第5回1 江渡浩一郎さん (産業技術総合研究所)

カメラの前に向かって講義するって、実を言うと私これ初めてですね
あの普通の会議とかはいっぱいやってるんですけども、皆さんが向こう側にいるという状況がまだうまくつかめてないんですけども、まあこんな感じでやってみようと思っております
多くの人が同意しない未来を作るというタイトルで発表させていただきますし、事前にもこんなこと考えてきてくださいということを言いました、それについて、謎解きつつ
ちょっと説明していきたいと思います
私はですね、産総研という研究所で研究者をしています、で同時にメディアアーティストとして作品を作っていますが、その流れを説明してるとすごく時間が経ってしまうので、今回この三本柱でお話をしようと思います
前回、昨年も同じ授業をしたんですけども、1,2,3の順番でやったんですね、で、ちょっと時間が足りなかったなぁと反省していて、今年は3,2,1の順番で説明したいと思います、ですので、3、皆さんがこれから何を学ぶのかっていうことで説明したいと思います
みなさんSFC生ですよね、SFCに入学したと、でSFC生が約30年ぐらい経ってキャンパスが出来てきてるわけですけども、ずっと保持している特徴は何か、SFCがやるべきことはなにかというのは、僕はこれだと思っていまして、未来からの留学生であることだと思っています
これはまさしくSFCを作った時にこのようなコンセプトで作っていまして、未来から来た皆さんに何を教えるのかということで皆さんの授業は作られているはずです
未来というのは何なのかってのは、実は常々難しいことでして、なぜかと言うと現在になってしまうと、それは当たり前になってしまうからなんですね
この非常識っていうことを最後の行に書きましたが、ちょっと考えてみて欲しいことがありまして、例えば今から半年前の自分とかまあ家族とかに対して、今から半年後にこの東京オリンピックは延期されてるよとか、入学することになってるはずだけども学校に一度も行ってないはずだよとか言ったらどういう風に感じるだろうかってことなんですね
単純に言うと、非常識、あの頭おかしいっていう反応か返ってくると思います、別にそれはそういうもんなんです、それでいいんですけど、未来からの留学生の使命は、非常識を疑うことなんですね、常識を疑うと言い換えてももちろんいいんですけども、非常識と言われるようなことをもしかしたら本当かもしれないって思ってみること、これが何よりも大事なことで、それが未来からの留学生である皆さんに求められてることなんです
で、その時に、未来予測する時に、未来こんな風になるよね、当然こうなるよねっていう
のがありますね、例えば、インターネットの通信速度はもっと早くなると思います、今これだけオンラインの環境が出来上がったら未来の職場はオンラインでできるかもしれません、でそれは今この瞬間はみんな同意してますよね?でもちょっと前まで同意してなかったもののはずなんです
なので、まさかこんなこと起きないだろう、でももしかしたら真実かもしれないっていう、今はまだ多くの人が同意しない事実というのを探して、それを自分のテーマとするのが一番大事なのかなという風に思っています
で、これも最後に言って繰り返して説明しますが、大学1年生の皆さんにやって欲しいことを簡単にまとめてみました
でまず大事なのは、自分のテーマを見つけることなんですね、これは先ほどお話したように自分なりにこれが真実であると信じてること、だけど多くの人は実は信じていないということ、これを見つけるのが大変、これはなかなか簡単には見つけられません、なのでちょっとこの講義の中で追々説明していこうと思います
もう一つは仲間を見つけることですね、こうオンラインの講義しかやってないのに仲間に見つけるとか言っても無理じゃんって思うかもしれないんですけども、全くその通りでして、キャンパスが再開したら是非いろんな人と会って仲間を探してください、で今の状況でも辛うじてできる事としては、例えばサブゼミに入ってオンラインで情報共有をするとかそういった形があると思います
昨年2019年に同じ授業をしたので、そこで自分なりの興味を持ってサブゼミを立ち上げるといったことが講義の課題の一つだったので、いろんなサブゼミが立ち上がっていると思います
で、その中の自分の興味があるものに入って、未来はこんなふうになるのかなって感じながら、そういったとこで情報共有してみるといいかなと思います
で、もう一個はこのSFC授業としてこれ言うのはどうかなという感じもするんですが、大学から外に出ましょう、なので、大学に何もないということではないです、だけど、大学の外の方がとても大きいです、そして大学の外にある情報を入手すると、大学の中での活動もより幅広くなると思います
分かりやすく言うと、学外でいろんな知識を身につけてそれを学内の人に広げるといったことをしましょう、それをするとすごく自分自身がhubになる、いろんな人をつなげる役目を果たすことができるようになります、そうするととても強いですってことで、ぜひ大学の外にも活動の場を広げて外と中を繋げるような活動してほしいと思います
でえっと次、私が学生のとき何してきたのかという話をしたいと思います
で、いくつも色々活動していたんですが、これをまずお見せするのが一番いいんだろと思いました、これなんだか分かりますかね、SFCのホームページですね、これ実は僕が立ち上げたんです
これは私が1991年に入学をして、その時大学1年生でした、このホームページは1994年のものです、で、私たちはつまりその時大学の4年生だったんですね、で、ここにこう若干細くタイムライン書きましたが、この皆さん必ず見たことがある
