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カンボジアで創業したスタートアップを解散しました

みなさまこんにちは、紗也子です。

私は『世界から機会格差をなくす、世界に通用するサービスを作る』という目標を掲げ、5ヶ月前にカンボジアに来ました。最初の2ヶ月は自分が本当にカンボジアで事業をやるのか?について考え、3ヶ月たって現地で出会ったカンボジアの5人のメンバーとスタートアップを始めました。2ヶ月続けたのですがチームを解散することになったので、今日は以下の5点を中心に、振り返りを書きたいなと思います。

・渡航する決意が固まるまで
・事業を2つトライ→辞める
・カンボジアで現地の人とスタートアップを創業するまで
・スタートアップな生活
・スタートアップが解散する理由

カンボジアで現地の人とスタートアップをするのはどんな感じなのか、できるだけ具体的に想像していただけるように、私生活や私自身の葛藤など、仕事以外のことも織り交ぜながら書いていきたいと思います。これからプノンペン・東南アジアに来て何かやってみたいという人のお役に立てれば嬉しいです。

カンボジアに渡航するまで
最初に、少し私についての背景を説明したいと思います。21才の時に1社目を3人で創業、そのときは出会った後にレビューするマッチングアプリを作っていました。そのときは10ヶ月でクローズ、文系で大学卒業、SMSという一部上場の事業会社で1年修行させてもらい、24歳の時にカンボジアに来たのですが、クメール語が話せたわけでも、英語ペラペラなわけでも、コードが書けたわけでもなかったので、気合いだけでカンボジアに来ました。

大学生のときにフィリピンの環境省傘下のNGOでインターンしたり、起業家の下で鞄持ちをしたり、サンフランシスコでVCや起業家の方に会いに行きまくっていたこともあり、行きさえすればなにかが動くというのはなんとなく学んでいたので、今回もなんとかなるだろうと思っていました。というわけで、なんの武器も持たない状態で「カンボジアから世界を変えるプロダクトを作る」という目標に向けてスタートしました。

なぜカンボジアを選んだのか
世界を変えたいならシリコンバレーじゃないかと思い、23歳のときサンフランシスコで始めようとしたのですが、私がターゲットにしたい層がいなかったからので諦めました。とある会社の社長さんに「君、アメリカじゃなくない?ここはスタンフォードとかハーバード卒業したエリートたちがゴロゴロいる場所だし、ホームレスもいるけど既にサービスはたくさんあるんだよね」と言われて確かにと思いアメリカは一旦ステイしました。4年後ぐらいにはアメリカでも事業しに戻りたいなという野望はあります。

その後アフリカ(ケニア)に行ったのですが、治安が悪くてなかなか外に出れなかったこと、またそもそも生活水準が低くて、食べるもの寝る場所のところから始めるのはビジネスとして成立しなさそうだと思ったこと。

東南アジアの中でも外資規制、VISA、為替リスク、人口など10個ぐらい基準を考えてカンボジアにしました。

日本じゃダメだった理由
サンフランシスコでVCのおじちゃまに世界を変えたいなら日本じゃダメだよと言われたこと。「海外で始めると初めは大変だけど他の国に展開するのは楽。日本で始めると初めは楽だけど後が大変。だから絶対海外でやりな」と。初めは大変でもいいやと思いました。失敗する確率が100倍高くても、10年かかることを1年でやりきりたかった。

ミャンマーインターン
カンボジア!マイクロファイナンス!と騒いでいたところ、その当時参加していたアクセラレータープログラムのボスにミャンマーでマイクロファイナンスをしている会社を紹介してもらい、現場を見せてもらえることになりました。
通訳と車つきという超VIP待遇で、貸付のお手伝いをしたり、お金の回収の現場を見たり、ブランチを回りながら、ミャンマーのカントリーヘッドからたくさん教わりました。また、日本人でミャンマーで同じようにマイクロファイナンスの会社を立ち上げている方々を紹介いただきました。本当に感謝しかありません。

立ち上げるときはここからやっていくんだなと思いながら、この頃から少しずつ決意が固まってきた気がします。

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ブランチでの一枚

決意が固まった日
それでも航空券を取るのが恐くて仕方なかったので、仙人のようなおじちゃまのゼミに行きました。恐いんです、と泣きながら相談したところ
「どこかの会社に入ってやるとか、もっと楽な道はあるよね。それでもあなたじゃなきゃできないことがあると信じて起業を選ぶなら、恐くてもやるしかないよね」という言葉をいただいたのと、ガーナでチョコレート工場をやっている年下の女の子に「バングラディシュで睡眠薬盛られたり、ガーナでワニと戦ったりしても死んでないので大丈夫ですよ、あはは!」と言ってもらったことで確かに、と思い決意が固まりました。その日に航空券を取りました。お二人ともありがとうございました。

