残惜しさはやはりある。

*海外での自身の冒険のひと幕が終わるのだな、結局海外でピュアインターナショナル路線で活躍すると言う目標は果たせずだったなと言う残念感。

...その他、11年も住んでいれば現地に愛着も湧くし、まあ色々ある。シンガポールには大変に世話になったし、自身にとり第二のホームタウンとなった面もある。名残惜しくも大変に感謝している。

○まとめ

まあ何だろうか、要約すればあともう少しシンガポールにいたい気持ちはあった、名残惜しさもある、しかし宴会やカクテルパーティで最後まで居るのは粋ではない、少し名残惜しい位のタイミングで帰るのが往々にして良かったりする気もするし、以下の「アルケミスト」の本的な、「自然なご縁、流れ」に沿う先に自身や家族の自然体の幸せがあるのかなと感じた、我々的にはこのタイミングで日本に戻るのが自然な流れとなって行った、と言った所かと思う。

思えば11年前、社会人生活も10年が見えて来たアラサーの頃である。1回目の結婚はうまく行かず離婚し、リーマンショック後の後遺症で勤めた会社はクビになり、湘南でのぷー太郎生活を経て、名実共に裸一貫、心機一転でシンガポールにやって来たのであった。そうして自身の社会人ライフ第2幕、社会人10年目−20年目の冒険をシンガポールで行った訳である。

その間、仕事も浮き沈みあり、中年の危機になり、転職もし、NUSで理転して修士を取った。それと同時に、男女市場では長らくすったもんだのから騒ぎをし、ようやく再婚し、子供が出来た。そうしているうちに中年の危機もこなす事が出来て中年〜壮年に向けた公私双方のテーマもようやく見えて来た。特に大成功したと言う訳ではないし、シンガポールが名残惜しい面も大いにあるが、中々に充実した三十路前半〜四十路前半ライフだったと思う。

そうした諸々を経て戻る東京の生活は、自身にとっては正に人生の新たなチャプター、元の場所に戻るにせよ各種状況も変化した後であり新天地での新生活と言った感じではある。今はドラクエ1のような一人冒険ではなく、パートナーと子供と言うチームでの冒険となる事もある。20代の当時とはまた違った趣や新鮮さがあるだろうと思うし、案外楽しみにしている。

当初書いた通りで、特に情報価値もオチもなく、報告と後は徒然なる感慨で終わってしまったが、これをお読みの方で東京でもしかしたらお会いするかたもあられるかも知れない。引き続き何卒宜しくお願い申し上げます。

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