『岩』は『人間らしさ』である


ペテロとされている絵

未来は誰にもわからないので安心して今を生きていられるワケです。

わかっていることは、水が高いところから低いところへ流れること、年月をかけて蛇行して流れていくこと、寒いと凍ること…それは『自然』であって、たとえ原理は知らなくても誰かの経験を通して得ることができる貴重な『知識』であるということですね。

例えば”見分色の覇気の覚醒”によって『この2分後に起きること』がわかってしまえば『あ、やっぱやめとこ』って判断できるワケですが、これが”見分色の覇気の使い手だらけ”になってしまうとそうもいかないワケです。

『どこでもドア。みんな持ってると危険。』

イエス・キリストの12人いたとされる弟子の中でも最も熱心にキリストに付き従ったとされ、キリストから『ペトロ(岩)』と呼ばれますシモン。元漁師で、イエス・キリストの弟子になった最初のグループの人です。

キリストから『私は岩の上に教会を建てる。』とまで言わしめた人ですから、信頼も厚かったでしょうし、彼に未来を託すために最後は突き放しもしたんでしょう。

聖書の中で最も好きな件は、キリストがペトロに『鶏が鳴く前に3回私のことを知らないと言う。』って断言するところです☆

ローマ帝国の支配下にあったイスラエルの大本営に入る前、弟子たちは『これでやっとローマの圧政から解放される』と期待したでしょうし、キリストを信じる市井の人々も決戦前夜のような巨大な”時代のうねり”を感じてたかも知れないですね。

そんな中、キリストは裏切り者が出ることを唐突に話始めるワケです。宴も大盛り上がりの中ね?(アハハ)『そんなことありますかいな!』ってなりますわ。

ただ残念ながらこの時すでにイスカリオテのユダはキリストの居場所を銀貨数枚で売ってるんですね?

ユダもこれまた熱心な弟子でして、キリストが『ローマ帝国の圧政から人々を救ってくれる』ものと、キリストの救いってのは当然『人々を奮起させローマ帝国を追い出す』イメージだったんでしょうけど、キリストは『敵をも愛せ』と言うワケです。『え?』って、そらもう絶望だったでしょう。

ペテロはそれでも食い下がるんですが、返してキリストは『あなたは鶏が鳴く前に3回私のことを知らないって言う』って言い放ちます。

『はぁぁぁぁ?』ですよ(アハハ)『ワシを誰や思てんすか!』ですよね?最初からずっといて、キリストの話をいっちゃん聞いてる自分がそんなこと言うワケない!と…

居場所が判明してしまえば話は早い。キリストの勢いはローマ軍にも噂にはなってたでしょうから、正面衝突の反乱にも備え、それなりの数の軍隊がやって来たでしょう。

すんなりとキリストは逮捕されるんですが、『させてなるものか!』と石を投げたり抵抗する人たちも出るでしょうから、しばらくローマ軍と市民の小競り合いは続いたでしょうね?

そっと後を追ってペトロは、キリスト見たさに集まるイスラエルの群衆に紛れるワケです。その時です『あ、アンタ一緒にいたろ?』

『えー!いやいや違いますって!人違いですわ!』って、そりゃなりますわ(アハ)

今より2000年前、スマホも防犯カメラもモンタージュ写真ですら無い時代、『あれ?似てるなぁ…』で逃げ果せた犯罪者、逆に『似てる』ってだけで濡れ衣を着せされた人なんかいっぱいいたでしょう。

『いやいやそんなことはない!確かに一緒にいた人や!』

当時のハイソサエティなイスラエルの庶民と、キリストとその流浪の人たちでは”身なり”やその”清潔感”も違ったでしょうし、もしかしたら言葉も当時のイスラエルの『スラング』とは違ってたかも知れませんし、どうあれ町の人からすれば『見たことない種類の人』であることは確かですから、でなくとも疑いますわ(アハハ)

『ちゃいますって!知らん知らん!』リーチです☆

そらね、今、目の前でキリストは軍人に捕まって無茶苦茶されてるワケですよ。水をぶっかけられて、服を剝ぎ取られて、殴る蹴るされて、茨の冠被せられて…そら言えんわ(トホホ)

キリストから『岩』とまで言わしめたペトロではありましたが、あえなく3回の拒否の後、鶏が鳴く。まるでキリストが未来を見通していたかのように。

その後の彼の活躍は今のキリスト教の世界的な勢力図を考えれば一目瞭然でございまして、後の世で『初代教皇』とされるそんなペトロの”岩感”のないストーリーでございます☆

しかし『岩』は動かないのか?『岩』は形を変えないか?って言えば、いやいやそんなことはない、土砂に紛れれば土石流となって流れ落ちるし、波には削られますし、自然の流れに従って形も位置も変えます。邪魔にもなれば便利にもなり、叩かれれば割れるし、磨けば光るし、道具となって人の生活の役にも立つ。

そう考えると、キリストはシモンをむしろ『より人間的である』として『ペトロ(岩)』と呼んだのかもしれませんね?という2000年前のお話でございました。

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