第4回2 門松貴さん (内閣官房)

内閣官房長官秘書官の門松と申します。よろしくお願い申し上げます。
まず、1年生の皆さん、ご入学おめでとうございますということとともに、新型コロナウィルスの感染拡大という、難しい環境下で授業がはじまっている状況、本当に大変だと思います。是非頑張っていただいて、この環境が好転したら、素晴らしいキャンパスライフが待っています。こういったつらい経験、そしてその後の成長含め、それが、皆さんの未来に何かしらつながることを願っています。いずれにせよ、ご入学本当におめでとうございました。
それで、皆さんに本当に申し訳ありません。私の今の仕事、どうしても平日は、職場を離れたり、数十分とかでも時間をとることができないんで、今日、 土曜日に授業ということになりました。通常の曜日でなくて本当に申し訳な いです。また、松尾さん、土曜日に巻き込んでしまい、本当にもうしわけあ りません。 でも、せっかくの機会なので、何か皆さんのお役に立てればと思います。 質問等、最大限お答えしますので、お気軽になんでも聞いてください。よろしくお願いしたいと思います。 さて、私、他のこのSFCスピリッツの先生方の中で、一人だけ極端に、いわゆる「硬い」仕事をしているわけです。逆に松尾さんが一番やわらかいかもしれませんね。 そんな中で、硬い仕事をしている私の今日の授業のタイトル、これまで私がやってきたことを一言で言うと、「つくるためにこわす」です。この授業のほかの方々、何か「新しく作り出す」という話が中心になっていると思います。一方で私、今回の授業の準備してたら、この26年間、「こわす」ことを多くやっていて、どうしてもそれが説明の中心になってしまうんです。ただ、 私が申しあげたいのは、「こわす」ことが目的ではないということです。 新しいもの、制度、社会を「作る」ために、そのプロセスとして古いもの を「壊す」ということ、これが、いわゆる「改革」なんだと思います。これまで私がやってきたことを通じて、新しく作るために壊す、この感覚を理解していただければ幸いです。
じゃ、まずは、現在の私の仕事、その前提として官房長官の仕事の説明を したいと思います。 皆さん、この方、ご存じですよね?
菅義偉内閣官房長官 です。 官房長官になって7年5が月、歴代最長記録をすでに超えています。 菅長官、本当にまじめでストイック。一緒にいて本当に勉強になります。見た目で「怖い」と思われるかもしれませんが、非常にやさしくて、どんな方にも気を使っておられます。秘書官として菅長官にお仕えしたのは、ほんとにラッキーだったと思っています。
折角なので、官房長官がどんな一日過ごしているのってのを、ちょっとご紹介して、官房長官なり、私の仕事のイメージをしていただければと思い ます。
菅官房長官、毎朝5時起床です。新聞とニュースのチェックをされるととともに、なんと腹筋100回するそうです。御年71歳ですが、ほんとに体力あります。 で、SPさんと私が、毎朝6時30分ごろお迎えに行きます。その後、40分間、3人で散歩します。この時間が菅長官にとってのリフレッシュタイムです。
散歩のあと、例えば政治家、企業の方、マスコミ等々、いつも違う方々と朝食をとりながら意見交換をします。これは菅長官にとっての情報収集・勉強の場として非常に重視されています。通常時であれば、朝だけでなく、 昼食もそうですし、夜に至っては毎日2件は入っていますが、今は緊急事態宣言下ですから、ちょっと違いますが、通常時はこのような意見交換をされます。なお、菅長官は、お酒飲めませんので、夜もちゃんと勉強モードです。 ちなみに左下の写真、パンケーキ食べてます。長官、甘いものが大好きで、 たまにこういったものを朝食なり昼食なりで食べておられえますが、そういえば昨年、テレビ東京さんの「アド街ック天国」で、長官がこのパンケーキ好物だってのが流れたことがあります。その結果、確かその前の1年間で売れたパンケーキが300食分くらいだったそうなのですが、その放映後は、確か2か月足らずで2000食出たそうです。妙なところで経済 効果を発揮しておられます。 さて、それで意見交換の後、毎日9時ぐらいに、総理大臣官邸に入ります。 その後、各省庁からの説明などが、分単位で立て続けに入ります。寸分の 暇もない感じで仕事をしています。
で、午前11時。毎日定例の官房長官会見の時間です。左上の写真、これは会見の直前、会見場の横で、秘書官と最後の打ち合わせをしているとこ ろです。
秘書官は、官房長官と一緒にいて、直接長官をサポートするのが仕事で すが、私も含めて各省庁から来ている秘書官が6名、そのほかにもともと の菅衆議院議員の秘書が1名、計7名で、協力して仕事を進めています。 この会見、官房長官は本当に大変ですが、秘書官にとっても大仕事です。