このSFCホームページは、world_wide_webと呼ばれていまして、これはティムバーナーズリーという人が発明し公開したんですね、これが1991年でしたね、私は当時大学に入学した直後からこういうインターネット上の情報共有といったものにすごく興味を持っていまして、独自にこういったものを調べて公開するといった活動を続けていたんですね
で、また発見したものを仲間で共有したりとか、様々なこんなものがあったというものを先生に伝えて、まぁそういったことをしていました
91年92年93年とこのようにタイムラインを書いてみると、ものすごい短いスパンですがこのワールドワイドウェブというものはとてつもない大きさに広がってきました
で、1993年に画期的なことがありまして、NCSA Mosaicというブラウザが発明されて公開されました、それをいち早く発見して、こんな素晴らしいものが公開されたよといったことを学内で広めるということをしていました
1994年にこのSFCの公式ホームページといったものが立ち上がったんですが、その時に私がそのホームページの委員の一人としてこれを構築するといったことをしていました
ですので、この時に立ち上げたものが今皆さんの見ているSFCのホームページに繋がってると、そういうことになります
でよく勘違いされることもあるんですが、SFCのホームページがあるってことは、慶應大学のホームページが先にあったんじゃないかみたいなことを思う人もいるかもしれませんが、ないんです、SFCのこのホームページが最初にあってこのwebって面白いんだねってことを気づいて、矢上であったり日吉であったりが立ち上げて、そしてこれもう全学と一緒にやった方がいいなと言って何年後かにこの慶應大学のホームページが立ち上がったという順番なんですね、なので今考えると逆じゃないっていう感じはするかもしれないんですけども、それは逆じゃないんです、このSFCが最初に立ち上げたものが後にいろんなキャンパスが続き、さらにはいろんな大学が続いたと
この時はまだホームページというそのものが日本に100個とかそのくらいしかなかった時代なんですね、そういった事が起きたわけですけども、そういう時に他の人がまだ手をつけなかった、まだこれは将来性があると思っていなかったものに目をつけて、それを調べて普及するといったことをやっていたのがこのSFCにおける活動なんです
で、ちょっとじゃあなんでこの私はSFCに入学した直後からこの情報共有ネットワーク上の情報共有ってものに興味を持って、かつ、そのワールドワイドウェブというのが出てきてすぐにそれ面白いと思って広めるといった活動ができたのか、言い換えれば多くの人が同意しない重要な真実をいち早く見つけることができたのかといったことを説明すると、それは一つは簡単でして、僕は高校生時代からずっとこんな事やってたわけですね
で、小学生の頃からパソコンといったものにはまってプログラミングをずっと続けてきていまして、高校生の時に、あ違いました、中学生の時にパソコン通信とかにはまるんですね
パソコン通信とは何かってのは説明がやや難しいんですけども、インターネットが始まるよりも前からあった掲示板とか電子メールなんです、なので、このパソコン通信ってものにアクセスすると掲示板にいろんな人が書き込みをしていて、かついろんなユーザーがいるのでそこに電子メールで質問したりとかそういうことができると、たまにオフ会があってオフ会で会ってバーベキューしたりとか、まあ情報交換をしたりすることができると、そいうような場がありまして、中学生からそういった場に出入りしていました
で、そういったことをしていたので、ずっとネットワークに興味があって高校生の時からオンラインの情報共有に興味があって、それで大学入学直後からそういったものがないだろうかと言ったことを調べていたんですね
で、入学後にインターネットというものがあるといってことを知り、そのインターネットというものの世界はどうやらパソコン通信よりも広いみたいだぞみたいなことを考えて、その中の情報共有って、あのまぁ今までよりも、もしかしたら広いんじゃないだろうか、もっと面白いんじゃないだろうかって、よくよく調べたら実は世界にも繋がってるし、しかもこれ全部無料で使えるし、なんだこれはって感じでワクワクしながらいろんなものを発見して広めていったんですね
一つにはそういった高校生からの活動があり、もう一つはworld wide webだけじゃなくって、いろんなものを調べていろいろ広めていたといったことがあります
で、SFCの学生時代にしていた活動は大きくこの4点にまとめられるかなと思って、ざっくりまとめてみました
で、細かくは説明しませんが、まず仲間を集めるという意味では自主相磯研っていうのを立ち上げていました、で相磯先生ってもしかしたらご存知ないかもしれませんが、初代学部長なんですね、このSFCを作った人です、で、SFCを作ったその相磯秀夫先生という学部長のところに学部1年生の頃から勝手にみんなで押しかけてですね、あの環境情報学って何だってことを議論するっていう活動をしてたんですね、で、そこに集まった仲間で環境情報学って僕たちにとってこんなことであったと思うということを議論して、それをまとめるといったことをしていました、そしてそれとまとめたものの論文というかエッセイとして書いて、それを印刷して冊子にして配布するといったことをしていました、で、翌年の入学生全員に印刷したものを入学後に配布するといったことをしたりもしていました
その後もうひとつの外部団体に参加、外の世界に参加という意味では任天堂電通ゲームセミナーという、今ちょっとこれはないと思うんですけども、ゲームを教えるための学校が任天堂の中にありまして、そこに通ってゲーム作りをしていました
