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【劫火の教典】頂いた質問①

劫火の教典について語るのはかなり久しぶりですが、こちらもご質問いただいたので答えていこうと思います。

予定していた本当の結末などはあったの?

これは…正直なところ、ありませんというほか無いかも…
そもそも劫火の教典はかなり特殊な連載形態を辿った作品なんですね。
マンガワンで連載を追っていた方とかはご存知かもしれませんが、コミックス1巻の1話、あれは本来の1話ではありません
ちょっと事情があってコミックスが手元に無いので何話になってるかわかりませんが、時代が進んで、光光会の残党が死刑になったり、恭一が特攻服を着てねねの元に現れる話がありましたよね。
あれが連載上での1話です。
単行本で初めて読んだ方は意味がわからないと思います。
そこから王崎のライブくらいまで連載したところで、僕がちょっとこれ描くの限界です、ということで編集部に泣きついて、仕切り直させてもらって再開したのが、コミックスの1話からの光光会編なんです。
描くの限界だった理由はここには記しませんが、4巻とかでその理由の一部を誰かが代弁してるかも…
それにしても仕切り直しさせてもらえたなんて、すごくアクロバットな事をやってくれる編集部です。
光光会編を描くのは楽しかったです。お察しの通りモチーフがあり、劫火の教典の元の企画自体はその辺をもっと掘り下げたり、あの教団がマジで国家転覆させてたらどうなってたの?みたいな事をやる、というのがコンセプトでした。
ですが結局原稿料はいただいているので、元々の現代編を無かったことには出来ず、あのようなエンドへと繋がっていきました。

劫火の教典に関する噂

僕も普段は恥ずかしくて絶対言いませんが、エゴサーチはします。
劫火の教典に関して、マンガワンのアプリ上やネットの感想を覗いてみると、時々書かれていることがあります。
それは、「宗教団体から何らかの圧力があったのではないか」という噂です。
気持ちはわかります。僕もそういう系の話が大好きだからあんな漫画を描きました。
ですが…
そういった話は全くありません。
作品の方向性が途中で変わったように見えるのは、前述の大幅なテコ入れのせいです。そのテコ入れは僕が望んだからですし、連載が終了したのも僕の実力によるところです。
面白い話でなくてすみませんが、なんだか編集部や、一応某宗教の方々にも申し訳ないので一応書いておきました。

宗教を扱うことの難しさ

劫火の教典という作品に関しては、ちょっと僕の覚悟が足りていなかったかな、という感じです。
光光会編は描きたいテーマを扱えましたが、そもそもそういう話題は非常にセンシティブで、エンターテイメントとして扱うならば細心の注意が必要です。
それは圧力をかけられたり命を狙われるから、ということではなく、実際に人を傷つけてしまう可能性があるからです。(絶対に人を傷つけない創作というものは存在しませんが…)
善悪をデフォルメすると、作家としては面白い話を作りやすいです。
完全なフィクションならばそれで良いですが、現実はもっと混沌としています。
「宗教は全て欺瞞」という価値観は間違っている。
そういう考えを「懲役339年」で示したはずなのに、次の作品を描いてるうちに、どうしても「光光会」という宗教組織や、それを利用する王崎を悪役として描かなければいけないジレンマに陥ってしまったんですね。
もちろん、僕にもっと実力があればその辺りを単純化せずに話を面白く出来たかもしれませんし、単純な話連載の準備期間をもっと設ければよかった話なのかもしれません。ですが、当時の僕はその辺りを上手い事やれませんでした。連載開始時、見切り発車を不安に思ったのですが、同時に自分は器用だからなんとかなるだろう、と驕りがあったのも覚えています。今思えば恥ずかしい限りですが、劫火の教典の企画にはそういった僕の思慮の浅さが如実に表れていた、、と思います。

とは言いましたが、作品を楽しく読んで下さった読者の方がいる以上、作者がそれをくさすようなことは本来するべきではないと思っています。
僕は読者さんに恵まれており、皆なんとなく他の作品の扱いとの違いなどで僕自身の「劫火の教典」へのテンションを察してくださっているとは思うのですが、改めて申し上げておくと「劫火の教典」も僕の大切な作品の一つですし、この作品を描いた事で得るものもたくさんありました。
苦い思い出のある作品…ではありますが、読んで下さったり話題にして頂けることは素直に嬉しいです。ありがとうございます。

