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再出発

ずっとやってきた音楽にカバーをつける仕事について

LPなどのジャケット制作はメーカーが模索しながら作っていた時期を経て、制作担当者やミュージシャンが発掘した音楽のグラフィックに適したデザイナーやイラストレーターが登場してきてLPジャケットが華やかになり、1970頃から海外のジャケットに刺激されて個性的な作品も多くなって行き、80年代後半に音楽のデジタルデータ化が実現。完全にCD移行するまではLP、カセット、CDが混在し、LPで作られたジャケットイメージをアレンジしながら、CDでブックレットという編集技能が必要になってきた。LPの頃は表面のイメージと裏面の解説はほぼ別な作業でデザイナーも別だったが、これはA式という厚紙にデザインした薄い紙を貼る方式だったからで、E式という厚紙を組み立てるだけの方式が出てイメージ作りが豪華になった段階でCDに移行したので、予めCDにはある程度オリジナルジャケットではそれなりの仕様を全うする期待感があったように思う。

メーカーのデザイナーの仕事は、クリエイティブのほとんどが海外版の日本版仕様の置き換え作業だったし、デザイナーは雑誌作りも経験がないので、そのタイミングでジャケット作りのための事務所をたまたま作ったので、僕のような複合的なデザイナーに相談してきた。CDが今のような120mmサイズになるまでには若干の準備期間が必要になり、それまでは30cmLPのジャケットや17cmのシングル盤を作ってた。ハードウエアの普及、つまりCDデッキやオーディオの普及で後押しされる形でCDが大量に生産された。多分LP時期よりも多くのミュージシャンが登場し、音楽だけで食っていけるシステムが出来上がってくる。メーカーがミュージシャンに補助金を出して音楽に専念させるような仕組み。これが良かったのか悪かったのは、今でもミュージシャンでやっている人と辞めた人では意見は違うだろう。CDが売れてきてミュージシャンとその事務所が強くなり、デザイナー選びはクリエイティブ優先でメーカーではなくなっていった。

90年代売れに売れたCDは100万ヒットアルバムがたくさん出て、この時代はある種のバブルだった。数百のバンドがデビューして、消えた。その間にたくさんのジャケットを作った。特にデビュー盤は多く手がけた。

それが、10年もしないうちにデータは配信が主体になっていくが、ただCD依存やライブ会場での販売という形でCDは残るが、ジャケットの制作の規模は小さくなっていく。LP時代よりも予算が小さくなっていったのは仕方ないが、ネットでのビジュアルは紙に印刷されたアートではなく、画像なので予めドライだ。どんどんイメージを打ち出していくこと自体に積極的でなくなってきていくのを感じた。配信システムは日進月歩だが、ビジュアル作り自体はそれほど形が変わらないまま20年。専門に関わってきたデザイナーとしては、ジャケットがなくなるというのが残念という気持ちよりも、別な形でも音楽のビジュアル化ができると思っていたので、作る側も見る側にも気持ちがなくなっていっていることに失望した。

例えば、使われた写真の再使用に関してはカメラマンに許可をとり、少ないギャラでも支払っていけば、それほど問題起きないというのは再使用する側は知っているけど、デザイナーにはまず許可を取ってきたというのは30年で数回だ。メーカー自体もなくなっていくし、今までデータ保存してきたが、ジャケット本体があれば、もう必要なしと感じた。

でも、もう辞めた、とは考えない。逆にこれから新しい方式で作りたい。ミュージシャンからの漠然とした要望はもう辞めだ。音楽が新たに期待できる分野も感じている。デザインは紙に印刷して仕上がる立体物として仕上げられる分野に期待できる。印刷を追求していく。方式には拘らない。手作業と印刷をミックした方式で100枚程度なら全てオリジナル作品でもやってみたい。


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