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サタンノフエ

篠山紀信『サンタフェ』が日本初の摘発されなかったヘアヌード写真集第一号となった。

もちろんそれ以前にもヘアヌード写真集は日本全国で発売されていた。制作会社も販売者も『わいせつ物頒布罪』で逮捕されることを見越してね?

なぜ篠山紀信が売れっ子女優を撮れば『芸術』と評され、アラーキーが無名の女優を同じように撮って逮捕されるのか?

このサンタフェ以降、日本の『わいせつ』のカテゴリーから『陰毛』は消えて無くなり、日本の警察の正義も消えた。

人体の中でもとりわけその存在意義がよくわからない陰毛が『ヘア』という愛称を得て急に存在感を放ち始めた。

週刊誌でも『ヘア』は規制の対象で無くなったかのような対応になっているし、ヘアヌード写真集やAVでも『ヘア』の露出が罪に問われるケースはもう無い。

エロスは主観であって、わいせつに定義は存在しない。

つまり、陰茎や陰嚢、大陰唇や小陰唇、陰核そのものに『わいせつ物である』という原罪は無い。同じように『セクシュアル』と『欲情』の境目を文書化することは不可能だ。

だから『サンタフェ』以前は陰毛が日本の倫理の防波堤だった。

『サンタフェ』という黒船がやって来て、開国を迫ったワケでは無いものの、篠山紀信が押しも押されぬトップ女優である宮沢りえのヘアヌードを撮ったのだからと、半ば強引に芸術を押し付けられ倫理を覆された途端、待ってましたとばかりに日本にヘアヌードが怒涛のように押し寄せた。

今では中学生男子の妄想だってヘアありだとは思うが、でもどうか芸術とわいせつ論議もここまでにしていただきたい。

『ネット動画で無修正が観られる時代、モザイクで隠す意味がわからない。』

確かに無修正がデフォルトの海外の動画配信サイトにお金が流れて行っちゃってるケースも山ほどあるとは思うが、全部が全部『無修正動画』を求めているワケじゃないと思う。

これ以上『陰部』を明るみにすると日本のセクシーは崩壊する。日の下に晒されないからこその『陰部』である。

アンダーグラウンドのアートはアンダーグラウンドであるからこそ居場所となるし輝ける。

芸術が芸術であり続けるために、アンダーグラウンドがアンダーグラウンドであり続けられるために、秘め事がずっと秘め事であるために、日本の警察はサンタフェの屈辱を絶対に忘れないで欲しい。

そして海外の無修正動画で詐欺行為を働くような輩は極刑に処してください。

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