会見に向けて、毎朝、新聞各紙に出ている大きな記事など、担当する各省庁から話を聞いて、資料を作成します。会見の時は、右上の写真のように、 官房長官が持っているファイルに入れています。
その後、昼食です。この日は意見交換の会合ではなく、秘書官と蕎麦屋さんですね。長官、食べるのすごく早いです。このそば程度なら5分で食べて外に出ます。
それで、この日、午後1時に国会に行って答弁をしています。秘書官は、私後ろに写ってますけど、通常のカバン以外にも、大量の書類を持っていくので、めちゃくちゃ重い。筋トレのような状態になります。
国会から戻りますと、また各省庁から説明等があり、そして16時から午後の長官会見です。その後18時ごろ官邸を出ます。外部の方と意見交換のあと、ご帰宅され、就寝は24時ぐらいのようです。 こんな感じで1日を過ごしておられます。
さて、今お話しした長官の一日は「平時」ですが、一方で、「危機管理対応」 というのも大きな仕事です。例えば、大きな地震などの大規模自然災害、 また、ミサイルが飛んでいましたし、更に、感染症問題もそうです。今回は当然ながら影響と規模の関係から総理と全閣僚でやっていますが、危機管理の全体的な総合調整の観点で、初動対応は官房長官が対応の陣頭指揮を執ることになります。 例えば上の写真、これは昨年、1月3日でまだ正月休み中でしたが、熊本に震度6弱が発生した際、地震発生から1時間以内に第一回の会見をしています。土日祭日、深夜でも同じです。一昨年の北海道胆振東部地震は、午前3時過ぎでしたが、同じように対応しています。その後、左下の写真ですが、関係閣僚会議などが開催され、政府全体としていち早く対応方針を決定します。 また、北朝鮮のミサイルが日本を飛び越えるような場合は、菅官房長官は、 だいたい発射から30分以内に会見をスタートしていました。これは、まだミサイルが飛んでて、落ちる前の状態です。ですから、この時期は「菅官房長官はスーツを着て寝ている」とまことしやかに言われてました。ほんとはそんなことはないのですが、それぐらい全速力。だから秘書官も全速力。 必死です。 政府みんな全速力ですから、それを報道するマスコミのみなさんも大変で す。皆様本当にまじめに頑張っているわけですが、時間がないので、たまに意図しないことが起こります。例えばミサイル発射の後の会見、右下の写真ですが、NHKさんが、「官房長官 おき諸島から約300キロの日本海に落下か」とニュース速報を流しました。その結果、「官房長官が海に落ちた!」と勘違いされる方続出。数時間後にはネット上で菅長官が海に落下した合成画像だらけ。報道の影響ってほんとにすごいなぁと思います。
さて、ここから、これまでの私を振り返りながら、今日のタイトル「つくるためにこわす」について、具体的に何を壊してきたか、という話をしたいと思います。
まず、壊す話の前提として、簡単に私の経歴です。
1971年、昭和46年生まれの48歳。
90年、平成2年、東京の本郷高校を卒業しまして、環境情報学部に入学
しました。1期生です。で、石井威望先生の研究会に入りました。石井先生、システム工学などの日本の第一人者の方で、石井先生の情報技術の社会への応用の授業、大変面白くて、それで研究会に入り勉強してました。
卒業して、通産省、現在の経産省に入りました。公務員の世界では理系を 「技官」と呼ぶんですが、総合職の技官として通産省に入りました。でも入ってみると、法学部や経済学部出身者とほぼ同じ仕事をしまして、例えば、自動車とか、石油とか、マクロ経済などを担当しました。
で、2005年に留学させていただくことになり、1年目はスタンフォード大学の研究員、2年目は、ワシントンDCにあるジョージタウン大学で公共政策大学院の修士課程に入りまして、1年で修士号をとりました。 帰国後、経産省に戻ったあと、2010年に内閣官房の国家戦略室で民主党政権での中長期戦略を作る仕事をした上で、第二次安倍政権のスター トから官房長官の秘書官、官房長官の直属のスタッフとなり、総理大臣官邸で、現在まで7年5か月間仕事をしているということです。
で、話に入る前に、いつもは私は皆さんにこんな質問するんです。「あなたは、文系ですか?理系ですか?」 それで、皆さんに文系、理系、どちらでもない人、と聞きます。
SFCでは「どちらでもない人」で手を挙げる方が多くて安心するのですが、でも、この質問が成立する学部って、SFCぐらいで、あんまりありません。慶應はほかの学部では絶対に成立しないですよね。だって学部でどっちか決まっているんですから。
一方、この質問、私にとっては、一番難しい質問です。 私が文系だか理系だかちゃんと説明しようとすると、こんな表がいります。話は小学生からはじまります。中学受験をしたのですが、その時、算数と
