第6回1 小林正忠さん (楽天)

改めまして、小林正忠と申します
今日はですね自我作古っていうのと、1秒を大切に生きるって、最後でスライドなくしちゃったんで口頭だけになりますけど、お話ししたいと思います
まず私なんですけども、正忠と申します
あの会社でも仕事中でも、あんまり小林って言われることはなくてですね、みんなから正忠という風に言われてます、歴代のsfcの学部長たちからも正忠という風に呼ばれております
SFC一期生ということで、1990年の入学ですね、で25歳の時に三木谷たちと楽天というのを6人で立ち上げました
子供が5人おります、ちなみに妻はSFC7期生です
まずテーマとして頂いてるに、SFCでなにやったのかっていうことなんですけども、4年間のうちやったことなんですけども、我々キャンパス行った時ですね、えーと未来からの留学生だと、1990年なんで会社ではあんまパソコンとかない時代だったんですけれども、君らが会社に行く、社会に出るころにはきっと留学生扱い、未来から来た変人扱いをされるだろうということで、キャンパス行ったんですねすごいワクワクしながら、そしたらですね、まあ実際は工事現場でして、まあちょっと今日1年生の人たちは、あのあんまりまだキャンパス行ってないからリアリティないかもしれないんですけど、これSFC、いわゆる大学ですね、大学院棟とかじゃなくて上から撮ったとこなんですけど、いろんな建物あるんですけど僕1年生ん時、この部分なかったんですよ、一番写真の上の方にですねカフェテリアとかがあったりする生協とかがあるんですけど、今のキャンパスにあるカフェテリアとかローソンとかがあるところが、昔メディアセンターとジムとかですね、体育館がなかったからなんですけど、まこんな4〜6割近くですかね工事現場だったんですよね
で、説明会では海が見えるキャンパスみたいな話を結構ばっーって聞いて、高3のときワクワクして大学1年生春行ってみたら、海が見えるキャンパス!と思ったら海が見えそうなキャンパスだったっていうですね、ガッカリなお知らせがあってですね
まぁでも実際はあの車で本当にすぐなんで、突発的な休講とかがあると、もうこのあと5限なければちょっと行こうかっつって海行っちゃったりだとか、箱根の温泉入りに行ったりとか結構僕らのころやってましたね
で、大学何やったかっていうと、七夕祭っていうのを、これ今でもやってますけども七夕祭で私、初代彦星っいう、まぁどうでもいいんですけどなりまして、で体育祭、これも僕があの幼稚園小学校中学校高校には運動会があるのに、何で大学になると運動会ないんだろうっていう素朴な疑問から、こんな楽しい仲間たちと運動会やりたいじゃないかって勝手に体育祭実行委員長になりまして、学部長に掛け合ってですね、体育祭というものをやりました、最初で最後の体育祭でしたけど
で、夜の学校とかつって、夜の学校と書くとあれなんですけど、研究棟をクラブに変えるっていうだけなんですけど、あのバンバン音楽流して真っ暗な中でみんなで踊りまくるみたいな事やったり、当時24時間キャンパス、施設的はできるんだけどコンセプト的には別に、あの終バスの時間があったんで普通帰るって事を大学側は想定したんでしょうけど、我々楽しくて楽しくてしょうがなくって、みんなに24時間そのまま残っちゃうっていう、でもそうすると叱られるみたいなことが起きた
んで学生ん中で自発的に、私あの24時間キャンパスを考える会ていうのを立ち上げまして、自分たちでガイドラインを作って、大学側と協議していくってことをやったりしてました
あと大学卒業前は、あのキャンパスライフ満足度調査っていうですね、学生に色々アンケートとって、どこに大学の満足を得てどこに不満足があんのかっていう、事務室の対応が良くないみたいな声とかを集めて事務長に掛け合って、事務室のオペレーションの改善とかそういうことやってました
最後卒業式、SFC版卒業式、Take Off Larryなんですけど、そういうのを立ち上げたりとかしていました
生活全般も全部SFCにどっぷりみたいな4年間を送りまして、そこで学んだものってのは、パイオニア精神、やってみちゃおうみたいな
