戯曲を書いている
戯曲を書くようになって気づいたこと、考えたことを書きます。
・去年の12月に、初めて脚本を完成させた。内々ではあったが上演された。演出もした。
・いろんな人に面白いと言ってもらえた。でも(初心者が書いたにしては)が外れることはない。そこまで自惚れてはいないよ。
・休みになって、手探りで戯曲を書いていると、一人ではどうしても、完成させることができないことに気づいた。孤独すぎるってこういうことか。
・僕は「書きたいもの」がめちゃくちゃある。でもそれを形にするためのエネルギーが少なすぎる。「いや、僕は面白いと思うなぁ」だけで形にすることがない。せいぜいTwitterで呟くぐらい。
・最近、人のエネルギーを借りることを覚えた。
・周りの演劇をしている人に「誰と演劇したい?」と聞いている。これは本当に心から「したい!」と思ってる人を聞き出す。大抵めちゃくちゃ面白い組み合わせになる。というか僕が「うわめっちゃ見たいな!?」と思うような組み合わせになる。
・たまにならないときもある。これは僕の好み。
・「一緒にしたい」と思った理由を聞く。話を聞くなかで、どういう人なのかを理解する。これはその人の所謂「本質」でなくてもよい。「僕にはこう見えた」と受け止めることが大事。
・その人の言葉と主張と、僕の言葉と主張を混ぜながら登場人物を産み出していく。
・「やりたいエネルギーを借りてるんだ!」って自分に言い聞かせながら書くと一人じゃないような気がしてくる。
・してくるだけ。
・でもだいぶ違う。マジで。
・戯曲で全てを言おうとしなくていい。役者が勝手に語ってくれる。
・テーマとかマジでない。
・プロットも書けない。
・それでもなんとか、この休み期間の中で「境界線ナンテネ」と「近代少女性ソプラノ」を書き上げることができた。やったね。
・「あなたの書く女性は、白いね」と言われた。これは意図していたことなので嬉しかった。結局は役者の肉体を通して人間として汚れて行くのだから、会話という文字の上では白くていいと思ってる。
・「代表作」と呼ばれるものの候補に関して。正直、自分一人の脳だけに拘らなければ10作品までなら産み出せると思った。思っただけで僕はまだ4つしか産み出せてない。10作品から先、その人の本当の才能が見れると思う。
・散々言われてるが才能とは継続だ。「より面白く」を試行錯誤してどこまで続けることができるかだと思う。
・努力は続かない、続くのは「楽しい」を持って取り組める物事だけ。どれだけ目の前のことを楽しめるかが能力の伸び率に影響してくる。と、思う。戯曲書くのって、苦しいけどやっぱ楽しい。
・面白いものが書けているという自信はある。だって、面白い人と面白い人のために書いたものだから。でもきっと一人じゃ言いきれなかったと思う。僕の「面白い」しかないから。
・人に支えられて立っている。人の素敵さを信じている。僕も支えたいし、信じられたい。そんな人間でいたい。
・会話してぇ~~~~!!!!!!
・マジ、会話してぇ~~~~~~~~!!!!!!
・家から出なくなって、十数人と「会話ってなんだろう」って会話をした。「会えないことで会いたいと思えるようになった」「無くなって初めて当たり前の尊さに気づいた」という言葉が身に染みた。
・好きな人たちに会いたい。
・好きな人たちと演劇がしたい。
・現在、喉から手が出るほど欲しかった「時間」が手に入っている。気づけば皆は何をしているかなぁとか考えてる自分がいるのがたまに恥ずかしくなっちゃったりする。好きすぎるだろ、きもちわるい。
・それでもやっぱり、好きな人たちと演劇したいな
・偉そうに語ったけどマジでそれだけ。戯曲も書き始めたばっかり。このnoteも「書き始めたばっかりなのになんだこいつは」とか思いながら書いてる。でも僕にできることはそれくらいしかない。昨日、新しい戯曲に手をつけ始めた。
・とりあえず、今は戯曲を書いている。
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