社会が得意、国語と理科が苦手。すでに文系だか理系だかわけがわかん なくなってます。 次に高校2年生。文系理系分かれるのですが、英語、数学、物理はできたので、迷わず理系を選びました。ところが、私、化学が本当にダメでした。 本質的に理解できてなかったんでしょうね。そんな中、受験の情報を見ると、早稲田慶應上智レベル以上の学校は、理科は物理と化学の2科目が 必須。これ、化学を考えれば、俺、早慶無理なんだ...と思ったわけです。 一方で、更に気づきます。文系の経済学部は、数学が重要らしい。調べると、一橋と慶應経済は英語と数学の配点が高い。お、いけるかも!と思ったわけです。その結果、高校3年生で文転します。 そんな中で、秋ごろ、駿台かどっかの模試を受けた時、妙な赤いパンフレットがおいてあったんです。SFCって書いてある。なんだろとおもってみたら... 「慶應が新学部を作ります!」と。は、さらに受験科目は、英語か数学のどっちかと小論文。お、受けられる!ここも受けよう そんな程度で受験したんです。更に言えば、私の時は、慶應経済の試験日が2月19日。 総合政策が20日。環境情報が21日。なんか二日連続で試験受けるの疲れそう ってだけで、環境情報学部を受験した、受けた理由、それだけなんです。 そしたら、一橋と慶應経済は落ち、環境情報だけ合格。じゃ、環境情報行きますか ということにしたんです。つまり、なんで門松は一期生でSFC来た んですか?って聞かれても、私は「他落ちたから!」、それに尽きます。だから、今の多くのSFCの方のように、目的をもって「これをやりたい」と思って入ったような皆さんを見ていますと、ほんとに尊敬します。 ちなみに、その赤パンフレットで思い出すのが、はじめのほうのページに 「湘南の塩の香りが...」とか書いてあったんです。へえ、さすが湘南と 思って入ってみたら... 牛の香りしかしない!ある先生、関口一郎さん だったと思いますが、「ひどいじゃないですか」と言ったら、「違う、豚の香りだ」と怒られまして... とんでもないところに入ったなあと思った記憶あります。 で、SFCに入って、総合・環境の両方の授業をとっていましたが、特に、 情報関連の授業が成績もよかったんです。そんな中、3年生の時、研究会の石井先生と話していたら、「君は文系も理系もできるんだったら、 通産省に理系で入るといいんじゃないかなぁ」とおっしゃる。そして、先生が通産省の技官の方を紹介してくれて、話を聞いたらすごく面白かっ た。その時点まで、自分が公務員になろうとは1mmも思ったことありませんでしたが、ま、チャンレンジしてみようと思って、公務員試験を受けて合格しました。 これで技官として通産省に入るのですが、さきほど申しました通り、ほとんど理系的な仕事はしていません。更に留学すると、公共政策大学院ですから、最終学歴は「文系」です。 そうそう、私の留学先でとった学位、Master of Policy Managementって 言います。お気づきのかたもいるかもしれません。総合政策学部の英語名もPolicy Managementですから、私、経歴上は、学部は環境情報、 大学院は総合政策みたいになっています。いよいよ何がバックボーンか普通の人にはわからない。 で、現在の仕事は秘書官。文系的仕事です。しかし、技官は、やめるま で、法令上「技官」の位置づけが消えません。 その結果として、私、憲政史上初の、技官で総理大臣官邸の秘書官になりました。憲政史上初です。その前の国家戦略室なんかでもはじめ ての技官でした。図らずも、初の「理系」ってのを、どんどん開拓していっていて、結果的に文系・理系の壁を壊しまくる人生になっていまし た。
ある意味、SFC以外の感覚に立てば、私は文系だか理系だかわからなくなったこと、これが人生最大の失敗かもしれません。というのも、中学受験は苦手科目がひどいのですべて落ちました。高校受験、早慶付属校受けてことごとく落ちました。大学、SFC以外落ちました。更にですよ、 留学も、ハーバードの公共政策大学院、ケネディースクール、落ちました。文系だか理系だかわからない半端なことをやり続けた結果、人生をかけて壮大に受験を失敗し続けるこんなことになってしまったわけで す。 ただ、珍しく合格した2つ、SFCと経産省、この二つが本当によかった。この2つがないと今の私がないのは明らか。逆に、この2つが、文系だか理系だかわかんないやつが活躍できる場だった。そういう意味で、本当に自分はラッキーだったと思いますし、文系理系わからん人生を貫いてもよかったかなぁと思います。
ここで、私なりに、この30年の時代の変化と、文系理系の壁が壊れることとの関係をまとめました。
90年代から、日本では、生産年齢人口が減ってきました。こうなると、少ない人数で多くの仕事をこなしていくことが必要になります。昔に比べて一人 一人やる仕事が多くて忙しくなる。