カンボジアへ
まずは情報収集と考えて人に会い、飲み会にやたら参加していました。
住み始めてみると、食事がおいしい、人は優しい、VISAもあっさりクリアできて、なにより住みやすくて。
もちろん30年前の大虐殺と戦争の傷はある、携帯やカバンはひったくっていい、先進国から支援されて当たり前、小卒の子が半数以上、それでもこの国に可能性を感じるんです。
カンボジアは事業難しいよと話す日本の方が既に6年もやっているということはみんな可能性を信じているんじゃないかと思ったり、経済成長が8%だと知ったり、カンボジアの子どもたちや現地の友達ができていくうちにこの場所が好き、ここでやりたいと思うようになりました。

クラウドファンディングを始める
カンボジアで起業している、あるいは思いを持っている人に、知り合いの伝手だったり、ソーシャルマッチングのサービスを使って紹介していただき、話をうかがいましたが、どうしても4人以上事業者側が集められませんでした。
思いがあっても、経営するのにはある程度の知識がやはり必要で、初等教育からつながるものなのですが、国民の半数は小卒、先生は中卒のこの国でやるには早すぎたなと思いました。発展途上国は支援されるものという認識や、宗教や結婚式にしかお金を使わないという文化の壁も高かったです。某日本のクラウドファンディングの社員さんにお会いしたところ、カンボジアで始めるから働いてくれない?と言われたりしたので、それなら私がやる意味がないなと感じてやめることにしました。

マイクロファイナンスを始める
通訳のために一人採用したところ、次の日に辞めるなど事件から始まりました。1人1万円で10人に貸したところ、1ヶ月後に4万円しか返ってこないという結果に。日本人だから返さなくてもいいと思っただとか、同姓同名の別人だとか。
また、カンボジアで電子決済を使ってマイクロファイナンスをやっている方がいて、それが私のやりたいことだったから、その方に任せればいいと感じました。スタートアップで呼ばれる『why you(なぜあなたなのか)』がどうしても見つけられませんでした。

マイクロファイナンスのその先へ
why youが見つけられなかったので、友人の勧めもあり、現場に潜ることにしました。カンボジアの人たちがなにを考えて、なにをやっているのか、なにを必要としているのか。
そのとき、共同創業者のアイデアでE-commerceの事業をやることにしました。マイクロファイナンスでお金を借りなくても、カンボジアの人たちが自分たちのお店を持てたらいいんじゃないかと。
ましてカンボンアは不動産やマイクロファイナンスの事業が多く、ITはまだまだ後進国、カンボジアのアリババやヤフーを目指そうと。
サービスとして自分たちのショップを持てること、そして人を雇用して経営のノウハウを教えていく、投資をしていく。そうしたらいい循環ができるんじゃないかなと。そしていつか私以外のカンボジアのメンバーに任せる。私がいなくても、まわる仕組みを作れれば変えられると思いました。

スタートアップな生活
チームのメンバー構成は私以外全員カンボジア人で
・日本語英語クメール語ペラペラの同い年の男の子(共同創業者)
・カンボジア最高峰の大学卒業した新卒の女の子
・フリーランスのエンジニアの筋肉隆々の男の人
・バックサイド担当してくれる男の人
・アプリ会社で働いている女の子
・日本人の横浜というそこそこ都会からきた私

という6人。全員紹介。社内の公用語は英語。MTGも英語、資料も英語。私以外のメンバーはクメール語でやりとりしていて、私と共同創業者の男の子は日本語で。

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amazoncafeというチェーンのカフェでMTG終了後の1枚。

共同生活スタート
当時は週4で会っていたので共同創業者の彼と、彼の持ち家で2人で生活を始めました。1Fの机をオフィスがわりにしていました。(彼と生活するというとカンボジアの子たちはなぜかみんな嬉しそうにしていたのはなぜでしょうか)
受託と学生時代にやっていたビジネスで貯めたお金でギリギリの生活をしていたので、家賃タダ光熱費のみというのはかなり助かりました。
タスクを洗い出してそれをやって、実行しての繰り返し。カンボジアの人たち特有の時間のルーズさや締め切りの間に合わなさに違和感を覚えつつも進めていきました。
場所はプノンペン市内から少し離れた地域で外国人がほとんど住んでいないエリア。夜は真っ暗になります。市バスで市内まで出てからトゥクトゥクで移動していました。朝にシュガーキャインジュースというサトウキビを絞ったジュースとライチなどの果物を買って食べて、お昼や夜は屋台やクメールレストラン、近くに市場があるので自炊もしていました。市場のおばちゃんにイオンモールより高い金額をふっかけられるので、クメール語で値切るスキルがかなり上達しました。

