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25歳でセレクトショップを開業して黒字倒産した話 後編その1

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一年目を数字では大幅な黒字で、二店舗目もなんて話もありました。

当時の給料は、毎日店にいる生活なんで15万に設定。

利益は仕入れと運転資金にしていました。

お店もコンスタントに雑誌掲載で認知も上がり、2005年ではまだ珍しいカート付きの自社サイトもオープン。

ここの投資で150万くらいかかりましたが、今思えば詐欺みたいなもんでした。

肝心のネットはパラパラ売れるくらい。

当時はSEOの知識なんて皆無です。

管理会社に全然検索されないやんけ!と毎日キレながら店頭売り上げがメインでした。

お店の認知は上がっていて、高速使って遠くから来てくれるお客様。

雑誌でずっと見てて、ようやくきました!やっぱりカッコいい!と言ってくれたお客様

夏場は、ヴィンテージのバンドTがバカ当たりでさらに認知を広げました。

デッドストックのバンドTを50枚以上仕入れし、ローリングストーンズのバンドTは8万くらいで売れました。

一枚3万くらいのバンドTが普通に売れる。

あっと言う間に数点のみ。

夏場はこのおかげもあり、売り上げは安定して140万程度は売り上げることができました。

当時イケイケの時の雑誌の写真。

大丸百貨店に期間限定出店依頼が

夏から秋も絶好調な売り上げ。

そこに、12月の繁忙期に大丸百貨店のイベント出店しないか?との話が。

今で言うポップアップショップです。

あまり儲けはなかった契約ですが、信用を得られると思い出店を決めました。

しかし、この時に、ネットショップの投資を全く回収できていなかったのです。

ネットショップの投資と大丸の出店を成長のチャンスと考えたので、運転資金にまだ余裕があるうちに大丸出店を機に150万ほど借り入れました。

それもあり、大丸出店の為の仕入れをさらに起こしました。

この借り入れや仕入れもあとからボディーブローのように効いてきます。

秋も絶好調で12月の店頭は過去最高売り上げ!

秋も130万、11月150万と売れました。

12月も店頭は絶好調。

大丸にバイトをお願いしたり自分が店頭立ったり忙しい日々。

店頭売り上げは180万いきました。

大丸はクリスマス前でしたが、20万くらいしか売れずに撃沈。

1月も140万ほど売れ順調に成長していました。

しかし、この時僕は、毎日売り上げを持ったまま飲みに行っていたのです。

お店閉めてから朝までベロベロで帰る。

当時の自宅のコタツのしたには、酔っ払って買ってきた弁当がたくさんありました(笑)

売り上げを持ったまま飲みに行ってしまうのですから、たまに全部一晩で使ってしまう時もありました。

この時は売り上げを使い込んでいたりもあるので、数字上はめちゃくちゃ利益出てますが、現金が残ってないと言う状況に。

気づけば減っていく運転資金。

借り入れの返済もあります。

それでも売り上げが伸びていたからまだやっていけました。

崩壊は突然やってくる。

秋冬を絶好調で過ごし、次の春夏へ。

春も130万は維持し売り上げは保っていました。

GWも好調で5月も120万くらい。

まだ好調を維持していた6月。

お店に1人の男性が入ってきました。

50代くらいの紳士で、「いつもお世話になってます!」丁寧に挨拶されました。

はて?誰だ?と考えていると、お店でも比較的高額な商品をあっ、これ息子が買わせていただきました。

あっこれも!と指さしていきました。

偶然は怖いもので、その商品を買ったお客様は僕のお店でも超上顧客です。

たまたま指差していった商品はその上顧客しか買ってないのです。

あの人の父親なんだ!っと勝手に信用してしまい、会話をしていました。

いやぁ。いつも息子がお世話になっててオシャレな服を買って来るので、近くまで来たから寄ってみたんですよ。

さっきまで近くで仕事だったもんで、ほら、あそこの建築中のマンション。あれ私の会社のマンションなんですよ!

と名刺をいただきました。

たしかに、社長の名刺だ。

さらに、今竹内力さんの俳優のタニマチしてて、映画のスポンサーをやっているから、そいつらが今太秦で撮影してるから全員を飯食わせないといけないんですよ〜なんて会話をしてました。

おっ!ミナミの帝王かな?なんて勝手に解釈しててすげー!こんな金持ちが顧客だったのか!

どおりで、あの顧客さんは値札見ずにポンポン買うはずだ!と全て辻褄が合ってしまうのです。

映画のスタッフ全員ってどれくらいかかるんですか?

って聞いてみたら、300万は一晩でなくなるかなぁ?と財布を見せてもらうとパンパンでした。

その紳士は、ハイブランドを中心に取り置きして、息子も今来るみたいだから、一緒にお会計しますねと。

やった!今日は過去最高記録が狙えるかな?なんて思いながら内心小躍りしてました。

息子から電話だと、電話で話していましたが、もう少しかかるとのことで、待ってる間パチンコで時間潰してくるとのこと。

1時間くらいすると青い顔で、財布をトイレに置いていたら盗られてしまった。

息子には連絡して、今日は買えないから次回だと伝えたそうで。

警察には被害届けだしたけど、カードもないからお金を下ろせずに困っていることを言われました。

息子さんにそのまま来てもらったらどうか?と話しましたが、これから太秦にもいかないといけないからと頑なに呼びません。

今なら来るってなってたのに、拒否するのはおかしいってわかりますが、完全に顧客の父と信じてます。

しかもかなりの金持ちだと勘違いしています。

お願いがある!

神妙な顔で言われました。

初めて会うあなたにこんな話しをするのはおかしいってわかってます。

しかし、今日太秦行かなければ私の顔が潰れます。

この恩は必ず返すからと言われました。

え?いくらなんですか?

300万も無理ですよ。

当時運転資金で残っていたのが400万くらいだったと思います。

僕は馬鹿だったので、すぐに返すからここに電話くれると秘書が対応するからと名刺に番号をもらいお金を貸してしまいました。

その紳士は、必ず返すからと頭を下げて今にも泣きそうな顔でこちらを見ています。

上顧客の父親だしな〜と信じてお金渡してしまったのです。

ここからが僕の人生最低のどん底の始まりでした。

意外に長くなったのでその2へ続く。

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