結構SFCありがたくってですね、何でも若造に任せてくれるんで、そこで多分パイオニア精神っていうのが植えついたんだろうなってのと、そこにかけがえのない一生の宝となる仲間ってものをいただきました
じゃあ卒業した後何やったのかっていうと、一応、すぐは一部上場企業に入ったんですけども、楽天というのを立ち上げました
今でこそ、こんななんかヨーロッパでもそこそこ70%ぐらいの認知度が出てきた楽天っていうこのロゴなんですけれども、その昔はですね皆さん知らないんでしょうけど、あのこんなロゴだったんですね、日の丸筆文字っていうかなり右寄りな感じの、名刺交換すると居酒屋?って聞かれるような名刺だったんですけど、これが楽天の最初のロゴです
で、97年で6人で楽天創業しまして、これ創業メンバーですね
皆さんどこに僕がいるか分かんないと思ったんで、一応丸してみましたけど、25歳だったんで一応髪の毛ありましですね、何が今日お伝えしたいかって言うと、ジャン、6人中3人がSFC卒業生というね、SFCがなかったら楽天は今ないという、これ本当にそう思ってます
楽天立ち上げて3年で株式譲渡できたんで、もらった金で正忠奨学金をSFCに立ち上げまして、これかれこれ20年ぐらいやってるんですけども、学生さんたちの授業料を僕が代わりに払うみたいな
で仕事では大阪支社を立ち上げに行ったり、マーケ部署を立ち上げて楽天スーパーポイントっていうのをプログラム立ち上げたり、国際事業準備室みたいのを立ちあげたり、第二楽天って、これ3.11の後に東京がなんかドッカーンってなるリスクがあったんで、三木谷と話し合って、三木谷が俺が東京に残るからお前大阪に行って第二楽天立ち上げろって言われてね、大阪に渡って第二楽天準備したりとかして、12年にはアメリカに渡って米州本社を立ち上げる、で2年半後にはシンガポールに渡って、アジアの代表やって、日本に戻ってきて、Chief People Officer、今はChief Wellbeing Officerっていうのをやっています
まぁ何が言いたいかというとですね、これ創業のときの三木谷とわたしなんですけれども、たった14年ですね
楽天市場で1兆円っていう売上、お買い物、行った時にパーティやったんですけど、三木谷と私、お分かりになります?方やちょっと肥えたし、方や髪の毛を失うっていうですね、髪の毛を失ってまで頑張ったっていう、はい、この瞬間500人の学生さん気付きましたね、あぁ楽天って誰が頑張ったのかなみたいな、ね、それが今日わかっていただければいいな
で、今日のテーマなんですけども、自我作古、我より古をなすという風に読みますけども、自我作古というのを今日、まぁたぶんみんな聞いたことがないと思うんですけども、ググるなり何なり、後ほど知ってもらえればいいんですけど、まずは僕の話を聞いてもらいたいなと思います
まぁザクッと楽天版自我作古をご紹介したいなと言うふうに思います
本当に創業イヤーだけですけども、時系列に並べると、1997年に立ち上げたんですけど、当時まだネットっていうもの日本人あんま使ってなくってですね、大企業でも数十人の部署に一台パソコンがあるかないかみたいな時代だったんで、ネットショップを地方に営業しに行くと、インターネットって何ですかって言われちゃう、そんな会社でした
オフィスとしては、こんなちっちゃなオフィスで、誰もスーツも着てないような感じで立ち上げたんですけども、どんどん事件が起きるんですね
楽天の店舗さんに、今度お勉強会やるからそこで作り方とか勉強してくださいよってお招きしたんですけど、会社にお招きしたら、クライアントさんに使ってもらえるパソコンがありませんでしたということがあって、しょうがないから自分たちのパソコン、私のパソコンや他のやつのパソコン、三木谷のパソコンっていうのも外部の人に触らせる
社長のパソコンを全然関係ない会社の人に触らせるっていうことをやりまして、で、パソコンがなかったのでですね、店舗さん自身がそもそもパソコン持ってないんですね当時は
なんで、私いつもカバンの中に東芝さんとかパナソニックさんとか富士通さんとかのカタログを全部持っていて、営業先でその場でコンピュータ選びから一緒にやって、僕が帰りに秋葉原に買いに行くっていう、そういうこともやってました