更に、情報技術の進展によって、必要な情報が素早くどんどん手に入り、 素早く世界とやり取りできる。こうなると、どんどん仕事の効率、スピードを上がることで、更に、単純に1つの組織・部局が対応できないような、複雑な問題もどんどん発生する。 つまり、80年代までの枠組みを超えて、少ない人数で、よりスピードアップして、より効率的に、そしてより難しい問題に挑まなくてはなりません。 なので、例えば経産省では、2001年、基本的に事務官・技官の枠をなくしました。仕事増えて忙しいけど人数は減ってるから枠なんて言っていられなくなり、文系でも理系でも関係なく、能力によってどんな仕事でもすることになりました。その結果、私のような文系だか理系だかわかんない人間でも、しっかり頑張ると、しっかり結果がついてくるようになりました。その意味で、ほんとにやりがあるがある仕事をさせていただいたと思います。 これ、民間企業も含め、時代の趨勢なんだと思います。
次に、組織の壁を壊すという話です。で、こちらは内閣の行政組織図です。 図の真ん中の上あたり、紫で内閣官房ってのがありまして、私が今いるところです。内閣全体の総合調整、とりまとめをしていますが、2000年以降、 役割が増しています。
90年代までは、各省庁が個別に仕事をし、問題意識、ものの見方や視点がみな違うわけですから、結果的に各省庁仲が悪かった。ちょっとでもほかの省庁に関係することをやろうとすると、「それは俺の仕事だ!そんなことされたら邪魔だ!」ってすぐ喧嘩。徹夜で議論というか言い合いをずーっと続けて、最後に覚書という文書をまとめる、今考えれば「なんて無駄」と思うようなことを平気でやってました。 特に、私の出身省庁である経産省、ほんとにほかの省庁から嫌われてま した。だいたい、経産省って採用基準が「体力」と「口の上手さ」だけなんじゃないかってくらいでで、やたらみんな元気。イメージでいえば、頭は出木杉君、体と性格はジャイアンそんな奴がいっぱいいるんですよ。そんな奴らやでしょ?SFCをはるかに上回る「動物園」。そんなんでほかの省庁にずばずば物言っていく、そりゃ嫌われるよ。 例えば、IT政策って、総務省さんと経産省、めっちゃくちゃ仲悪かったんで す。常に徹夜で喧嘩しているし、例えば海外で大きな国際会議あったとす ると、常に日本から大臣が二人行く。こんな非効率では、時代のスピード感についていけないですよね。あんまりだったものですから、内閣官房にIT戦略本部を作って全体のとりまとめを行うことにしました。同時に、時の政権が荒療治をして、経産省の担当部局のNO2と、総務省さんの担当部局のNO2を入れ替えました。この人事交流によって、相当両省の話が通じるようになって、かなり効率的になりました。 ちなみに、はじめて総務省さんから経産省に来ていただいた方、桜井さんっていう方ですが、大変人徳者で、優しくて、しっかり仕事をまとめられる。
本当に素晴らしい方でした。桜井さん、後に総務省に戻られて、事務次官になられます。そう、嵐の桜井さんのお父さんですね。本当に桜井さんには、経産省はみんな、本当に感謝しています。
さて、こちらもこの30年の変化との関係を考えてみます。
人数が減る、IT技術で仕事のスピードアップ、問題の複雑化こうなれば、政府の各省庁でもめている時間なんてなくなるんです。それでは民間、更には世界に取り残されます。
だからこそ、いち早く結果をだすためにどうやったら効率的か、組織の枠を超えてみんなで考えていく必要があります。 先ほどのIT政策の話もそうですが、必要なら人事の流動化をどんどん行くことで、協力して結果を出す体制に変えていくことが不可欠です。 民間企業でも同じで、大きな会社など、多かれ少なかれ組織の縦割りがある中、それを超えていかないと、結果を出すことが難しくなってきています。 それまでの組織の枠を超える、時代の変化とともに、それをどんどん進めていかなければなりません。
さて、壊したもの3つ目、これは「古い規制やしがらみ」ですね。 役所と言えば、「古い・固い」という印象があると思いますが、事実、世の中の流れにあっていないものはいまだにあります。これを改革して日本を前に進めていく必要性、よく言われていると思います。 で、経産省に入って以来、規制改革をたくさんやってきました。
それで、規制改革に関して言えば、前回の授業で、千葉さんが、ドローンと規制の話をされたんじゃないかと思いますし、この後も、駒崎さんが、こども周りの規制改革の話をされると思います。まさに、それがいい事例だと思います。スピードアップと問題の複雑化で、それまでの政府の規制では想定していないモノやビジネスが出てるわけです。
その時、昔の規制をそのまま運用していては、ビジネスも発展しない、世界に取り残される、そんなことになっていくわけです。民間の迅速な技術発展を邪魔しないよう、政府はこれまで以上に素早い対応が求められます。
