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結婚式②

ヒンドゥー教では女性の生理の時は儀式が一切出来ません。
この為私も日本でクスリをもらい生理の日をずらしていました。
このようにいろいろな準備が進められいよいよ5月8日の当日です。

もう毎朝の日課で豚の鳴き声で目覚めるのでした。。。(豚をしめての料理作りの開始です)

まずはポトンギギというヒドゥー教の犬歯を削り人間への仲間入りの儀式からの開始です。
このポトンギギはとてもお供えの量が多く一番お金もかかり大変なので結婚式と合わせて行ったり親戚でまとめておこなったりするものです。
これは死ぬまでに必ず行わないといけない儀式でやらずに亡くなった場合には亡くなってからポトンギギをして火葬されるのでした。
この為とても大切な儀式なのです。

当日は朝4時起き。。。。まだ真っ暗でしたがすでにいろいろな人が来て準備をしていました。
私のお気に入りのデカいピーヤカンでお湯を沸かしてもらいいつものマンディー/シャワー。
その後一応化粧をして待っているとまたまた叔母様たちが、ポトンギギで使う黄色と白の布を買い忘れた!!!と。。。。
こういう結婚式やポトンギギなどは何十回とやっているはずなのですが、あれ忘れた、これ忘れたと毎回大騒ぎ。
お供えが多すぎてどうしてもいろいろと落ちてしまうそうです。。。。
朝5時では店も開いてないので誰か家で持っていないかとなり探して一近所の叔母さんが持ってきてくれました。
(どうにかなるのがバリでこんなところも実はバリらしい・・・)

本当はチューブトップのように胸に黄色の布を巻きその下に本当はスカートのように白の布を巻くのですが、どこからかあったものをもってきたありもので寸法もどちらの布もちっちゃいこと。。。。
クバヤの下に着るブラに前と後ろにスライスチーズのデカいのみたいな黄色の布がゼッケンのごとく前と後ろに安全ピンでとめられているのみ。。。白い布も寸法がたりず。。。まくことができず。。
超セクシーな大胆スリットの入ったスカートのようになっていました。
(今ならなんじゃこりゃーーーって大笑いできますが、この時は疲れはてていてあきれてしまいニコリともしなかったのを覚えています。多分怒っていたかと。。。笑)
とにかく胸などは隠れていればいいでしょ的で。。。
まあもうどうにでもなれと思っていたのでこのままやることに。

最初は義理の妹。。。。
ポトンギギで使うやすりは本当の金やすり。
いやいやこれは歯を削るようなものではないくらいの荒さのものです。
(工作の時間に木や勤続を削る時に使ったとがあるものでした)
道具を見せてもらいましたが、それでも何種類かの金やすりがありました。
親戚のおじさまがやるのですが、バリ人は前歯が平になるまで削ります。
歯医者できーーーんと歯を削るのって本当に安心感があるなーとこんな時実感します。
旦那様は既にこのポトンギギは終わっているので前歯がまっ平です。
やった後は食べる時にしみて痛くて大変だと言われていました。
しかし、私は儀式のみで削るのは少しにしてもらい、この親戚のおじさまにも少しにしてねと何度も何度も確認。

いざ私の番!!
儀式用のベッドに寝させられ何故か大勢の大人が私を抑えつけてきました。(一応意味があるようですが・・・)
マントラが始まり、いざ犬歯をガリガリ。。。ガリガリ、ガリガリ、、ガリガリ。。。
音が凄いのと歯が全部とれちゃうってくらい強くて痛くて泣き叫び、旦那様を呼びましたが、身体を押さえつけられているので起きられず泣きさけんでもまだまだ続きます。。
旦那様もあたふたして「頑張って」というだけ。。。
大泣きしてやっと終わりました。。。
こういう光景はよくある事のようです。
でもなぜかみんなで大笑い!!怖くて失神しちゃう人もいるらしく私の場合はとても面白かったと感想を言われました。
血は出るし、歯はもう全部なくなっているだろうと覚悟して鏡を見たくらいでした。(歯まだある?まだある?と聞いていました)
でも無事歯は残っていて一安心。。。。
凄い儀式だなーと実感。。。。少し放心状態でした。。。

