栄誉 be your いいよ
人間の寿命なんか誰にもわかんない。死ぬときはすぐ死ぬしね?この地球上でクマムシだけですね、どうやったら死ぬのかわからない生き物は。
人間は考えに困った時、『神のみぞ知る』として思慮の限界を上手く言い換えます。
実際は神さまだってそんな人間の生き死にの逐一を承知してもいないでしょうし、その詳細に関していちいち知らないしそんなもの知ったこっちゃないんじゃないんですかね?
『死亡許可証』かなんかに判子押すわけでもないんでしょうし、それ持って死神が取り立てに来るワケでもないでしょうし、つーか身に覚えの無い貸し借りに関しては責任無いと思うけどね?
なので人間が考えてる通り、たまたま成り行きだったり、何かの偶然だったり、『そういう運命だ』としか言いようがないんじゃないですかね?
じゃ無ければ赤ちゃんが生まれてすぐ死ぬなんて説明つかんもの。
幾ら神さまが全知全能つったってですよ、こんなちっちゃな一人の人間に対して、その家族に対して、そこまで意地悪する意味なんか無いでしょうよ。
そちらのミスならミスで構わないんで、出来ればこそっと知らせてくれた方がいいしね?じゃないとずっと背負うやん?家族が。
なので『人間の寿命なんかそんなの知らないよ』が神さま的にも正解かと思いますけど、人間的にリスペクト込みで『神のみぞ知る』とさせてもらいましょう、引き続き。
『余命宣告』
余命いくばくかを伝えられた人が、生きることを諦めていないとして、その限りある命、残された時間を無駄に過ごすとは考えにくい。
こんな風にSNSに書いてるワケが無い。
『余命』がわからないからこそ『明日でいいか』と、必ず明日はやって来る前提でいる。ホントかどうかもわからないのに、自信満々でね?
人間はいつもあっけなく死ぬ。
一人の人間に人生は一つです。なので人生はどれも同じ価値です。その人生が華々しく豊かであっても、貧困や病気に苛まれていても、トータルして楽しい人生であっても、なんかずっと苦しいことばかり続いても、長く生きても短い命であっても。
『今日、精いっぱいに生きる。』
人生のいつが終わりかがわからんだけに、今日を精いっぱい生きることを延々と続けることは意思の弱い人間にとってはもう無理難題の領域であると思います。
これが『余命いくばくか』がわかってるとすれば、今日やれることを、今日やるべきことを丁寧に確実にやり切るんじゃないでしょうか?
そして、あと一日を生き長らえる努力を今日も、そしてまた明日も続けていくんじゃないでしょうかね?
だって終わりが見えてるんですから。いつかはわからないにしても。
寿命が平均よりも早くやって来る人で、余命がだいたいわかってる人なら、もうそれは『早くに亡くなった』という認識でなくて、『あと一日を生き長らえる努力を最後まで更新し続けた』ということであって、その生きざまはまさにトップアスリートであると思う。
アナタの命の最長記録を樹立したその栄誉をここに称えたいと思います。
きっとご家族も誇りに思ってるんじゃないでしょうかね?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?