あのネットワークも全部自分たちで当然引いてて、LANケーブルも高かったんでLANケーブル自分で、僕がLANケーブル作る係だったんですけど、秋葉原で50mの長いの買ってきて、自分たちで作るっていうことやってました、当時は三木谷もちゃんとね自分で荷物持ったりしたんですけど
学びはですね、できないんじゃなくて、できる方法で前に進むと
店舗さんがコンピューターない、じゃあ僕が代わりに買ってきますと、であの、うちの会社にコンピューターがない、じゃあ自分たちのものでも使ってでも、なんか前進んでこう、できないできないっていう現状の愚痴を言っても何も始まらないので、出来る方法で一歩ずつ前に進んでいくっていうことを創業期に学びまして、どんどんやっていってもですね、アポが取れないですね、当時株式会社mdmって会社名だったんですけど、誰も知らないわけですよ
ましてはインターネットなんて電話で言っても全然わかってもらえないんで、そこの信頼を勝ち取るためにはどうしたらいいかみたいなことを色々考えたり、じゃあ楽天市場ニュースっていうメールマガジン送ろうと思ったんですけどそもそも気づいたらお客さんがいなかったんで、しょうがないからSFCの時の僕らの友達のアドレスを勝手にリストにしてドンって送りつけるって言うですね、今だったらこれ違法なんですけど、当時法律がなかったんで、最初の楽天市場ニュース第一号400人だったんですけど、400人はほぼ僕らの友達って感じでしたけど、だからまぁできないんじゃなくてできる方法で前へ進んで行こうと
で、どんどんどんどんお店も増やさなきゃいけないし、お客さんも増やさなきゃいけないんで、今でこそスタートアップっていうとベンチャーキャピタルから何億調達しましたとか、海外に行くとそれが桁が3桁とかになって、何百億調達しましたみたいのもあるんですけど、我々上場するまで1円も広告宣伝費使ってないです
三木谷がかっこいいこと言いましてですね、いいか、金を使うな頭を使えとですね、気付いたらすげーかっこいいこと言ってるなと思ったんですけど、よくよく考えるとケチなんじゃないかと思うぐらいに、でもそのおかげでしこたま色々考えてあの手この手で、当時毎月のように新聞雑誌テレビとかに出るように仕込んでたんですけど、これも1円もかかってないですよね、やってできないことはないということなんですけど
とか、まぁ後はデータ消しちゃいました事件、これ何回もあるんですけど、今でこそあれなんですが、ちゃんとデータってバックアップしなきゃいけないんだなって、こういうことをこけながらこけながら学んで今に至るということです
今もしっかりしてるんで大丈夫ですよ、ぜひ楽天モバイル入っていただければと思うんですけど、大丈夫ですから
で、このような楽天の挑戦だったんですけども、ちょっとざっと振り返るとですね、97年ネットビジネス成功しないと、僕らが立ち上げた時って、まあSFCの先生は別として、でも前職の上場企業の上司達は、いやいや正忠やめとけよと、インターネットってやつ俺も色々調べたけど、アメリカにですら利益を上げてる会社はねえぞ、絶対なんかそんなんかなんだっけなんとかさんっていう人に、三木さんだっけ?に騙されてるんだよ正忠、お前だめ止めたほうがいいよみたいなこと言われたりしたんですね
みんなSFCの一期生の友達ですら、いや正忠なんかあれなんじゃないの、ベンチャー企業、当時スタートアップってかっこいい言葉もなくてベンチャー企業って言ったんですけどベンチャー企業ちょっとどうなるかわかんないからやめといたたらみたいな言われてて、みんな良かれと思って止めてくれるんですけど、結果的には3年後には上場できたりとかして、で、03年に2003年に楽天証券で今のいうところの楽天証券なんですけど、証券事業買収しようと思った時に、新規事業やろうとしたら、いやいやいや金融事業なんてインターネット野郎にできるわけがないって言われたんです
素人に金融事業は無理だって言われて、でも結果的にはね、楽天カードも楽天銀行も楽天証券も楽天の保険、生保も損保も今あって、なんだろうeマネーもedyもそうなんですけど、楽天なんですけどほとんど金融メニュー全部揃えていて、もう5000億近い収益上がるような事業になってるんですよね
だから、できないことはないと、でも無理って言われてました