こんなんでご飯と言われて歯も痛いし食べられず。
ストローで水分補給のみでした。。。
続いて髪の毛のセット。。。
セットといっても大冠をつけて後ろにはチュンパカという良い香のお花を大量につける為の土台となるものをつける為のセットです。
丸い発泡スチロールみたいのを頭に乗せその周りをお相撲さんのまげを結うように絡めてしっかりたおれないようにして固めていくのです。30cmくらいの高さはあったかと・・・
この髪をかためるものもホントに髪の毛に使ってもよいものかどうか・・・
とにかく強力なセット力が要求される土台です。
ある程度髪のセットが出来たら今度は化粧。。。
これがまた凄いことになっていき目の上のアイシャドーが七色!!
多分彫の深いバリ人ならきっとすごく素敵になるのだと思いますが、のっぺり日本人にはとうてい似合わず。少し落としました。。。(7色から3色へ・・・)
眉毛もイモトのようにくろぐろで・・・
これではお笑い番組のコントみたいになるのでせっかくの結婚式だし自分で化粧は直しました。
顔だけば任せておけないと悟ったのでした。
これからバリで結婚される人はご注意くださいませ。。

次は特注したイカットの織物の衣装の着付けです。
しかし、作り立てなので帯を締めていく感じでの着付けなのですが、緩みもないので着付けをしてて気を失いそうななりながらの着付けでした。(油断しているとすーーっと気が遠くなるのでした)
そして最後にチュンパカの花を飾って前には王冠みたいのを乗せ耳にはでっかい金のピアスを付け、ネックレスやブレスレットなど豪華な金(本物の24K)の飾りをして出来上がりました。
バリのピアスの針はとても太いのでピアスの穴も大きくひろがるのではないかってくらいでしたが、これも我慢してつけました。
旦那様も別部屋で着付けをしていましたが、旦那様も化粧をされ驚きの状態でした。
顔が可愛い旦那様なので女の子になっていました。。。。笑

着付けがおわって頭は動かすと重くて倒れそうになるし衣装の締め付けで気を失わないように、メントールをずっとかがされていて、友達のカデさんの奥さんのコマンさんがずっと付き添ってくれたのでした。
扇子で仰いでくれたり、水を飲ませてくれたり。。。
この付き添いがなかったら結婚式はできなかったので本当に感謝でいっぱいでした。

野外での結婚式なので雨が降らないようにもしてもらったのでとてもとても暑かったのでした。
こんな天気も操れるのってなんとも不思議なバリです。。。。

そんな中日本の家族が到着しました。
家族には全員分バリの衣装を準備していたので着替えてもらいました。
親戚の若者に着付けをたのんだのですが、身振り手振りでなんとかなって楽しそうに日本の家族もバリの家族もしていたので安心しました。

楽団員(ガムランの楽団もお願いしていました)もそろっていて、来賓の皆さんももう来られていました。
そして日本から友達が主催したツアーの皆様も到着して、お食事をされていました。
この食事は通常の結婚式のご飯のメニュー(ラワールとリリットというつくねなどが祭りの料理です)の他日本人が食べやすいメニューを義理のお姉さんに作ってもらいました。
(義理のお姉さんはデンパサールで飲食店に勤めていました)
ナシゴレン、ミゴレン、野菜炒め、ピーナッツソースのサテ、豚のケチャップ煮、アチャールなどでした。。。
この他にベトゥトゥという料理が大好きでデンパサールにオーダーし、バリのお菓子の詰め合わせも依頼していてお土産に準備もしていました。
その他飲み物もいろいろと大量にありました。
でも殆ど私口に出来ずでした。。。
この日本からのツアーのお客様30人くらいいたかと思いますが、プレゼントをくださった方もいて置物は今でも飾っています。

頭も重く、衣装もきつくて帯を緩めるようにしてもらい、水を飲んでどうにか気を失わないようにするが精一杯でした。
結婚の儀式はいろいろ言われるがままやりましたが、あまり覚えていなく覚えているのは小さなココナッツをけった事ともくもくの煙の中を回って歩き、お互い食べ物にこまらないようにとお供えをファーストバイト的に食べさせ合う事のみしか覚えていませんでした。
ファーストバイトで鶏肉を炭火で焼いたお供えものがあり、これが私は大好きでその日初めての食事でとてもおいしかったのを覚えています。
思わず「おいしい」といって叔母様方に笑われました。。。
儀式で動いていたらやっと衣装にも慣れてきてその後は旦那様とお客様にお礼を言って周りました。
本当にとても素敵な衣装で作って本当に良かったと思いました。