もう一つは、ソニーにSALAというサイエンスアートラボラトリーという学生のためのコンピュータサイエンス研究所というものがありました、そこに所属して様々なその同年代の人たちと一緒に活動したりしていました
で、3番は先ほど説明しましたが、そのwebというものを発見して学内にwebを広めると言ったことをしていました
そしてもう一つはもちろんゼミでメディアアートの研究室に入りましたので、メディアアートを学ぶといったことをしてました
で、これちょっと説明しておきますと、これが僕が作ったゲームですね、このスカポンっていうキャラクターもしかしたらスマブラってゲームがあるんですけども、スマブラやってる人はもしかしてみたことがあるかもしれません、アシストキャラクターとしてこのスカポンっていうキャラクターがゲットすることができます、で、そのおかげでだいぶ最近は説明しやすくなったんですが、1993年というのはファミコンという任天堂が最初に出したゲーム機の最後のゲームなんですね
で、僕はこれ学部1,2年生の頃任天堂に通ってこれを作っていました、それが2年生の最後にこれが完成し、3年生の5月21日これが発売されたということなんですね、なのでついこないだ27周年を迎えたわけですが、多分皆さんの生まれよりもだいぶ前だと思います、でもすごく幸いなことにスイッチ持ってる人結構いると思うんですけども、あ、この機能使ってみたいと思ってたんですが、スイッチ持ってる人手を挙げてっての
をやってみたいと思います、スイッチ持ってる人手あげてください
で、このスイッチを持っていて、ニンテンドーオンラインに入ってる人は、このジョイメカファイトが無料でプレイできますので、これ是非プレイしてみてもらえると僕は嬉しいです、で、スマブラをやってる人は是非アシストキャラクターでスカポンを使ってみて下さい、僕が大学生時代に作ったゲームです
はい、で次なんですが、これはソニーの中に研究所があったんですね、極めて面白いことに、研究所なんだけど学生だけが出入りする研究所なんです、で面白いことに、教えてくれる人ってのもいません、で、その研究所は、場所なんですけどもかなり高価なワークステーションが山のようにありまして、あ、ワークステーションってわかんないかも知れないけども、平たく言っちゃうととても高いコンピューターです、今はこうノートパソコンとか、ちょっと大きめのデスクトップぐらいで計算速度間に合ってしまいますし、とっても早いコンピューターを使いたかったらクラウドで使えますよね、だけども当時はすごくでっかい冷蔵庫みたいな大きさのコンピューターがあって、それが何千万円もしたんですね、それを使って三次元グラフィックスの研究とかそういったことをしたんですけども、そういったことができる研究所が中にありまして、僕はそこに出入りしていました
で、今じゃあこれないじゃないかっていう風に思われるかもしれないけども、探してね、色々あります、なんでかっていうと、やっぱり、成功した大人って若者を支援したくなる
ものなんですよ、なので、例えば孫正義さんとかは孫正義財団ってのを作っていまして、若者に、応募すると、その若者を選抜して特別にその人たちに奨学金を出したりとか、様々な施設を利用できるようにする、まぁそういったことをやっています、それ以外にもクマ財団とか様々な若者を支援するためのものがありますので、それは検索してみてください
ちなみに私もパナソニックがお金を出している100番地というプロジェクトがありまして、100番地でメンターというのをやっています、なのでもし私に直接メンターお願いしたい場合は100番地って検索してみてもらえるとありがたいです
ということで、3,2,1とやってきましたので、今から1を説明したいと思います
で、私が大学時代からメディアアートといったことをずっと続けてきていました、メディアってそもそも何でしょうかって話なんですが、先ほど説明したように、私はもともとそのインターネット上の情報共有というものにすごく興味があったんですね、ですので、インターネットで、まぁオンラインでどういう風に情報を共有するのかといったことをずっと調べてきました
今まさしくこのオンラインで場所を共有してっていうことをウェビナーでやってますので、もうなんか皆さんにとっては今さらというか、もう実現してしまった世界なので、これ先ほど説明した通り実現してしまうと全てを当たり前に感じるんですね、今このオンラインでこう授業受けてることも、もしかしたら当たり前に感じてるかもしれないんですけども、でもそんなことはなくって、様々な人が先人の知恵として様々なものを作って、それが積み重なって今になっているということなんです
例えば私はウェブカムって風に呼んでいるものがあるんですけども、こうホームページを見ると、例えばどこかの交通状況がずっとカメラで撮られていて、それがホームページに載ってるとか、それか筑波山カメラみたいな感じで、あるホームページにアクセスすると今の筑波山の様子が見えるとかそういったものがあるんですけども、それをウェブカムって呼んでいます、で、そのウェブカムを日本で一番最初に作ったのは私なんですね、それは、インターネットには当時は文字しか表示できないという状況が最初ありました、その時に、ようやく画像を張り込んで画像を共有することができるようになったというのも、決められた画像が写真のように入ってくるだけなんですね
でもインターネットって素晴らしい可能性があって、webサーバにアクセスした瞬間にその瞬間をカメラの画像を貼り付けるってことをすれば、今この瞬間のwebサーバーの周辺の画像を見るんじゃないかってことを考えて、それを実際に作って公開するといったことをしたんですね、それが1994年です、その2年ぐらい前にインターネット上にカメラというものがあったので、発想としてはあったんですが、実際に日本で最初に作ったのは私だったってことです