で04年に楽天イーグルス、プロ野球ですね、プロ野球やりたいですって、当時12個あったのが一個、12個中弱い12番目と11番目があの一個になるっていう大事件が起きまして、一席空いたんですよ
そこに楽天が手挙げたら何かボコボコにいじめられまして、過去日本には、当時50年間新しいチームを作った会社なんかないんだから、ましてやあの鉄道会社でもないし大新聞会社でもないんだから、お前ら伝統ないんだからそんなの無理に決まってんだろって言われました、だけど結果的には仙台をベースにして仙台の方に、東北の方々に信じてもらいながらやって、2013年には日本一になるということで、これも無理じゃなかったんですよね
で、06年にですね、これからはモバイルで人々は買い物するだろうみたいな、モバイルモバイルって店舗さんに言ったら、モバイルって何ですかって言われて、当時カタカナケータイっていうのが日本では浸透してたんで、ましてやあんなちっちゃな画面で誰も買うわけないだろう、06年なんでご存知の通りまだiphone出てないんですよ、でもその段階から僕ら携帯で買い物をする時代が来るんだってことずっと言い続けてまして、今や、例えば先月のも75%以上は全部スマホからなんですよ、楽天の買い物って
だからもう時代が変わってくと、でもあのこれは、そんなの小画面で買うわけないじゃんっていう風に言われました
2010年に英語かなっていう風に言った時も、いやいやお前ら日本人だけ、90何パーセントだし、売上も利益も99%日本じゃんと、何かっこつけてるのみたいな、結構ボコボコに叩かれまして、某あの車メーカーの社長まで日経であの人様の会社捕まえてバカの集団ぐらいに書かれたんですけど、それぐらい無理無理って言われたんですけど、まぁ結果的には出来ました
私もですね恥ずかしながら、TOEIC320点でして当時、TOEICって受けたことあります?名前を書いて、適当にランダムに答えると300点貰えるっていうテストで僕は320点だったんですけど、だけど創業メンバーだから英語化やんなきゃいけないって言ってしこたま頑張って、こういう話を今や新人研修とかで英語でできるようになってます
無理だ無理だって言われて、僕自身が一番無理だと思ってたんですけど、まぁやってできないことはないと
で、最後17年FCバルセロナ、さっきのスポンサーですけども、スペインのサッカーチームですけど、そん時もマスメディアさんから、300億円も無駄だろう、ドブに捨てる気かと、たかだかロゴをユニフォームの胸にするだけでみたいな結構否定されたんですけど、あぁちょうど良かったと、マスメディアの人が否定してくれると5年後か10年後ぐらいに大概みんなからあれはすごいいい策だったよねっていう風に過去言われてきたんで、今回もマスメディアさんいい感じで否定してくれたなと思ってですね
今僕らもめちゃめちゃ自信持ってます、でどんどんどんどん挑戦を続けて、今はご存知の通り楽天モバイルというですね
でも3キャリアね、ドコモさん、KDDIさん、ソフトバンクさんという日本を代表するめちゃめちゃでかい会社がやってんだから、今さら4つ目とかいらねーだろと、国民も思ってるしいろんな事業者も思ってるんですけども、入り込んでいきまして、いやいや日本は残念ながら通信会社さんたちが努力しないが故に、国民がまだまだそのメリットを受け切れてないという思いがあって僕ら本気で入り込みました
ようやく今年の4月しましたけど、この表面全然分かんないんですよ、だけど裏側は世界初の挑戦をしてまして、完全仮想化のクラウド上でオペレーションしていくっていうハードウェアをソフトウェアにやってってるんですけども、なので5Gから4Gから5Gの切り替えとか、でも僕ら基地局とか持ち合わせてないんで、全然負のアセットがないんですよ、だからどんどん進化していけるんですけども、これ僕ら日本だけじゃなくて世界と組むことを考えていて、日本の一通信キャリアをやろうとしてるんじゃなくて、このプラットフォームを作ってグローバルなモバイルプレイヤーたちと一緒に連携していくっていう絵を描いてまして、今世界中の各国のトップ通信会社さんたちが、まぁどこって言えないんですけど、もうお話いただいて、うちの技術をベースに彼らと一緒にやるっていうような話がいってると