これまでの古い規制の整理、緩和すべきは緩和し、場合によって作るべき規制は作るといった規制改革を早くやらないと、千葉さんたちのアイディアに水を差すことになりかねない。一方で、気を付けなければならないのは、 多くの規制は、あくまで「国民の安全・安心を守る」ために作られているので、その部分の政府の責務はしっかり果たさないといけません。ですから、 規制改革特区とか、「サンドボックス」と呼ばれる規制改革の実験場、こんなものを用意して、安全性を担保できるように迅速に対応する仕組みを作っています。いずれにせよ、前向きなアイディアを実現すべく、政府も、 しっかり急いで対応していく、これが大事なんだと思っています。
これまで私の経歴と「こわしたこと」のお話をしましたが、それを踏まえて、 今、これまでやってきた具体的な政策を見ていただいて、政策をどう動かすか、また、具体的に政策を動かす際のプロセスについて、理解いただければと思います。
さて、自動車の燃費規制の話をします。多くの皆さんが生まれる前、97年から98年と、2001年から2003年くらいの話なのですが、私は自動車の燃費規制を策定するチームの一員でした。
そもそも、自動車って、便利ですし、バスなど公共交通としての役割、また物流という観点からも、社会経済になくてはならない存在です。
他方、自動車に起因する社会的問題もあるのはご承知のとおりです。このスライドにあるように、大きく分けて、自動車安全の観点と、環境問題の観点があると思います。 今日お話するのは環境問題、特に地球温暖化の問題との関係です。
自動車が走る、その際には、電気自動車などでなければ、多くは、ガソリンなど石油を燃料として走るわけで、その燃料が燃焼するわけですから、それによってCO2が排出されるわけです。無尽蔵にエネルギーを使い、CO2 を排出するわけにはいきません。ここで、燃費規制という話になります。
燃費というのは、例えば1リットル当たり、車がどれくらい走るかって話です。 現在の車、当時に比べて相当燃費がよくなっています。ハイブリッド車であれば1リットルで30km以上走るのも普通でしょう。少なくとも、日本の自動車メーカーの燃費に関する技術って、世界を大きくリードしています。 しかし、当時を振りかえると思い出すのが、私のSFC時代の親友、スポーツカーに乗ってましたが、1リットルで3kmくらいしか走りませんでした... その車は極端ですが、ま、使う燃料が10倍ですから、なんとか燃料使用を 削減して、温暖化防止を進めていきたいと思うわけです。
それで、97年に、京都で、地球温暖化防止京都会議、COP3が開催されま した。ここではじめて、先進国で、国ごとに温暖化物質の削減目標を設定することになり、すべての分野での温暖化対策を抜本的にすすめることが義務となります。 その観点で、自動車燃費規制を大幅に強化していくこととなります。 燃費規制を厳しくすべきだってことは皆その方針なのですが、ここでのポイント、それは、どう強化していくかです。 それまでの規制は、どこの国も大体そうなのですが、平均燃費規制という 手法をとっていました。現在、売られている車の燃費を比較して、その平均値を下回るような燃費が悪い車、それを一定期間後に売っちゃいけないとか、そんな規制が普通でした。一方、当時、カリフォルニア州は、州の規制として、車を販売する会社は、すべての販売する車のうち、電気自動車な ど走行中に全くCO2や排気ガスを出さない車を一定量売らなきゃいけないという規制をしていました。ただ、これ、そうはいっても、電気自動車高いし、 多数の電気自動車等が生産されていなかったし、電気自動車にできない車種もいっぱいありましたから、結局延期や緩和を繰り返していて、実効的な規制であったかという点に疑問が残ります。 つまり、通常の規制の手法で抜本的に温暖化対策を強化するとは言えない、一方で、厳しくしたらそれでいいかというと、実効的な規制にならないということであって、その間でどういう規制を作っていくべきなのか、そこがポイントであったわけです。
ここで、僕ら、「トップランナー規制」というのを打ち出しました。 どういうことかというと、まず、現在市場にある自動車のうち、最も燃費をいい自動車をベースにします。さっきの平均燃費規制は、平均の車を考えてましたが、ここでは、トップの車を考えます。
で、更に、今後の技術開発動向を見据えて、将来の燃費向上の可能性を見積もります。そのうえで、その技術の普及等を考えて、規制の目標年次 を、5年から10年後と、将来に設定します。 こうすることで、今後の技術開発の方向性を示すことになります。