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マーケット

解散

6人から2人へ。端的な理由は方向性の違い。原因を3つにまとめてみました。

①ビジョンの差異
詳細は省きますが、なにもないドロドロした今も、描きたい未来も両方持ちながら、それを埋めるためにどうするか?を考えて実行していけば、描いた未来に近づけると思います。共同創業者同士がそう思えなければ、遅かれ早かれどこかで力尽きる。さらにスタートアップはマニュアルがありません。対処法の存在しない問題ばかり降ってきます。壮大なゴールを掲げても達成できない事ばかりが続く中でどうやってメンバーを鼓舞し旗を立て続けられるのかも大事だなと感じました。

②コミュニケーションの難しさ
私は現地語の話せない外国人だという引け目が拭えませんでした。これは日本文化じゃないのかなと思い強く言いずらくなってしまいました、それならメンバーとゴールやビジョンについてもっと一人ずつ話す時間を取ったらよかったし、自分で判断せずちゃんと聞いたらよかったなと今は思います。特に共同創業者とは私と彼が同じことを話せるレベルにはなっていたけれど、why you(なぜ私たちがやるのか)をもっと話し合えばよかったと思います。
さらに、お互いセカンドランゲージ同士なので、言いたいことをシンプルな英語で伝える必要があり、もっと単語を覚えるなり、どういう英語が話しやすいのか聞けば良かったと思います。

③自分の弱さを認める、前向きで強いだけのリーダーでなくてもいい
海外に1人で来て弱くなっていた、寂しかったんだと思います。違和感に気付きながらそのままにしてしまいました。このままだとなにもできないというのが見えていたけど、それでも1人に戻るのがどうしても恐くなってしまい、ゴールが違うのが分かっていながら進めてしまいました。
リーダーである以上、最後までやり続けるのも、全ての責任を取るのも自分、それはそうですがそんなに強がらなくても良かったなと思います。
メンバーにも弱さを見せられず、明るく前向きな部分ばかり見せてしまったことも反省点の一つです。

「さやこ、カンボジアに来てくれてありがとう」「さやこと一緒に働きたい」と言ってくれたチームメンバーたち、なにもない中で私についてきてくれたこと、感謝しています。
外注はしないの?と言われることもあるけれど、私はこれからもカンボジアの人とこの場所で一緒に答えを見つけていきたいと思います。

最後に 
「カンボジアで成功するわけない」「バックに投資家がいるんでしょ」「起業なんて」「そんなことより結婚しなよ」と日本でもカンボジアでも周りの人たちに言われました。「それでもできる」と気にしないようにしていたのですが、内心は不安でいっぱいでした。海外でインターンしていたとはいえ英語は全然話せず、クメール語も話せないから。
できないことだらけでしたが、他人と比べてできないことを憂いても仕方ないと思い、とにかく手を動かし、考え続け、日々やり続けました。
追い込みすぎてノイローゼ気味になり、知り合いからいいから休めと言われ、ラオスやバンコクへ一人旅をした時期もありましたが、MTGや資料作りもなんとかできる程度にはできるには英語ができるようになりましたし、トゥクトゥクのおじちゃんとちょっとした会話ができるぐらいにはクメール語も少しできるようになりました。
「できないと諦めるより死ぬまで失敗続きだとしても挑戦したい、挑戦したその人生と出会った全ての人に感謝して、きっと納得した上で死ねるから」

助けてもらい続けた5ヶ月間
カンボジアに来て直後は知り合いが1人もいませんでした。日本にいる時に知り合いを紹介してくれたharu okaniwa,natsumi kawabata, 快く家を貸してくださった田口さん、山下さん、カンボジアのベストフレンズ(Ryo Nakano,Chisato Sakane)、尊敬するカンボジアの起業家yuta naganoさん、makers universityの仲間たち、クロコムのボス、クロコムメンバー、送り出してくれた母、なによりもチームメンバーたち。
ここには書ききれないほどたくさんの人に助けてもらいました。何も知らなかった私に手を差し伸べてくれた皆さま、本当にどうもありがとうございました。
「海外で自分の貯金で事業してて辛い道を選んでるように見える」と言われたこともありますが、全く知らない価値観を知り、全く知らない場所で失敗ができて、全てに責任を負え、そしてそこから教訓を得て、本気で世界を変えられると信じて走っていける今に、この上なく感謝しています。
間違いなく人生で一番泣いて笑った5ヶ月間でした。
私のこの経験を読んで、カンボジアに来て挑戦してみたいと思った方がいれば嬉しいです。相談でも質問でも何でもいいので、気軽にメッセージください。

これから
今回のトライはうまくいきませんでしたが、私の「カンボジア発世界を変えるプロダクトを作る」ジャーニーは始まったばかりだと思っています。現在は、学んだ教訓を踏まえて次の準備をしています。準備ができたらここに書きたいと思っていますので、よかったらまた読んでください。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

川地紗也子拝




読んでいただけただけでも嬉しいですが、サポート頂けると泣けるほど嬉しいです。今後もっと執筆に時間をまわせます。ありがとうございます