だめだだめだだめだっていっぱいいろいろ言われるんですけど、自分たちが信じる道を突き進むということでまぁどんどんやっていけばいいのかなという風に思ってます、なので挑戦からの学びっていうことで、さっき言った無理無理無理って言われたけどほとんど出来ちゃったんですね、なので不可能はないというのが一番の学びかなという風に思ってます
で、不可能ないってことを学んだんですけど、気づいたんですね、できるかできないかっていうことを考えるんじゃなくって、やるかやらないかだと、やるっていう風に覚悟を持って決めれば後はもうひたすら突き進むと
なんせ挑戦しなきゃ何も始まんないんで、色んなこと言われるんですけど、マジやってみようと、自分達でダメかもしれないけれども、自分たちでやって駄目なのかどうかはちゃんとPOCですね、prove of concept、このコンセプトが合ってんのか間違ってんのか自分たちやってみようと、気づいたんです
批判とかネガティブのコメントの大半は、それらを挑戦したことがないとか言うんですね、だからプロ野球お前らなんか無理だよって言われたんですけど、もうその段階でゼロからプロ野球を作った人が日本にはほぼないですよ
ってことは出来ないかどうかなんてわかんないじゃないですか、とかね、通信会社4個目で入り込んでいって全くもって世界的に無理だと思われてる
テクノロジーでやってみた人がいるならいいんですけど、いないんですよ、だから、そういう批判とかの声に負けないでやりゃいいという風に思ってます
僕のこの後に話する駒崎君だって、もうボコボコに色々言われてますよ、よくあんだけ突き進めるなって僕いつも駒崎君見ながら感動してるんですけど、本当に批判とか気にせずにやったらいいんじゃないかなと僕は心底思っています
そんな話聞いたことないとか、みんなが無理って思ってるとか、みんなが失敗してるとか、誰もやったことないとかいっぱいあるんで、そういったときに、だからやめとこうじゃなくて自分かやるんだと、新しい道作るんだと、道作って振り返ってみたらもうそこ歴史って呼ばれるわけですよね、自分で歴史って作れるんだってことですね
これが自我作古なんですよ、我より古をなす
自分で歴史が作れるぜ、慶應が大事にしてる、まさに僕SFCって自我作古だと思うんですよね
慶應の話をしたいと思います、福沢先生もめちゃめちゃこの挑戦しているんですよ、いろんなことに、ちゃんとあの幼い頃から勉強しオランダ語を学び、オランダ語を学んで挑戦
しに横浜行ったら全然オランダ語通じなくって、軒並み看板が全部英語になっちゃってて、もうショックでまた家に帰るわけですけど、あきらめないで独学で英語をもう1回学びなおしてなんとかに25歳の時に渡米するわけですよ、船に咸臨丸っていうのにっていうのになんとか船に乗ることを、あの手この手でですね、手繰り寄せてに25歳の時に渡米するわけですね、で、アメリカでヨーロッパで見てきたそれら文化っていう物を日本の新しい未来のために、どれを持ってくればいいのかつっていろんなものを持ってくるわけですよね
皆さんご存知だと思うんですけど、いろんなことを彼は持ってきてまして、で、その中の一つが例えば今でこそ当たり前のように、勘定科目を、会社のPLとかBSみたいなのですけども、ああいうのも彼が持ち込んでたりしますし、それこそスピーチとかっていうのを演説って呼んだりとか、自由とか情報とかっていう言葉を日本で訳してるのも福沢先生
ですね
だし、学問のすすめって言うとやっぱり日本の大衆がそこまで学がなかったね、そうするとこう幕府から行っているお偉いさんが言ってると言われてることが正しいのかどうかも分からない、でも国民一人一人がちゃんと学ばないと、民が自立して初めて国が独立できるんだと自立できるんだという風に、一般の人々もみんなで民間がレベルアップしてかなきゃいけないということを説いて、そのために、当時書籍っていうのは難解な言葉が、本当に学問にやってる人しかわかんなかったんですけども、学問のすゝめっていう平易な言葉で、大衆がわかる言葉で初めて書かれた本ですね