で、同じように例えば、インターネット上でつまりwebブラウザ上でお絵かきをするとか、ブラウザ上で一緒に音楽を奏でるとかそういったことができるんじゃないかっていったこと考えて、実際にシステムとして作って公開するということをずっと続けてきました
で、1996年に作ったこのウェブホッパーって作品をちょっと紹介しておきます、これは何かというと、誰かがブラウザを使ってアメリカのホームページを見ている、それかリンクを辿ってヨーロッパのwebサーバーに移動したとします、すると仮想的にですけども、アメリカに行った人がピョンと飛んでヨーロッパに移動したということができます、そのような仮想の移動の軌跡をトラフィックを解析してリアルタイムで緯度経度に変換し、地上で可視化するということをしたのがこのウェブホッパーという作品です
アルスエレクトロニカ賞というメディアアートにおけるオスカーと言われていまして、メディアアートにおいて一番賞を受賞しまして、アルスエレクトロニカセンターというセンターが当時できたんですけども、常設展示物として展示されるようになっていました、確か10年ぐらい展示されて今はなくなってると思います
でもう一個をお見せしたいのはこのインターネット物理モデルというものです、このインターネットモデルというのは日本科学未来館の展示物なんですけども、もしかして見たことがあるという人もいるかも知れません、これ日本科学未来館で、この展示物見たことあるって人いたら手挙げてみてもらえませんでしょうか?そんなにたくさんいないですね
これは今日本科学未来館にいったらみれるので、よかったら行ってみてください、で、これは村井純先生の依頼で作ったものなんですけども、村井純先生は昨年退官されてますので授業とか受けることができないかもしれませんが、インターネットの父と言われている村井先生からこのインターネットを物理モデルで再現したという風に評価されていまして、非常にいろんな人に楽しんでいただいていますので是非触ってみてください
そんなこんなでアーティストとして活動を続けてきたんですが、その後2002年から産総研という研究所に移りまして、今研究を続けています、主に何をしてるかというと共創の場を作るためにはどうしたらいいのか、創造的な場を支える仕組みを研究するといったことを続けてきています、分かりやすく言うとwikipediaみたいなものだと思っています
Wikipediaというのは、様々な人が集まってきて百科事典を作るという目的でいろんな人が文章を書いて、一つのWikipediaというものが育っていったと、そのようなさまざま人が集まって創造的な行為を行うといったことがどうすれば可能なんだろうかといったことに凄く興味をもちまして、そういった場を作ってみる、またはそういった場がどうして成り立っているのかを調べてみるといったことを研究するとといったことをずっと続けています
共創プラットフォーム研究という風に呼んでますけども、非常にその共創プラットフォームと言ってもまあ難しいものがあって、多くの人がその一つに力を束ねてある一つのものを作るってのは実はそんなに簡単ではないですね、でその証拠に、Wikipediaのようなものは成功しましたけども、Wikipediaみたいなものを目指して始められたプロジェクトって実はたくさんあるんですね、だけどもそれらも全部失敗しています、で、なぜWikipediaが成功してそれ以外が失敗したのかというのが僕の興味の一番の中心にあります
このパターン,Wiki,XPというのが、えっと僕が書いた本なんですなんですけども、それまでに共創プラットフォームを実際に立ち上げてみて使ってみてもらって、それでどんな風にすればその共創プラットフォームができるのか、どんな風にすれば使ってもらえるのかといったことを調べるといったことを続けて来ていますが、その中でも特にWikiといったものにはある独特な魅力がある、独特な魅力があってそれがこのWikipediaといったものを成功に導いた理由に違いないっていったことを調べて書いた本がこの本です
ちょっとこの本の中身について説明していきたいと思います、ちょっとこの本の中身を説明するのなかなか難しいんですが、何故難しいかというと、50年ぐらい、まぁ60年ぐらい歴史を遡ったところから始まるのがこの本なんですけども、このクリストファーアレグザンダーというのは建築家なんですね、この建築家がパターンランゲージと建築設計手法を提唱します、1970年代60年代の話なのでこの時はまだいわゆるコンピューターっていったものは出てきていません、ですので皆さんが普通にこう使うコンピューターとかってのは、まぁ70年80年以降なので、その時にはまだ、建築を考え建築設計をどうするのかといったことを考えるためにこのパターンランゲージを考えています
でこのパターンランゲージてのは、とっても面白くてですね、何を彼は考えたかと言うと、ある建築を実現するためにはその建築を利用する利用者自身が設計すれば良いと考えたんですね、つまりある家を建てるとしましょう、その家を建築家にお願いします、そうすると建築家はどんな家に住みたいですかって風に聞かれて答えて、うんそういうことですかってわかった建築家がその家を設計する、これが当たり前なんですけども、でもそんなことをしないで、利用者自身が設計すればいいんじゃないですかって考えたのがこのアレグザンダーですね