実際の体験

懲役339年やこんな漫画を描くくらいですから、漫画を描く前から宗教に関しては興味がありました。
記事のおまけに、色々な教団へ実際に取材(?)に行った時の話でもいくつか出してみようと思います。

①「×の×」

光光会の最大のモチーフになった「×××真××」はあの象徴的な事件の後、「×××」と「×の×」という教団に分かれました。簡単に言えば前者は原理主義的で教祖を未だ信仰している団体、後者は事件について反省し、新たに生まれ変わったとする団体、と言ったところでしょうか。
僕はこの後者の団体「×の×」を実際に訪れ、代表の上×氏を話をさせていただいたことがあります。
会話の内容はまあ当たり障りのないものでしたが、元「×××真××」のスポークスマンで「ああいえば上×」と言われただけあり、話は抜群に上手でした。僕は座禅の仕方が上手いと褒められました。
出来るだけフラットな立場で書くというのは難しい事ですが、事件を知らない若い信者を集めようとしている印象があり、それが少し引っかかりました。それ以外は普通に、感じの良い人たちでした。
余談ですが、教団を訪れる際、外で張っていた警察官に呼び止められ、名前や住所などを記録されました。当然ですが、「×××」だけでなく「×の×」も、まだ公安はマークしているようですね。

②「××の×学」

これ、本当に痛い大学生エピソードで失望されてしまうかもしれませんが、大学の頃、僕は信者になる訳でもないのにこの教団の支部をたまに訪れ、お菓子をタダで食ったりしていました。買ったばかりのイーブイのぬいぐるみを自慢しに行った時も嫌な顔一つせず、教団の人は写真を撮ったりしてくれました。どの教団にも共通することですが、基本信者の方達って本当にいい人が多いです。
同年代で仲良くなった子とかもいて、一緒にサイゼに行ってお喋りした後最後に勧誘されるけど断る、みたいな事を繰り返した覚えもあります。
とりとめないことなら他の友人と何一つ変わらない感覚でダベれるのに、話題が宗教のテリトリーになった瞬間急ハンドルで価値観が合わなくなる…それが面白くてそんな事をやってたんだと思いますが…相手にとってはいい迷惑だったかもしれませんね…
教祖の講演にも何度か誘っていただきました。
信者数が多いだけあって、パシフィコ横浜や東京ドームなどすごいレベルの会場が埋まってるのは流石に圧巻でした。
講演自体は、内容には個人的に感動することはありませんでしたが、演説のテクニックが飛び抜けて上手なんだな、と感じました。
長い話の中、僕がちょっと眠くなったりするタイミングで、声を張り上げたり面白い話題が入ってきたりする、そんな事が何度もあり、僕1人に話しかけてるのか?と錯覚してしまうほどでした。
信者なら当然、もっと心に響くんだろうなぁ…と。
ちなみに王崎タカトというキャラクターは、尾崎豊とこの教祖を合体させたキャラクターです。名前もそんな感じですよね。
なにかとネタにされることの多いこの教団ですが、今の時代を捉えたよくできた宗教だと思っています。今後も注目していきたいです。

③「崇×××」

総本山のホール?を見学した時、正面にありえないくらい横に長〜い水槽があり、その中を悠々とアロワナが泳いでいたのが印象的でした。

④「××顕××」

これは僕の直接の体験ではありませんが、友人2人が彼らの家で遊んでいる時、この教団の勧誘員が訪れたそうです。
彼らは面白がってアンケートなどを記入していたのですが、途中であることに気がつきました。そのアンケートは、なんと最後まで記入すると「××顕××」の信者に自動的になってしまう…というシロモノだったのです!
機転を効かせた友人たち。1人は咄嗟に、名前の欄に「伊勢ともか」と記入し、もう1人は僕の本名を書きました。
なので、僕はこの教団の2人分の信者になっているそうです。
住所や連絡先は書かれなかったので今のところ困ってはいませんが、本当にふざけた話です。
まぁ、話半分に…

他にも色々なエピソードがあるのですが、劫火の教典とは直接関係ない話ですし、この辺で留めておくことにします。
ちなみに言っておくと僕は基本的に無宗教ですが、名前を借りたこともあり、伊勢神宮には定期的に参拝するようにしています。
神道云々、というよりは「太陽神」という概念が好きなんですね。
雨が嫌いだから。

ではまた、次の記事で。

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