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【ほぼ0】やる気「不要」のタスク消化術

【ほぼ0】#36です。

やる気を出すための方法、コツといったテーマが好まれることが多いですが、そもそも論として「仕事などの作業を行うためにやる気が必要なのか」という疑問点から解消すべきです。

やる気がなくても淡々と作業できればそれで良いわけです。モチベーション、動機、熱意などなど、過程としての作業を適正に行うことができてさえいれば、それらは問われないはずです。

熱意があるけど過程が不十分な場合と熱意がないけど過程が十分な場合であれば、当然ながら後者のほうが(主観的価値はさておき)社会的価値は大きいわけです。

やる気のある人を募集する、という求人広告を見かけることもありますが、それは「ブラックな企業体質に耐えうる人」という意味に読み替えるべきです。

やる気があれば上手くいく、というわけではありません。やる気は、あくまでも、

「過程に従事するという状態をある程度継続させるために一定程度有用」

というものに過ぎないのです。

やる気など不要です。やる気を出す方法を考えること自体がナンセンスです。

やる気などなくて良い、ということをまずは強く意識しましょう。

やる気の出ない状態を受け入れるのです。

とはいうものの、実際に「やるべきことをやれない」状態に困ることはあるわけで、確実に期限は迫りくるのに取り掛かることができない、という困りごとを解決する必要性は決してなくならないわけです。

では、やる気を出すという方法ではない、その問題を解決するための心構えとはどういったものか。

それは、

「とりあえず始めてしまえばむしろ止めることのほうが面倒くさくなる」

という真実を強く意識することなのです。

一度始めたことを急に止める、短時間で止めるというのは、意外と面倒くさいものです。

子どもの頃にゲームをしている最中に親から「風呂に入れ」と言われてもなかなか入りたくない、という経験を「あるある」として語る人が多いように、楽しいことであれば当然ながら「急に止める」といったことが主観的にも難しくなります。

客観的にも難しくなります。なぜなら、何かしらの作業を行う際にはそのための準備をしているはずで、その準備したものを片付けるのはさらに手間のかかる作業だからです。

楽しくない作業であったとしても、この理屈は当てはまります。せっかく準備して取り掛かった作業を短時間で止めるのは、主観的にも客観的にも極めて面倒くさいことなのです。

すなわち、やる気がなくともとりあえず着手してしまえば、後は良い意味での惰性で割とそれなりに進めることができる、ということです。

やる気不要、とにかく、少しで構わないので着手する、ただしすぐにでも止めて良いというルールにしておく。

こうすることによって、結果的に「止めるのが面倒くさい」というゾーンに入ることができ、そこそこ前に進むことができるようになるのです。

で、一番の問題は、

そこそこ前に進んだけど本当に主観的にも客観的にも止めたくなってしまった

という場合の対処法です。

この場合の対処法はシンプルですが、常に強く意識しておくこともまた必要なものです。

その極めてシンプルであると同時に極めて強く意識しておくことが必要となる心構え、

それは、

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