これがまあ極めて変わった考え方というか、なかなか受け入れられない考え方であることは容易に想像がつくと思います、アレクサンダーはそのために何をしたかというと、パターンランゲージといったものを考えました、パターンランゲージは何かというと、良いとされる建築に繰り返し現れる要素形態なんです、つまりこのパターンランゲージは辞書のようなものになっていまして、253個の形が辞書のように纏まっています、そしてそのパターン一個一個の形をパターンって呼んでますが、パターンはパターンとパターンとか結びつきがあります、その結びつきに従ってそのパターンとパターンも繋げるように形を作っていけば良いとされる形、つまり良いとする建築ができると提唱したんですね
で、このパターンランゲージに従って様々な実験が行われました、代表的なのはオレゴン大学で、1971年にオレゴン大学は大規模な改修工事をパターンランゲージしたがって行って、大成功と言われています、ですが、大成功だったところもあるんですが、それほどうまくいかなかったところもあり、まぁ一時期は忘れられた存在になっていました
そしてそのパターンランゲージがある意味復活したのは実を言うとコンピュータの世界なんですね
で、今その建築の世界の話からコンピューターの世界の話にいきなり飛んでちょっと驚かれたかもしれませんが、1987年ケントベックとウォードカニンガムという二人のコンピュータサイエンティストが、このプログラミングをどうやったら効率的によく作れるんだろうかといったことを考えます
その時に考えたのが、パターンランゲージを応用しようということなんですね、それはすなわち利用者がどんな建築を利用するかは利用者自身が知ってるはずだという、このアレグザンダーの考え方と全く同じように、利用者がどんなプログラムを実際利用したいかは利用者自身が一番よく知ってるはずだといった風に考えたですね、ですので、この二人のコンピュータサイエンティストは、コンピュータープログラミングにおけるデザインパターン、パターンを考えてそのパターンを利用者に提示して、このパターンを使って自分なりの理想のプログラムを作って下さいっていったことを伝えます
そしてそれはつまり紙と鉛筆を使ってコンピュータがどんなふうに動くのかを、自分でこう書いていくっていったことですね、そしてそうやってこのような画面でこのように動くんだってことを利用者に設定してもらった後に、その通りにコンピュータープログラムをするといったことをしてみたところ、非常に効率的にかつ良いプログラムができたということが報告されています、ですので、ここでこのパターンランゲージのプログラミングへの応用が最初に行われたわけです
その後、この手法は何に発展したかというと、デザインパターンであったりとかまたはアジャイルソフトウェア開発という、今比較的スタンダードになっている開発手法がありまして、このアジャイルソフトウェア開発で多くの人達は今ソフトウェア開発を行っています、このアジャイルソフトウェア開発というのはもともとこのパターンランゲージの応用から始まって、それが発展してできたものなんですね
でもう一つ、このパターンランゲージの応用から生まれたものがあります、それからWikiWikiWebといったものです、でこれは今左側に画面がありますが、こんな感じで青い白い画面に黒い文字があって、青いリンクが貼られていますね、これが各々ページを表していますが、今これwikipediaの画面に多少似てるかなと思います、こんな感じでこのページを表示してリンクをクリックして行って、様々なページを見ることができ、かつ編集ってボタンがあるんで、編集を押すと、そこで自分が書き換えたいようにそのページを書き換えることができるという機能が付いています
これが1995年に開発されたWikiWikiWebの画面です、そして右側が2009年、約10年前の画面ですが、今とあまり変わりませんね、画面がこんな感じになります
Wikipediaというのは実は2001年に生まれてますが、2001年の画面がこの真ん中の画面になります、この真ん中の画面が、このWikiWikiWebに影響受けて生まれた最初のwikipediaの画面になります、非常にこの左のWikiWikiWebの画面と似ていますよね、なのでこんな風に影響を受けてジミーウェールズとラリーサンガーの二人がWikipediaを思いつき、実際に立ち上げ、今は多くの人が使う世界最大の百科事典になってるという流れになります
ということで簡単に言いますと、共創プラットフォームの研究をしていて、なぜ共創プラットフォームを実現するのが難しいのか、なぜWikipediaは成功しそれ以外は失敗したのか、なぜアジャイル開発は素晴らしいのかといったことについて自分なりに考えを説明しますと、それはパターンランゲージが素晴らしかったからという風になります、ですのでこのパターンランゲージとはなんなのかということがとても大事なんですが、それはまぁ追って、本学には井庭先生というパターンランゲージの専門家がいらっしゃいますので、井庭先生の授業を取ると、このパターンランゲージとは何かをさらに追い求めることができます
さてこんな感じで、共創の場を作るといったことをずっと続けてきたんですが、その中で立ち上げた、僕としては今一番ヒットしたのがこのニコニコ学会です、これ何かというとこのニコニコの名前からわかる通り、ニコニコ動画を使った学会なんですね、で、これ2011年に立ち上げたんですけども、2011年から株式会社ドワンゴという、ニコニコ動画を運営してる会社のメインスポンサー得まして、この研究者がニコニコ動画やニコニコ生放送を使って研究の面白さを伝えるというものを作ってきました、同時にもう一個重要なのが、野生の研究者って風に呼んでるんですけどもニコニコ動画には様々な動画をアップしてる人がいます、その中にはまあ自分なりにもの作りをしてみた、新しいユーザーインターフェイスを作ってみた、何かこう調べてみた、調べたみた結果を発表してみた、そういう動画がたくさんあります、我々はそれを野生の研究者って風に思っています、野生の研究者が集まって情報交換し、またプロの研究者と交流し、野生の研究者が自分の研究を発表する、そんな場を作りたいというのが、この学会にありました