要は、環境技術って、企業にとっては追加的なコスト、莫大なお金かかるわけですから、何かしら導入する外的なインセンティブ、きっかけが必要です。規制、これは全社平等にかかるわけですから、導入を促進することができるわけです。 この規制、結果的には大変成功して、日本の運輸分野のCO2排出量押さえられましたし、同時に、ハイブリッド技術など、日本の自動車メーカーが環境技術で世界をリードするきっかけとなったので、本当によかったと思っています。 ただ振り返れば、当時、この規制入れるときは大変でした。世界でこんな規制したことなかったですし、自動車メーカーは反対ですよね。コストかかるわけですから。また、外国メーカーからすると参入障壁だってことなるわけですが、これは平等にかかるので違う!と国際交渉でやっていくわけですけど、これも手間はすごかった。一方で、環境を重視する人は「それは甘い!カリフォルニアよりも厳しい規制を!」とか言っている。そんなことできるわけないんですが。いずれにせよ、そんな中で、相当、学者の方から話を聞いて勉強し、論理武装し、議論をたたかわせました。 で、私、自動車技術、大学の専門などじゃないから詳しくありませんでした。 もっと言うと、私、ずっとペーパードライバーです。それでも、専門の学者さ んと話ができる、議論できるようになる、その上で自動車メーカーとも交渉できるようになり、また、様々な方に説明して説得できるようにならな ければなりません。ここは、一から勉強するのでは遅いので、先輩や関係者、特に、早稲田大学の大聖先生と東京大学の石谷先生には大変 お世話になり、相当ご指導頂きました。あ、ちなみに、その石谷先生は、 その後東大を退官して、SFCの政策メディア研究科の教授になられたん です。なので私、ゲストスピーカーでよく来ていました。 なお、「チームワーク」という点で見ると、この関係者、まず、過半数は法律が専門で経産省に入ってきた人です。その多くは東大法学部出身。 ですから、法案策定作業は彼らが中心になりますが、当然ながら彼ら は実態をわからないと立法できない。だからこそ、一番の中心人物は東大の機械工学科の出身で自動車に強い方で、経産省でも伝説的にこの分野に強い方でスーパーマンでした。他にも機械工学わかるやつ 数名。じゃ、私、ここでどう貢献できるの... と思うわけですが、実は私、 業界や他省庁との調整というか交渉が、割と昔からうまかったんです。 また、なんか審議会を開いて報告書をまとめる、その作業がなんか他の方に比べて得意で、そこで中心的にやることで、最終的に目標を実現できたのではないかと思います。要は、チームでみんなの強み・弱みを認識し、強みを生かし、また将来に向けて弱いところを克服していく チーム作り、これがうまく機能したのかぁという気もします。 いずれにせよ、私に関して言えば、このプロセス、人の話をしっかり聞 いて、考えて、自分が責任者として論理的に話ができるようになる、このプロセス本当に大変でしたが、今振り返ると、自分の財産になっていると思います。
さて、今後の自動車技術を考えてみれば、写真にあるような自動運転、月曜日に渡辺さんが車のデザインの話をされたのかな、そのように、これもう多少なりとも始まっていますので、その規制をしっかり考えなければなりませんが、政府がちんたら考えていてビジネスを影響を与えるようだったらダメですよね。政府も全速力でしっかり対応していくことが求められます。また、よく考えれば、千葉さんのドローン、あれ考えたら、ドローンのような 「空飛ぶ車」って、今後出てくるはずです。これも、すでに国交省と経産省 が研究会を開催して、その後の規制まで含めて議論していると思いますが、 そういった政府の対応も極めて大事だと思います。いずれにせよ、昔とは違います。政府も全速力で対応していくことが必要だと思います。
さて、次のケースは、菅官房長官と私で進めた個別の話の例です。今回のコロナ問題の前は、大幅に訪日外国人の方々が増えていました。そのような中、外国人にとって、「日本語が訪日への壁」となります。さらに、アジアの方々を考えれば、「英語」だけの対応だけでは、十分とはなりません。 そんな中、政府の「経済財政諮問会議」という会議で、ある委員の先生が、 こんな話をされます。「外国人が増えている中、英語でビジネスなどの高度な会話をするのは大変でコスト。そんな中、東大の松尾先生から、 ディープラーニングという技術を進化させていけば自動翻訳も高度化するということを聞いた。自動翻訳が進めば、外国語習得のコストをほかに使 えるので、本当に日本人の生産性が向上する」と。 確かにそうで、自動翻訳、音声翻訳で言葉の壁を越えられるのなら、どん どん使えばいいわけです。 様々ソフトはありますが、総務省の独立行政法人、「情報通信研究機構」、 NICTという組織が、国の予算を元に「ボイストラ」という音声翻訳アプリを作 成して、無料で配布しています。これ、思ったより使えます。 (>今日はすいませんが、機材の関係で使うとハウリングするので、実演しませんが、ご興味がある方はインストールしてみてください。) 29か国語対応で、実際に、旅行と、急病の際の医療のレベルであれば、 かなり使えます。コロナの現在の事態が鎮静化した後で、皆さんもぜひ使っていただければと思うのですが、 他方、やっぱり役所っぽかったんです。全然ちゃんと宣伝してないし、作った後の広報戦略等がない。 このため、まず、官房長官から観光の会議で指示してもらって、観光庁と組んで関係者にどんどんつかってもらった。例えば、地方自治体、例えば飛騨高山、ここの観光関係者みんなに使っていただくことにしました。好評 です。その取り組みはどんどん広がってまして、例えば、この近くで言えば、京浜急行さん、すでに使っています。