これ17篇全部について書かれるわけですけども、さらには時事新報っていう新聞を立ち上げるんですけど、これは大隈重信さんとか関わったんですけど、あれが実は日本で初めて政党に寄らない、当時は、日本でも今ねどことは言いませんけれども、いろいろ政治家とか政党のプレッシャーを受けながらマスメディアコンテンツ作ってるじゃないですか、で、それではいかんと言って政党に寄らない新聞っていうのを自身で立ち上げたと
そんななんか慶應って、世の中をゼロから作っていく、なんだったらマイナスをプラスに変えていく、そんなことやってきたのが慶應であり、その慶應で新しく1990年に生まれたのが縦割り学部、法学部経済学部とか縦割りで作ってた学部を横断型で、総合政策学部、環境情報学部っていうの作って、これからの社会問題は、経済だけでは解決できない、法律だけでも解決できない、だからドーンって横軸でやったんですね
チャレンジをするっていうのはsfcのスピリットで生まれてると、30年経った今でもちゃんとSFCは考え続けている、慶應をリードしてるのはここにあるなと思ってます
初代学部長です、加藤寛先生って言うんです、総合政策学部の、彼らが時の塾長石川忠雄さんていう人にコンセプトをお願いをしてなんとか引っ張ってきてくれたんですけど、加藤先生が晩年に僕らにくださった言葉に、公に報いるって言葉がありまして、慶應のあのちょっと今日4限で紹介できればと思いますけども、慶應義塾には慶應義塾の目的というものがあって、そこには全社会の先導者、世の中をリードしていく、そういう人材になって欲しいっていう思いがあるんですが、公に報いる、やっぱりこの自分だけ私服を肥やせばいい自分だけハッピーならいい、そうじゃなくって公に報いるそれが大事だという風におっしゃっていただいてます
結論、まあやるしかないということで、SFCスピリッツを僕なりに解釈すると、無い、これ無い、あれ無い、全然無いみたいな、例えば教室に行けない、なんとかっていう、無いっていう風に色々みんな言うんですけど、無かったら作ればいいじゃないかと、なんとかできないとかいろいろあるんですけど、やってしまえと、それやる人いないよねって、なかったら自分が動くと、これこそがSFCスピリッツだと思ってるんですね
今日もあの本当は3限4限みたいな風に大学としてはコマ割りしてるわけですけど、僕から言わせると、っていうのが今まで常識として存在してるわけだけど、そんなもの未来永劫守んなきゃいけないなんてどこにも決まってないので、じゃあ変えてみちゃおうよって言って、あの先週ですね田中先生と駒崎君たちと打ち合わせして、いっそのこと3限で2人で喋っちゃおうぜみたいな話に変えちゃったんですね
できないとかじゃなくってまず動いて行っちゃうと、試していっちゃうと、これこそがSFCだなと
無いっていう愚痴を言うんじゃなくて、いないっていう言い訳をするんじゃなくて、そういうのは一番カッコ悪いんで、SFCスピリッツはまず挑戦するんだと、それがうまく行くかうまく行かないかってのはわかんないけれども、まずその一歩切り出そうぜ、これが未来のスタンダードになるかもしれないんですよ
そう思って僕は今日も全力で今やってるんですけども、我々SFC一期生、幸いにして、先ほど工事現場みたいな話をしましたけど、工事現場だったからこそいられる場所が限られるんで、めっちゃ一期生全員お互い知り合いなんですよ
存在していい場所が、生協前しかないから、それかあのオメガ館っていって当時大教室があった、そこの教室内ぐらいにしか居場所がないんで、あと今ここ画面に出てるラウンジの脇にスロープがあって、工事現場の道が一本あったんですけど、授業行こうと思ったらそこを全員が通るっていう、だから全員顔見知りになるんですよね
とんでもないチャンスを頂いて、SFC一期生って未だにあの一期生っていう風に言っていただくんですけど、だからこそパイオニア精神、ゼロだったからこそ自分で作らなきゃいけないからこそ、サークルを全部自分たちでゼロから作ってた、ルールも全部作ってた、24時間キャンパスのルールも作ってた、こういうのも一期生だからこそそのチャンスが与えられたんですけども、ふと気づいたらですね、打ち合わせしてて、こないだ思ったのが皆さんのウィズコロナ時代の一期生なんじゃかなということで、大学で授業やらしてくれない、教室で授業やらしてくれないっていう環境になっちゃった一期生、初なんですよね、みなさんが