結構色々な活動をしてきてるんですが、主に一番左側のニコファーレとニコニコ超会議でシンポジウムを行うといったことが中心になっていました、動画がありますので動画を見せつつ説明したいと思います
で、このニコニコ学会は先ほどちらっといろんな賞を受賞しましたとか、65万人が見てくれましたとかそういった数字あげましたが、非常にヒットをしまして、いろんな人に見ていただき、聞いていただくことができて、反響もありました、そこで何が起こったかというと、このニコニコ学会みたいなものをうちでもやってくれ、ニコニコ学会みたいなものをやるにはどうしたらいいのかっていう話が、問い合わせがたくさん来るようになったんですね、そこでニコニコ学会ではどんな風にしたら成功したのか、どんなふうなところが拘ったのかといったことをまとめて、それをここでは共創型イノベーションって言葉でまとめています
ニコニコ学会の発端についてお話ししますと、先ほどお伝えしたように、ドワンゴとの繋がりが出発点で、つまりニコニコ動画って素晴らしいよね面白いねっていうところから始まっています、そしてコンセプトは極めて簡単で、ニコニコ動画や初音ミクみたいに人に愛される学会を作るというのが基本になっています
で、これ冷静に考えると、たぶん皆さんほとんど生まれた頃からニコニコ動画や初音ミク
はあるっていう感じだと思うんですよね、なのでニコニコ動画がある前って言っても多分知らないと思うので説明しにくいんですが、この二つがどういう繋がりがあるのか、なんか生まれる前からあったから知らないみたいな感じの反応かと思うんですけども、生まれる前じゃないか、小学校に入る前か、ちょっと考えてみて説明したいと思います
このスライドで説明してることは2点あって、一つはニコニコ動画は何だったのか、今ニコニコ動画って言うと、そこにクリックするといろんな動画が再生されてコメントが流れる、で、いろんな動画見ることができてたまに自分アップすることもできる、そういう感じがしますよね、だけどこのニコニコ動画が2006年12月に誕生した時に、アップされていた動画は0なんですね、0個なんです、2007年の1月も0です、2007年2月も3月も0です、つまりニコニコ動画にアップされていた動画ってのは0個だったんです
これなんでか分かりますかね、これは生まれた時の様子ってのを知らないと絶対わかんないと思います、このニコニコ動画というのは実を言うとyoutubeのアドオンだったんですね、アドオンって言葉ちょっと聞き慣れないから分からないかもしれませんが、ニコニコ動画のページを見ると確かに動画が流れます、その動画は全部youtubeにアップされてる動画です、youtubeにアップされてる動画をまずニコニコ動画が勝手に使うだけじゃなくって、しかもその上に勝手にコメントもしてるといった機能を追加しました、ですのでまずニコニコ動画にアップされて、そこに行くと見れる動画は全部youtubeの動画だけだったんですね、ニコニコ動画だけの機能というのはコメントを載せる機能だけだったんです、というある意味他人の褌を借りるみたいな感じな生まれ方をしたのが、このニコニコ動画なんですね
でもその後どうなったかというと、youtubeからbanされて、banされるというのは禁止されるって事で、そのニコニコ動画から見れたはずのyoutubeが見れなくなって、一気にニコニコ動画が使えなくなったですね、こっからが面白くて、使えなくなった後にニコニコ動画は一週間で動画投稿機能を作って再オープンしたんです、なので転んでもただでは起きないというか、なんか懲りないというか、だいぶ多分これgoogle怒らせたと思うんですけども、全然まるで気にしないで、何もなかったかのように、一週間クローズして一週間後には動画投稿機能付きでニコニコ動画を再オープンしたんです、その時に投稿された動画が1本目の動画になるんですね
なのでこの他人の褌を借りるという、この発想にいたく感激したわけですね、まあ今このことを覚えてる人がほとんどいないだろうし、ある意味黒歴史なので自分たちでも言わないと思うんですけども、他人の褌を借りてこそニコニコ動画の本質だと思ってます
もう一個、初音ミクとはなんぞや、これが面白い話がありまして、初音ミク知ってますよね?なんかこうボカロって言ってボーカロイドで歌を歌うでしょ、わかりますね?で、カラオケに行けばいくらでもあるし、日常的にに聞いてる人もたぶんいると思います
で、vocaloidっていうのはそのソフトの名前なんですけども、初音ミクは最初のボーカロイドではなかったんです、詳しい人は知ってると思いますけど、2003年だったかな、ちょっと正確な数字忘れましたが、何年か前にそのボーカロイドも一番最初のバージョンが売られてるんです、それがそのクリプトンフューチャーメディアという会社からボーカロイドの最初のバージョンとして、このメイコという女性シンガーが歌うボーカロイドが売られています、それが2006年2007年になってからなぜか急に売れ始めるんですね、つまりこのクリプトンフューチャーメディアという会社は何が起こってるのかわかんないけど、とにかくメイコの売れ行きが急激にアップしたってことを掴むんです、何故かといったことを調べてみると、ユーザーはニコニコ動画にアップするための動画を作ってるって事に分かるんです