何人くらい人がいたのかわかりませんが、家の広い敷地内全てに人がいたのでした。
駐車場もいっぱいになりバスも来たりしたのでこの村で近年一番大きな結婚式だったようです。
義理のお父さんがバリのお祭りの助言などする人でもあったのでとにかくたくさんの人をお招きしたのでした。

また知らない外国人も寄ってくれたのをかすかに覚えています。
バリでは知らない人でもきちんとおもてなしをするので観光客の外国人にも食事も振る舞いました。
村はヒンドゥー教のお寺の最高峰のブサキ寺院へ行く道の途中にあるのでなんなの騒ぎかと思いよってくれたようでした。
この日は夕方までいろいろな方がお祝いに来てくださいました。

結婚式にはいろいろなお祝いをもってきてくださいますが、一番多いのはお米、砂糖、コーヒー、です。
これらはすぐにでも使用できるものでそれらはまとめられて直ぐに使用されていました。
次に食器、サロン、クバヤのレースの布、Tシャツ、バスローブ、造花の飾り物、フォトスタンド、ぬいぐるみ、クッション、などいろいろありました。
このお祝いの品だけでも2部屋が一杯になっていました。
翌日甥っ子、姪っ子であけたのでした。
なんとも高価そうなものは義理のお母さんが別室で保管していて、高そうだと思ったものがコップ1個だったりとこれも大笑いして開けたのでした。

儀式はこの1日でしたがこの後1週間続き毎日遠くから皆さんがお祝いにきてくださったのでした。
後から聞きましたが1000人以上はきてくださったそうです。
でも誰が、誰だからわからず。。。
もう覚えるの事は途中で放棄したのでした。。。
でも来てくださってありがとうと皆さんにお礼をお伝えしたのでした。

自分の結婚式だったので隅々までいろいろとみられなかったのが本当に残念です。
甥っ子達の時はしっかり隅々までレポートしたいと思います。

その日はやはり疲れてしまい、儀式の後すぐに婚礼衣装は脱ぎました。
苦しくて着物を脱いだ時の解放感に似ていました。
髪の毛は食器用の固形洗剤で落とさないと落ちず1時間もかかってやっとシャンプーできました。
しかし、私としてはなんとも消化不良的でせつかくの素敵な衣装なのにちゃんとした写真もないので翌日お坊さんのところへ行くときもう1回着ても良いということになり、デンパサールからサロンの先生に来てもらい今度はちゃんと自分で化粧もして2回目なので苦しくなく全て着付けてもらい写真をとりました。
消化不良はこの時解消できたのでした。

バリの家族もそうとう大変だったようでみんな放心状態でした。
一番は義理のお父さんが5歳は年取った感じなっていてバリでの儀式の大変さを感じたのでした。
これらも皆さんの手があって出来る事でこれらはお父さん、お母さんがきちんと村での役割も果たしてきた結果です。
また材料もいろいろと準備してくださって協力してくれた方がたくさんいたのでした。
本当感謝でいっぱいでした。

この結婚式は今から22年前ですが、これらの儀式全てで費用は100万円くらいでした。
1000人以上のみなさんが来て下さり、とても大きな結婚式で100万円はお安い!!

小さいころから私は結婚式のイメージがまったくわかなかったので、結婚はしないのかと自分で思っていたし、ウェディングドレスや白無垢などに憧れも全くなかったのでした。
それはこの結婚式をするからだったのだと思いました。

結婚式を済ませたのち私はまた2週間後には一人で日本へ戻るのでした。。。
2年半は私がバリへ通っての新婚生活となっていきます。
次のバリは9月で今度は婚姻の手続きをする予定にしていたのでした。

この頃には日本にいる時の仕事は決まっていて、日本に居るときだけでもといって雇ってくださったのでした。
今もこの時と同じ会社に勤めています。

そして旦那様はウブドに友達と一緒にギャラリーを作ることにするのでした。。。

この後についてはまた次回に・・・・


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