さて、その後、官房長官と私で、東大の松尾先生から話を伺いました。 ディープラーニング技術がどういうもんで、どのように自動翻訳が進化するかって話でした。
その場で官房長官から、私に意見はあるかと聞かれたので、こう言い ました。
「私、慶應の環境情報学部の一期生なんですが、今のディープラーニングの話、技術的には、私が大学の時に、当時たけふじ先生から習っ た「ニューラルネットワーク」と同じに見えます。当時と今ではコンピュータースピードが全く違って、それこそビックデータ使えるってのはわかるのですが、何が違うんですか?」と伺いました。 そしたら、松尾先生が、「全くその通りで、ニューラルネットワークの考え方が基本だが、それが、この数十年、なかなか自動翻訳に向けたお金はほとんどつかなくて、どんどん海外に引き離されて行く...」というような話でした。大学でのご苦労はよくわかるのですが、官房長官と私からすると、あ、わかった。技術的に実現可能なら、まさに今回は「政策目標」 があるのだから、その達成のためにやろうよ、 ということになるわけで す。
さて、ここで、ちょっとだけ技術的な理解をしていただきたくて、私の大学時代の話をします。
大学3年の時に、冨田先生の「自然言語論」という授業を受けます。冨田先生、現在はコンピュータと生命の関係、いわゆるバイオインフォマティクスの第一人者ですが、当時は、SFCで人工知能論を教えておられました。 で、授業で、当時の、SFCのシステム上にのっていた自動翻訳ソフトを使ってみましょう ということになりましてので、私は、「私の名前は門松貴です」と入力しました。そうすると... “My Name is New Year’s decoration pine you.” そう、俺、訳されてしまいました... 私の苗字の話なのですが、これ、実は、自動翻訳の本質にかかわる話なんです。私の苗字の「門松」、非常に珍しいんです。どうも、日本に1000 人くらいしかいない、割合的には、10万人に1人です。なので私、子供のころからずっと、「めずらしいねぇ」とか、「めでたいねえ」とか、正月になる と「立ってろ」とか言われて、その結果私はこんなめでたい性格になるのですが、それはともかく、一方で、門松って、モノ自体を指しているじゃないですか。これが一つのポイントで、コンピュータからすれば、門松と言えば、 そりゃ、正月に立ってるあれだと認識するわけですよね。まさか人間の苗字だって判別できないですよね。門松が苗字だって状態は、相当量の文の前後関係であったりとか、背景の情報だったりとか、それが相当ないと 判別できないんですよ。だからこそ、コンピュータースピードが速くなり、 ビックデータを扱える今なら、ディープラーニングっていう効率的な検索技術を使えば、門松も背景や前後関係で苗字かもしれないという判断がで きる可能性が広がるってことになります。私の苗字が判断できるような状況、それは相当高度に自動翻訳できるってことで、これによってさらにビジネスとかでも使え、日本人の生産性の向上につながっていくということになるわけですね。
そんなわけで、総務省さんと官房長官、私などでしっかり議論して、まず、 政府の経済運営の方針に、自動翻訳の研究開発促進を位置づけます。
補正予算で研究予算を確保し、松尾先生を中心とした新進気鋭の若手を集めたチームでしっかり研究していただく、更に、NICTさんとも共同で対応して頂くことにしました。 ちなみに、総務省さんと話をしていたら、NICTの理事長、なんと、三年前ま でSFCの環境情報学部の先生だった徳田先生なんです。私、授業何個もとりました。 で、このプロセス、徳田理事長にもすぐにご理解いただいて、とんとん拍子で決まっていきました。 ほんと今の話、図らずも、私の学生当時のSFCの先生が何人も登場するわ けですが、自分のSFCでの知識で、政策が前に動く、こんなにうれしいことはなかったですね。 いずれにせよ、ボイストラ、どんどんヴァージョンアップされていて、更に使いやすくなっていますので、ぜひ、期待していてください。