つまりユーザーは、当然それよりも前からyoutubeあったんですけども、自分たちがアップしたくなるような動画サイトがニコニコ動画として出来た時に、自分たちが曲を作ってそれをアップする、動画を作ってアップするといったことするんですけども、唯一問題がありまして、ボーカルが入れられない、midi楽器さえあれば、曲を作ってそれを動画にすることできるんですね、自分が歌えば別なんだけども、そうじゃない限りボーカルは入れられない、なのでボーカルを機械に代わりに歌ってもらうという風に考えて、そして楽器屋さんに行くとバーチャルシンガーとしてメイコが売られていたので、それを買ってきて使うといったことをしていたのが急激に売れ出しした理由なんですね
で面白いのは、そのクリプトンフューチャーメディアは、だったらニコニコ動画に最適化された形でボーカロイドを作り直せばいいんじゃないかって考えたんですね、なので、いかにもニコニコ動画で売れそうな外見、名前、それからこれは歌手ではなくって声優にこの声を吹き込ませています、このメイコの時代は、メイコっていうある女性っていう個性のないキャラクターだったんですけども、初音ミクの場合は声優に歌わせて、声優っぽい歌声になるといったことをあえて選んでいます、というニコニコ動画らしいパッケージをもう一つ作ってそれで売り出していってってことしたのが初音ミクなんですね
つまり、初音ミクとニコニコ動画すごく密接な関係があるということなんです、で、意外とこのこと知られてないっていうかそういう関係があったんだってみなさん思うかもですけども、ある意味、相互関係で成り立っていて、ある突拍子もない存在が入ると、それに影響を受けて何か別のが生まれ、またそれが伸びると、また別のものが生まれるというそういう関係があります、後から見るとこの二つに具体的な利益があったのかって言うと、あんまなかったんじゃないかって風に見えるかもしれませんが、誕生の距離ってのはすごく密接な関係があったということなんですね
少し前のページにあったように、ニコニコ学会の成功の秘密は何なのかといったことをもう1回なぞるならば、ニコニコ動画と初音ミクがなぜ成功したのかということを密接に考えて、一つは他人の褌を借りるですよね、もう一つは見た目重要、名前重要、それらしい見た目を備えるのがすごく大事ってことを考えて、本当にその通りに忠実に実行したというのがニコニコ学会の成功の秘訣だったんじゃないかなと思います
で、共創型イノベーションの話は簡単にちょっとこういう風にまとめていますが、ユーザーが世界を変えるような発明発見をする可能性がある、で、ユーザーはやりたいことをやってるだけなんですね、だけどもそのやりたいことやってることが、結果的にすごく世界に影響を与えるような発明になることがあり得る、ただその時には環境って大事なんです、ニコニコ学会はその環境を与えるといったことにフォーカスをして実行していました
今これユーザーイノベーションとインクルーシブデザインの話が出ていますが、これちょっとだけ説明しますね、ユーザーイノベーションというのはユーザーが発明をする可能性もあるといったことを書いてる本なんですね、その実例としてマウンテンバイクが挙げられています、マウンテンバイクというのは皆さん今普通にマウンテンバイクってあるよねって思ってるかもしれませんが、1970年代にある特定の個人が山で乗り回す自転車があるとかっこいいよねっと思って自分なりに改造して作ってたものなんですね、それを1980年代にある自転車メーカーから、マウンテンバイクという名前で発売したところ、爆発的大ヒットになって世界に広がったという風になります、なので実は出発は個人なんです
もう一個インクルーシブデザインなんですけど、ウォシュレットの事例を使って説明しますと、とある極端なユーザー、つまり病院に行くと自分でお尻を拭けない人というのがいます、そういう人たちはお尻を拭くためにお尻を洗う機械っての使ったんですね、その機械に注目をしたtotoの開発者が、これはもしかしたら一般用に転用できるんじゃないのかってことを考えて、それを一般用に使いやすく改造し商品として発売したところ大ヒットになったというのがウォシュレットなんです、つまり元々は病院で使う医療器具だったんですね、病院で使うような医療器具も、見方によっては世界中の人に使ってもらえる一般的な商品なる可能性があるということなんです、なので、こういうユーザーによる発明だったりとか、ある特定の人、特殊なユーザー向けの開発が世界に広まる可能性があるといったことを考えて、そのような場を作るというのが共創型イノベーションの考え方になります
でこれなかなか難しいんですけども、共創って言葉を何度か使ってきました、で特に定義せずに使ってきました、で、これをビジネスの現場とかで説明するとよく出てくる質問が共創と協業はどう違うんですかっていうことなんですね、例えばあるa社とb社と協業して
新しい新製品を作り一緒に売り出す、これは当たり前のことで昔からやられていたことです、だけども、共創というのは全く違うんですね、共創というのはそれが成り立たない、つまり協業の場合は得られる成果、得られる利益がある程度見積もりがついていて、その利益がどのくらいかを予想した上でどう分配するかを決めてから始めるものが協業だと思っています、でも共創はそれができない、なぜかと言うと成功するかどうかも分からない、で利益が上がるかどうかも分からない、でもとにかくやってみたい、やるべきだっていう何か核となるものがある、その核となるものをここで共通善って呼んでます、なのである共通善に向かって様々な人が協調せずに一個の指揮系統にまとめずに各々が考えて、思い思いの考え方で活動した結果がうまく噛み合うと成果につながる、これが共創なんです、なのでこういった場をどうしたら作れるのかといったことを今私はずっと考えてるといったことになります