結構大変だと思うんですけれども、疲れると思うんでよね、zoomに何時間も、ちょっと僕ウィズコロナ一期生自分でスライド作りながら、なんかネガティブな香りがするなと思って、さっきの青空と比較してあれだなと思ったんで、ニューノーマル一期生って言い直したほうがいいかなと思って、これからのノーマルを作って行く、そのスタートに立ったのが、今参加してくれているこのニューノーマル一期生の皆さんなんで、過去30年間SFC偉そうなこと言ってますけど、これ誰も挑戦したことないんですよ
100%オンラインで授業受けきるって、100%オンラインでゼミやるとかって、みんながニューノーマル一期生なんですよね
新しいスタイルを作り上げて、僕らが30年前にSFCをゼロから作ったのと同じように、全く新しい概念を持ち込んで、みんながゼロからSFCを作ってくれる、新しい日本を作ってくれる、新しい世界を作ってくれる、それはめちゃめちゃ期待してます
それを一緒にやりたいな思って、これから何をやるのかということ2020年から書いてみました
ここでちょっとあの僕、well-beingっていうことなんですけど、ちょっとpoll打ってもらっていいですか?みなさんに質問があります、皆さん答えてください
すごいすごい、70%超えてるんだ、ありがとうございます
well-being、僕の中にあるwell-beingの理解なんですけれども、あの僕今やってるのは、ウェルネス、会社の中で3つ箱を持ってんですけど、ウェルネス、いわゆる社員たちの健康ですね、心の健康、身体の健康、健康を通じて個人のウェルビーイングを実現させてハッピー、ハピネスっていうんですかね、僕はの自分らしさって呼んでるんですけども、自分らしく生きてるかどうか、個人が自分らしく生きてるかどうか、心身ともに健康かっていうのと、エンプロイエンゲージメント、会社と社員、社員と社員の関係性が良い状態なのかどうかいうことをすごい考えています
最後にsustainablilityという、SDGsとかみんな聞いたことありますかね、SDGsに代表されるような社会全体がこの星が良い状態になる、人のウェルビーイング、組織のウエディング、社会のウェルビーイングを考えるのが、私、CWOの役割だいうことにも全力でウェルビーイングを考えてですね、良いウェル、ビーイング状態ですよね、良い状態、でも良いって結構曲者でして、僕ちょっと色々幅広にやってて強欲な感じがするんですけど、僕がやりたいと思ったことはやりたいと全力で思ってまして、二兎を追うものはちゃんと中学生とか高校生ぐらいの時に習いました?二兎を追うものは何かっていう、一兎をも得ずっていうふうにですね先生は教えてくれたし、本には書いてあったけど、四十何年生きてきてこれ嘘だという事に気づきましてですね、二兎を追う者は一兎をも得ずなんてことはなくて、僕の理解から二兎追うものの前には三兎目と四兎目が現れる
チャンスを自ら切り開いて行くところにはチャンスはどんどん訪れると、新しいチャレンジには新しい成功がやってくるということですね、なんでそもそも二兎を追わない人は最初から二つのものは得られないってことなんで、どんどん人生一度きりなんでやったら良いんじゃないかなと、自分がwell、自分がいいと思うものをガンガン攻めてみると
みてくださいこの大谷選手、ピッチャー、アメリカで通じるピッチャーにもかかわらずバッティングまでやるっていう、二兎を追いまくりですよ、この人、挙句の果てには顔までいいし性格までいいっていうね、素晴らしいじゃないですかこの人
錦織選手もそう、世界に通じる、大阪なおみ選手も、全力で自分が好きっていうテイストで全力でやるわけですね
日本全国国民全員巻き込んで彼らもワンチームを作り上げるわけじゃないですか、自分たちが信じる道を、とんでもない練習をやったから自分たちは出来るんだっていうwellな状態を作りあげたんですね彼らは
日本の女子卓球もすごいじゃないすか、なんかもうちょっと見間違えたら中学生ぐらいかっていうくらいに可愛い感じなのに、それでも世界トップレベルでやっていくという、彼らはちっちゃい頃から自分たちのwellはここにあるって信じてるんですよね