では、ひとまず、ここまでのまとめです。 まず、「つくるためにこわす」という話、政治・行政分野の言葉で言えば、「創造」のための「改革」です。そのために、プロセスとして、まずしっかり課題を把握する。関係者やチームで自分のできること、そして自分が努力して成長すべきことをしっかり理解して、関連の情報を収集し、論理的に解決策を探っていく。そうすると、新たなものを生み出すために壊すべきものが見えてきますし、おのずと結果が出てくると思います。 皆さんも、これからSFCの生活で、様々な経験をされると思いますが、前向きに、自主的に問題意識を持って、そして論理的に学んでいけば、必ず、 将来しっかり結果を出していくことができるようになると思っています。 皆さんのこれからの活躍を祈念して、ひとまず、私の説明を終わりたいと思います。ありがとうございました。
ここで、OBの与太話で申し訳ないですが、皆様にメッセージです。
平成がはじまって1年後、1期生としてSFCに入った私、キャンパスがほとんど工事中で、先輩もいない。入学時は非常に不安だったのですが、総合政策学部長の加藤寛先生、環境情報学部長の相磯秀夫先生を筆頭に、 先生方がみな、温かく迎えていただきました。そして、加藤先生が、こうおっしゃいます。「君たちは未来からの留学生です」。私、正直その時はあまりピンと来ていませんでしたが、卒業するまでには、本当に、自分たちで学んで、自分たちで作っていく、その力がついたんではないか、そのように思っていました。 そして、平成6年の3月、卒業式の後、シーター館で、加藤先生がスピーチをされました。そのスピーチが、加藤先生の慶應での最後のスピーチで、 先生涙ながらに、感動的なスピーチをされました。ここで、その一説を引用させていただきます。 「この学園を去るにあたって、皆さんにぜひ、その最初の一年のときに味わった気持ちをどうかこのキャンパスに残していってください。そして、翼が疲れたら、またこのミネルバの森に戻ってきてください。そしたら、皆さん方はきっとここでまた憩いを得て、そしてその憩いの上に立ってまた日本のために、将来をつくってゆくことができる。そういう人類と地球を、私たちはつくりたい。このような気持ちを持っております。そうして皆さんがたに、常 に、新しい日本の学問はこうなんだということを伝えていきたいのです。」
国家公務員になって、加藤先生がおっしゃっていたことがより深くわかるようになりました。そもそも加藤先生は、政府の行政改革を抜本的に進めた臨調の委員や、政府税制調査会の会長を務めるなど、政府の中で改革を進めてきた方でした。更に、大学改革を進めるため、ご自身でSFCづくりを進めたわけです。まさに、自ら責任をもって、大学でも、政府の中でも改革を進めた方です。
一方、私、政府の中で改革を進めることが多かったのですが、改革への苦難があって大変な時ほど、カトカンの話、思い出すことがありまし た。ほんとに、私が官僚だからと、中身も見ずに勝手に守旧派と決めつける人もたくさんいます。官邸で働きはじめたらなおさらです。でも、SFC からの信念を曲げずに、新しいものを作り出すために改革していく、そ のために必死に仕事をして、結果を出してきたと思っています。更に現在、菅官房長官、本当に信念として、改革を進めることに注力されていている方であり、私はSFC以来の同じベクトルで仕事を進めることができています。そうやって、SFC、経産省、官邸と、平成の時代を駆け抜けてきました
加藤先生は、改革に抵抗する方々からのプレッシャーが激しい中で、 信念を曲げずに進めてこられました。私の分野では、それが、SFCスピ リッツの原点だと思っています。 私もその思いを忘れず、これからも日本のために頑張りたいと思ってい ます。
また、この授業のメンバーはもちろん、多くのSFCのOBにとっても、SFCがあったから、今の自分がある、そのように考えていると思います。僕らにとっては、SMAPの歌ではありませんが、今、「未来からの留学生」と 言っていた頃の「未来」にいるわけです。あのときSFCに留学していてよかった、本当にそう思います。加藤先生をはじめ皆様方、本当にありがとうございます、そして引き続き、みんな前を向いて、時代を切り開いて いこうと思います。
時代は令和の時代になりました。今聞いていただいている学生さんも、 ぜひ、新たな時代を、自力で切り開いていってください。そのために、今は困難な時間を過ごされていると思いますが、それも糧に、SFCでぜひ前向きに、学び、遊び、楽しんで、未来を切り開くすべを身に着けていっていただければと思います。
最後に、夜空の向こうで笑っていらっしゃるであろう加藤先生、引き続き、 未来からの留学生を見守っていただければと思います。 以上です。

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