で、大体これ授業は終わりなんですが、最後に僕が最近の仕事としてやったことをちょっとお見せしたいと思います、メーカーフェアと言ったことを聞いたことある人いるかな、簡単に言っちゃうと、ものづくりの祭典なんです、なのでモノ作りが好きで好きでたまらない人が自分が作ったものを見せ合う場なんですね、よく勘違いされるのがそれっていつ売り出すんですかっていう質問が来るんですけども、売らないんです、単に作ったものを置いて見せて、すごいでしょって見せてすごいねって言ってもらう、それで終わりなんです、たまにそっから楽しみがビジネスに繋がったりとか、売ろうって考える人もいますけども、むしろそのような方が少なくって、とにかく楽しいから作ってみた、この作ったもの素晴らしいでしょってのを見せ合う場がメーカーフェアなんですね
私このつくばという街に住んでますが、研究学園都市として有名で、つまり国のお金で作った、計画的に作った都市なんですね、なので研究所理路整然と並んでいて、ものすごい巨額の研究費が投入されて沢山の研究成果が上がっています、だけど何が足りないかと言うと野性味が足りないんですね、野生の研究者って話しましたけども、ゼロなんですよ、ただ面白いのはそういう雇われてる研究者の中にも、実は家に帰ると野生の研究者に早変わりって人がたまにいるんですね、僕が面白いと思ってるのは、家に帰る時その研究者っていう人がやっぱ面白いと思っていて、昼間なんかたまにいますよね、仕事でプログラミングしていて、土日になると、疲れたから趣味のプログラミングするとか、そういう人たまにいますよね、そういう感じで、土日は趣味の研究してる人がたまにいまして、そういう人たちがやってることってめちゃくちゃ面白いですね、そういった人たちが集まってお互いに見せ合う場なるといいなと思って作りました
最後繰り返しになりますが、まぁこれですよね、やってほしいこと、で、さっき僕が自分なりに高校生の頃からずっとパソコン通信やってきていて、それが元となってインターネット上の情報共有に興味を持ち、ある意味、偶然が重なったようにも思える訳ですが、91年という入学した年にワールドワイドウェブが生まれて、それを広めていくといったことをしているうちに、自分の仕事というものが見つかったんで、これってやれと言ってやれるもんではないし、それは無責任なことになってしまうので自分でそれは判断して欲しいんですけども、というのもこれが未来になると真実になるはずだって信じて行ったことが、後になると外れちゃうことだってあるわけです、自分がどれだけ信じても信じる強さによってそれが変わるかというとそうでもないわけですからね
なので、自分なりにこうだろうって言ったこと探すのは絶対大事です、だけどもそれと同時に今この瞬間これが次受けるかなみたいなことを同時に柔軟に考えることも大事なんです
という幅広い視野を持った上で、自分なりのテーマを見つけるといったことがとても大事で、是非そのテーマを見つけるって事はとても重要だし、それこそ大学生の間という意味じゃなくって、職業に着いてからもずっと大事なので、ぜひ自分なりのテーマを見つけるといってことはやってほしいと思います
で、仲間を見つける、特にこの3番と合わせて言うと、大学の外にも仲間にみつけるのは大事ですね、やっぱり新型コロナウイルスがあるので今こんなことになっちゃってますけども、直接会うのは大事ですね、たまには大事ですね、サークルとかも大事だし研究室もだいじですけども、なんだかんだ言って何が大事かっていうと、溜まり場があるかなんですよ、なので今この瞬間はかなり皆さんかわいそうで、研究室でゴロゴロしてて、そういえばこの本読んだとか昨日めっちゃ面白い何か見つけたんだよねとか、そういったことが未来につながる新しい情報だと思っていて、それができるのが大学の一番いいところなんですね、願わくば大学の中でそういう場を持ちつつ大学の外でもそういう場を持てるといいなと思っています
これ最後のスライドですが、紹介しますと、これアランケイという研究者、コンピュータ学者のスライドですが、パーソナルコンピュータの父と呼ばれてます、これ手に持ってるの何かというと、dynabookっていう風に書いてるものなんですね、どう見てもこれipadじゃんって感じするかと思うんですね、だけども興味深いのは、このどう見てもipadみたいに見えるものがパソコンよりも前にあったところです、もうちょっと正確に言うと、例えば1980年にマッキントッシュってコンピュータが生まれました、それがだんだん短く今ではマックって呼んでますね、でも1984年に生まれたマックは、1970年代に作られたアルトって言うゼロックスパロアルト研究所で作られた、コンピュータワークステーションを真似したものですね、そのアルトって言うコンピューターはこの今彼が手に持っているこのどう見てもiPadにしか見えない紙の板、これ紙でできてます、この板を目標として作ったものです、なのでipad出た時に事情をよく知ってる人は同じことを言ったと思うんですが、ようやく出発点に戻ってきたと、つまりアランケイがこういったものが欲しいと言っても、こういったものを彼がまさしく今手に持ってるこれが1960年代に作ったものなんです、なのでその長い長い時を経て我々はこの出発点に戻ってきたわけですね
なので彼の言葉ですが、未来を予測する最良の方法はそれを発明してしまうことだ、ということで、これをぜひ皆さんやってほしいし、こういう目標設定で研究者に私はなってきたし、ぜひ一緒にこれをやっていきましょうということで講義終わります、ありがとうございました

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