おやおや?
この世に人類が誕生して以来ずっと命は見事に繋がっておりまして、人類に限ったことでも無く、そこには必ず『親と子』という関係がある。
『何でも話せる親子関係が理想』
お気持ちはわかります。ただ『幻想』に近いかな?いや、親の勝手な思い込みか?
家庭生活での習慣として、お互いの『報告・連絡・相談』があってしかるべきかとは思いますが、それは生活をよりスムーズにする所作ってだけのことであって、『親なら子供のことを何でも知っていなければならない』ということは無い。
『親の心子知らず』
よしんば親子関係には法的に『報告・連絡・相談』が義務づけられていたとしても、報告内容を子供が取捨選択することも、黒塗りで提示したりしても構わないと思います。
親子であってもなくても『何でも話し合える仲』っていうのは、お互いの信頼が無ければ成り立ちません。
親としては、子供の行動を知ることで、様々な問題から子供を守る手立てとなるとは思いますが、子供からすれば『親だからこそ話せないこと』がある方がむしろ健全な精神が育まれているんじゃないか?と思います。
子供たちだけで何かをするとか、大人の目の届かないところに子供がいることに特に敏感になってしまう親が増えてる気がします。
SNSでの話題や、学校であった過去のネガティヴな実例なんかを知れば、もちろんみんな自分の子供の友達だとは言うものの、それでもなにかあってからでは遅い!と親が予防線を張ってしまうかもしれない。
家庭が学校の中で起きていることに関心を持つことは良いことです。
ただ、逐一やたらと教職員のやり方に口を挟むとか、学校への再三の苦情、『学校出たばっかりが担任なんてダメだ!』とか、『教科担当を代えろ!』とか、果ては『塾の方がマシだ!』とかね?
学校に親として言う『権利』はあるんでしょうから、思ったことは何でも言やいいんでしょうけども、それで『自分の親だけが学校と信頼関係を保てていない…』と感じたときの子供の傷はどうでもいいの?
自分が子供の頃を振り返った時、大概ろくでもないことばかりしていたので、だから自分の子供の行動はもちろん気になるし、それどころか自分の子どもの友達の行動こそ気になって仕方がないんでしょう。
そのお気持ちもお察しは致しますが、ただあなたのその『何でも話せる親子関係』にデフォルトで含まれていなければならないハズの『家庭教育を根拠とした子供への信頼』が伴われていないんだとしたら、幾ら子供が何でも話してくれているとしたって、そんなものはほとんど健全な会話ではなく、むしろ『聴取』じゃないんでしょうか?
容疑者として取り調べられているような、任意の事情聴取のような、何かしらの嫌疑があっての聴き取りになっていないならいいんですがね?
子供はやがて大人になります。いや、すぐに大人になります。障害があろうが健康であろうが、頭脳明晰であっても質実剛健であっても、虚弱体質であっても打たれ弱くても、どんな子供だって時が来れば必ず『独立独歩』ひとり立ちしなきゃならない。
いつまでも親が後ろにべったりとくっついてたら子供だって立つに立てないし、歩きにくくって仕方がない。
親として出来ることを精いっぱいやってあげたいというお気持ちはわかりますが、きっとそれは『心配』とか『思いやり』を遥かに通り越した、ただの『覗き趣味』じゃないんすかね?
一人で宿題してご飯も食べて風呂入って歯を磨いて寝て、朝起きて顔洗ってご飯食べて友達と学校へ行く。学校では楽しく過ごして、勉強して、たまに怪我もしたり泣いたりもするけど、沢山の経験を経て着実に少しづつ成長していきます。
親としての成長も負けずにしていかなかればなりませんね?子供の成長は思ってるよりずっと早いっすからね?