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【ほぼ0】主張と人格は分けて考える

文章の本質までほぼ0円で読めるマガジン【ほぼ0】の#9です。

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例えば堀江貴文氏のことが好きな人もいれば嫌いな人もいるわけです。

私がどちらであるか、ということは本件の本質とは無関係ですので言及しませんが、私が特に気になるのは、

この人のことが嫌いだからこの人の主張内容も嫌い、という思考回路の人があまりにも多いということです。

そこは、逆なはずです。

特定人物の各主張があって、それらの全てが嫌いだから、その結果としてその人物のことも嫌い、というのであればまだ理解できます。

しかし、この人のことが嫌いだからその人の主張内容も嫌い、という思考回路は、何ら合理的でない、極めて感情的なものに過ぎません。

感情的でも良いだろう、という批判はあって良いです。合理的である必要がない、感情レベルで(生理的レベルで)無理、というのであれば、敢えてそこから前に進む必要がないのかもしれません。

ですが、感情的に無理だからといって全てを拒絶していては、何も生産的な話はできないのです。

主張と人格は、分けて考える。それができない人は、建設的な議論に参加できず、ずっと感情レベルを超えることなく、新しい世界を知ることなくその場で足踏みすることになります。

「そうは言ってもやはり感情が先行してしまう」という人は、次のワードを何度も心の中で唱えることによってその感情を乗り越えてください。

そのワードは、

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