平の民情風俗物語

ご先祖様の話

『平の民情風俗物語 鞆今昔物語姉妹編』

昭和53年に発行された、鞆町平地区の歴史本(郷土史)です。

長年探していた本を淀姫神社とインターネットのおかげで見つけることができました。

著者で郷土史家の表精さんは、遠縁にあたる方で近所にお住まいであったことから、実家にこの本がありました。おそらく著者ご本人から贈られたものだと思います。(本の中には、共通のご先祖様の話が書かれています)

しかしながら、約35年前私が小学生の頃にこの本を鞆小学校に持参し、そのまま行方がわからなくなってしまい、ずっと気になっていました。

淀姫神社のお話

今回、探していた本が見つかったのは一つには淀姫神社のおかげです。

淀姫神社は、鞆町平一丁目という地区にある小さな神社で「淀姫さん」と呼ばれ、平の人々に親しまれています。

私も幼少の時から、夏祭りの時には毎年淀姫さんを訪問していましたし、時には小学校からの帰り道に境内で遊ぶこともありましたが、ここ最近はすっかり足が遠のいていました。(初詣は鞆の祇園さんに行くのが定番)

話は昨年の3月に遡りますが、鞆の浦のシンボル「常夜灯」の前で「常夜鍋(ほうれん草と豚肉の鍋)を食べよう」というイベントが開催されました。

実家から常夜灯の前まで徒歩で向かう途中、ふと「淀姫さんから鞆港常夜灯付近の写真を撮影しておこう」と思い立ち、神社の境内から写真を撮影することにしました。

余談ながら、淀姫神社は小高い山の上にあり鞆の港が見えるビュースポットです。

鞆港の写真を撮影し、社殿の前から何気なく境内を見廻した時、ふと、片岡という文字が目に飛び込んできました。

文字が書かれている石柱に近寄ってみると、そこには「金五拾円 片岡常蔵」(かたおかつねぞう)と書かれた石柱がありました。

ちなみに、片岡常蔵は現在判明している一番古いご先祖様で、私から見て高祖父(ひいひいじいさん)に当たります。

淀姫神社の社殿を新しく建立する際に寄付をしたようですが、これまで何度も淀姫神社を訪問している筈なのに、まったく気が付きませんでした。

インターネットの力

今回noteに「もう一つの鞆の浦に関する話」として、平の話を書くことになり、淀姫神社の話を書かない訳には行かないと思い、インターネットで淀姫神社の事を調べていたところ、偶然『平の民情風俗物語 』からの引用記事が見つかり、そこに出典も書かれていました。

これまで、何度かインターネット検索で本を探しましたが、最後に読んだのが小学校6年生の頃だったこともあり、タイトルは勿論、本のカバーの様子などもすっかり忘れてしまっており、見つける事ができなかったのです。

早速、本のタイトルでネット検索をかけると、すぐにヒットしました。

1冊はYahooオークションに出品されており、オークション終了が3時間後となっていたので、迷わず入札。他に入札者はおらず、3,500円で落札することができました。

こうして、ようやく手元に本が戻ってきました。(行方知れずになった本とは違う本です)

ご先祖様のエピソード

小学生の頃に読んだ事があるとはいえ、内容はほとんど忘れていましたが、大人になった今読むと、内容が良く理解できました。

高祖父常蔵にまつわる主なエピソードとして、

・「飛船(ひせん)」という飛脚船を所有し、鞆港と福山港を結ぶ海上輸送業を営んでいたこと。
・人並外れた働き者で、早朝から深夜まで働いて財を成し、醤油業も始めたこと。
・無類の酒好きで、朝から晩にかけて食事の時に必ず酒を飲んでいたこと。(但し、冷や酒は決して飲まなかった)

などの話が書かれていました。

醤油蔵と海上運送業

これまではご先祖様は「醤油を造っていた」「船を持っていたらしい」という2点しか知らなかったのですが、「飛脚船で鞆から福山港(現在の船町あたり)まで鞆の特産品などを運び、福山から物資を鞆に持ち帰っていた」という記述がありました。

どうやら、高祖父は鞆の常夜灯付近に船を係留し、商家の依頼により物資を福山城下や鞆の浦周辺の島々に運ぶ「海の運び屋」だったようです。

そして、財を成したのちに醤油醸造業に参入したようです。(屋号は「常蔵屋」)

残念ながら私の祖父の代(常蔵から見て孫の代)で醤油蔵は廃業しています。おそらくは、大量生産され始めた大手メーカーの醤油に太刀打ちできなかった為でしょう。

最後は借金の抵当に入れていたいくつかの土地を手放さざるを得なくなったと聞いていますが、親類からの援助により実家の土地だけは売らずに済み、今でも両親はご先祖様が残してくれた土地の上で暮らしています。


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