私がモーニング娘。を好きではなかった話

工藤遥がモーニング娘。を卒業し、そしてルパパトを卒業した。アイドルはともかく俳優の仕事は、一年続けるものなんてそう多くはない中で、私は一年間工藤遥が演じるスーパー戦隊を見続けてきた。

そして、いま、ようやく気付いた。
私は『モーニング娘。』を好きではなかった。

私のオタクの始まりは手越祐也。
6人時代、いつも3番手で大サビはもらうけど落ちサビを貰えない。バラエティにはレギュラーで出るけど、スイーツ映画の主演はさせてもらえないし、ドラマ主演なんてもってのほか。24時間テレビのメイン企画はもらえない。それでいて、深夜帯のしゃべくりにもキレイドコロだから出てない。ユニットの単独コンサートは叶うけれど、グループのコンサートでソロは歌えない。手越祐也はそんな役回りだった。
私はそんな手越が好きだった。
虎視眈々とセンターを目指す癖にどうしても越えられない壁を知っている手越が好きだった。そこは無理でも人数が減ったことに対して、パートが増えたからラッキーだったといってしまえる手越が好きだった。

手越が一番になれないNEWSが好きだった。

だから、隣り合わせのテゴマスは見るけれど、王子様になれるバラエティ番組((当時イッテQでは、PVを作ってもらえるほど過保護な対応を受けてた))に躍起になることはなかった。
だから、一番になった4人のNEWSが好きにはなれなかった。
私は、手越祐也が好きなのではなく、6人のNEWSの最年少である手越祐也が好きだった。

しかし、工藤遥は違う。
工藤遥がいるモーニング娘。が好きで、工藤遥がいるルパパトが好きだった。モーニング娘。が好きな理由もルパパトが好きな理由もいつだって、そこに工藤遥がいるから。でしかなくて、裏を返せば私は工藤遥がいないモーニング娘。は好きではないのだ。…と最近気づいた。

工藤遥は私にとって唯一無二の存在。
唯一好きになった女性アイドルで
唯一、まだ推しが学生のときに好きになったアイドルで
唯一彼女が今の環境から飛び出しても付いて行こうと思えたアイドルである。

手越祐也が箱の中身を愛していたのだとしたら
工藤遥は箱から透けているそのものだけを見ている。

箱が好きであることはとても大事なことだけれど
個を好きすぎると箱なんて関係ないんだと
私はまた彼女に気づかされる。
それもこれも彼女自身の個としての魅力が大きすぎて、箱のコマであるからこそ滲み出る彼女の魅力までたどり着くことができない。

どちらが健康的な推し方だったかなんてわからないが
私は今、1人で私を魅力してくれる工藤遥をただ応援したいと思っている。