池江選手も諦めずにね今戦ってくれてるじゃないですか、この人のおかげでどれだけの人たちが、病の人たちが勇気をもらってるかっていう
ちょっと下らないところ言うとねこの人もね、海賊王になるぞみたいなwellを持ってたり、今で言うとこっちですかね、鬼滅の刃かもしれないけど
この人もそうですよね、スティーブジョブスさんも素晴らしいと、全力でやってるんですね、孫さんも、日本のこのインターネットここまでやってくれたのは孫さんが1990年代に日本でADSL定額制ってやってくんなかったら、こんな日本絶対インターネット普及しなかったんですけど
一応うちの会社の社長も入れとくと、三木谷もね挑戦していく
この人たちに代表されるのは、真っ直ぐですみんな、これポピンズの中村さんと轟さんっていう人なんですけど、女性もね、これDeNAの難波さんとか、我らが久美ちゃんも閑歳さんもいるし、で、みんな知らないかなReady forっていう日本初でクラウドファンディングやった米良さんっていう人もそうだし、椎木さんなんて高校生社長ですよね
とか、できないできないできないじゃなくて、できると、性別年齢とかも全然関係ないわけですよね、ガンガンできる真っ直ぐに生きるのかっこいいじゃない、自分を信じるウェル、全力投球する人ってかっこいいんですね
これが自分らしく生きるウェルビーイングだと僕は思ってるんですけど、さあここでクエスチョン2いってもらっていいですか?みんなのウェルビーイングレベル、ウェルビーイング度合い、いま自分はハッピーだなぁみたいな、今この瞬間でいいんで、今日のwell-being、答えてみてください
やっぱ日本人ぽいな、7にこう、こういうの8と5とかに分かれるんですけど、お、ちょっとこの1とか2とか3選んでる人、後で僕と個別セッションやりません?なんかめちゃめちゃ聞きたい
ありがとうございます、ちょっと次行きましょうか
自分のやりたい、行きたい道を曲げないでまっすぐ、ガンガンいくと、いうのが面白いと思ってるならまずやってみるってのがSFCだなという風に思ってます
できないんじゃなくてできる方向で前へ進むということですね
SFCの楽しみ方、最後お話します、チャンスは平等にあります、問題は二つで、一つはアンテナ感度、いろんなとこにありとあらゆる情報があります、でもその情報をキャッチできるかどうかってみんなのアンテナ感度次第なんですよ
なんで、いろんなとこにアンテナ張り巡らしておいて欲しいなぁと思います、それはネット上かも知れないしもしかしたら友達かもしれない、いろんなとこにアンテナがあっていいかなという風に思ってます
二つ目が、あいいなそれって思っても、いいなで終える人が大半なんで、そこで終わんないで行動してくださいと
チャンスをものにする人とモノにしない人の差は、この二つだと思ってるんですよね
でさらに行動力って三段階に分けることができると思ってまして、皆でいいなと思うんですけどなかなかやり始めないんですよ、勇気がないくてやり始めない、さらにやり続けらんないんですよ
なかなか、ましてややり切るなんてことはなかなか難しいんですね、SFC特別招聘教授もね、やり始めてみてやり続けてみて、これやり切るまでやらなきゃいけないんですけど、そのために全力で今僕らも頑張ってる、じゃないですけど、なんで行動力これ大事なんでまた後ほど話したいなと
で、これらをやり切るとご褒美としてやってくるのが、一つ目は仲間、人は1人では尊大なことできないんで必ず協力してくれる仲間が必要、仲間とそしてゼロからでも何でも立ち上げられるんだっていうパイオニア精神みたいのがSFCでは身につきます
最後は自分を信じる力で、コケても失敗しても自分でできるんじゃんっていうふうに自分を信じる力もこれすんごい大事だと思うんで、挑戦した人にしかこれ来ないんでこの三つ是非とも楽しんで欲しいなと思ってます
結論、やるしかないと、人生の主人公はいつも自分なんで、SFCで最高の人生をスタートしてほしいなという風に思います
また4限で、みんなと話ができるのを楽しみにしてます、ありがとうございました

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