アスリート 引退

強大な力を存分に振るったアスリートも、いつか引退します。昨日も宇野昌磨と桃田賢斗のそれぞれのシーンでトップとして君臨し続けた二人が引退を表明しました。

才能が開花し、ぐいぐいと実力を付け、押しも押されぬ第一人者になっていくとき、アスリートとしてはまさに順風満帆の時期です。知名度はぐいぐいとあがり続け、今ではCMにも引っ張りだこになる選手も多数います。

そして、トップとして君臨し続けている或る日、ちょっとした出来事は彼らを襲います。そして、それをきっかけにトップに上り着くためにしてきた努力が、急速にトップであり続けるための努力に変わっていきます。

選手としての伸びしろの時が過ぎ、円熟という時期を迎えます。
体力の上昇がもう見込めないと感じた選手は、今度は技術に磨きをかけ、追いかけてくる存在を引き離そうとします。

しかし、その努力よりも追いかけるもののパワーが脅威に映るように有ります。そうなれば、必死と思っていた自分の努力も、実は若さの爆発の前には無力であることを悟り、有終の美を飾るにはどうしたらよいかに気持ちが動きます。

でも、有終の美って何でしょう。もう、他を圧倒する存在から滑り落ち、いくら烏合の衆の頂点に立ち続けていたとしても、トップははるか先の存在になろうとしています。ここが「引き時」なのです。これが、有終の美の到達点なのです。

自分を慰めるのではなく、他を圧倒してきた自分が、圧倒される側に回った時のいいようのない寂寥感は、普通人には感じ取ることができません。それは他を圧するまでの力を持っていず感じることがなかったからです。
そこをもってして、トップに立っていた証なのです。逆説的に聞こえるかもしれませんが………。

これからも、この新旧交代劇はあり続けます。人は競争という闘争心の発露を、スポーツという形で昇華してきました。これは、人類の美点です。
相手に接触することなく競り勝つこと、それが、アスリートに課せられた義務であり道徳なのです。「模範たれ」いうは易く行うは難しい言葉です。

ですが、他を愛することができる人ならば、人々の心の中にわだかまりは生じません。それ蔵、ピュアに生きてみたいものです。

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