【ほぼ0】小林賢太郎から学んだこと

【ほぼ0】#49です。

昨日、ラーメンズの小林賢太郎氏が芸能界引退を表明しました。

同氏の著書であるこの本は、本当におすすめです。

何度も何度も読み返しています。

間違いなく一時代を築いた人だと思うのですが、ずっと露出し続けて大爆笑を生み出している他の芸人さんとは違う唯一無二の素晴らしさがあります。

同氏はプレイヤーとしてでなく裏方として今後は活動していくようですが、その同氏の決断から学ぶことも沢山あります。

作る人とそれを表現する人は、同じである必要がない、ということ。

今は自分で作って自分で表現する人が多いですが、昔はむしろその点を完全に分けているケースが多かった。

有名な漫才師でも、作家がいて、自分たちでネタを書かないというパターンが多かったはずです。

それが、なぜか今は、作り手と演者が同じというケースが主流。

これって、実は不幸なことなのです。

演者という活動は、高度の身体能力が要求されるものであり、加齢による肉体的衰えという避けられない現実との折り合いが極めてつきにくいものです。

特にコントとなれば、非日常をあたかも日常的に演じる必要があるわけで、普通の生活以上に体力を消耗します。

ネタを書くための才能と、演じるための才能は、別なのです。これを、もっと強く意識したほうがよい。

芸人を引退して作家になる人というのは、小林氏以外にも割と多くいますし、それは多くの場合において極めて合理的なのです。

脚本、監督、主演をすべて一人でやるという作品もありますが、「だからこそできること」がある一方で「だからこそできないこと」も確実にあるということです。

分業、今一度、その意識を各分野において強く持つべきでしょう。

オンラインによる交流が容易となった今、合理的な分業はさらに低コスト化できるようになりました。パソコンとネット環境さえあれば分業することができる。

分業の質を上げるためには、コミュニケーション環境の質を向上させなくてはなりません。自分一人で完結させないということは、コミュニケーションを突き詰めるということです。

お笑いコンビにおいて「ネタを書いていない方」という取り上げ方をされる文脈がありますが、ネタを書くという行為とそれを演じるという行為を分けて考えれば、何ら不思議のないことなのです。むしろ自分の書いたネタを文句も言わずに演じてくれる相方というのは、貴重な存在のはずです。

ネタを書くもの同士で組んでしまうと、演じる手前の段階でかなりのコストが生じてしまいます。作るという段階の先に演じるという行為が来るはずで、まずは手前の段階をいかにしてクリアするかという問題があるのです。

人それぞれ、役割がある。得意なこと、苦手なことがある。

そして、どうせやるなら、得意なことをやったほうがよい。苦手なことは、得意なこととしてやってくれる人に任せたほうがよいのです。

苦手を克服しよう、という息苦しい生き方は、もう、やめましょう。得意なことを、たとえその得意さが相対的なものであったとしても、そのことに打ち込むほうが、自分にとっても他の人にとっても幸せなことなのです。

もう一つ、小林賢太郎から学んだことがあります。

それは、

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