【ほぼ0】本当に両立しないか?を熟考する

【ほぼ0】#46です。

何かのお祝いとしてご馳走してもらった食事というものは、忘れないものです。

忘れないものです、と言っておきながら冷静に思うことは、忘れてしまったことは当然ながら「忘れた」ということを認識できないわけで、だからこそ「忘れないものだ」と言っているだけという可能性が高い、、

記憶など、本当に曖昧なものです。

10年以上前、某試験に合格した際に、食事をご馳走してもらいました。

高そうなお鮨。味も最高。途中の「海鮮丼タイム」にて、どの海鮮を丼にするか選ぶように店側から指示されます。

3種類ほどの中から選ぶのですが、どれにするか迷っていたところ、ご馳走してくれた人が迷わず「3種類すべてをまんべんなく載せてくれ」と即答。

まだまだ純粋であった当時の私は、この即答に度肝を抜かれました。

選べ、と言われた際に、そのすべてを選べないかと打診してみる。そのような生き方をしてこなかった私は「何事も前提を疑わなくてはいけない」ということを学んだものです。

もちろん、そのような回答をしたところで「駄目です、1つだけを選んでください」と言われることはあり得ます。しかし、駄目だと言われたからとて、特段の不利益がないのです。

まずは、オファーを出してみるという発想。断られたとしても、直ちに不利益が生じないということの確認。

積極的に、貪欲に、オファーを出すべきです。

そして、選択することが前提となった場面において、複数を選択できる可能性を常に模索すること。先方にとって不利益の小さい内容であれば、複数を選択できる可能性も十分にあります。

とにかく、前提を疑った上で、試してみること。失敗したとしても、受ける不利益などないに等しい。もちろん、交渉回数が限られている場合には別の考慮も必要ですが、そのようなケースのほうが稀です。

選択を迫られるケース以外にも、「それらは両立しないのか?」と疑ってかかることが大切な場合があります。

例えば、「努力する」ことと「楽しむ」こと。

楽しくやりたいから努力せずにほどほどにする、という考え方もありそうですが、「努力する」ことと「楽しむ」ことは両立します。

楽しい、という状態は直ちに「らくをする」ということを意味しません。一生懸命に取り組むことは直ちに「辛い」ということを意味しません。

別の例。

「かっこいい」と「かわいい」は対極の意味と捉えられがちですが、完全に両立します。相反する性質ではありません。

他にも例は山ほどありますが、大切なのは「自分が当然に両立しないと思っていたことを改めて見直す」という姿勢そのものです。

自身の凝り固まった価値観を根底から覆すことを恐れない、ということです。

これは、年齢を重ねれば重ねるほど、難しくなりがちです。

価値観は、時間が経てば経つほど、動きにくくなります。

それでは、これからの時代に、主観的幸福度を上げることができないのです。

変化できるように「柔らかく」しておくことが、主観的幸福度を上げるためにとても大切なことなのです。

とはいうものの、「柔らかくしておこう」と思うだけで「柔らかく」なれば苦労しないわけで、実際はそこまで簡単な話でもありません。

そこで、身体的な「ある工夫」によって思考を柔軟化するというちょっとした方法をお教えします。

ぜひ、実践してみてください。

その方法とは、

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