偶然スクラップ#33: How Is Disaster Photography Sublime? (災害写真の崇高さとは何を意味するのか?)

(追記:2019年12月31日)
写真は面白い。ある時から写真は具象じゃなくて抽象だと思ってから見るのが好き。だからfriezeの記事の中でも、フォトグラファーのものはついつい目が行く。

João Laetというブラジル人のフォトグラファー。災害や汚染された場所を撮影している。ミルトンの失楽園じゃないけど、もうディストピア。でもこれは絵画ではなくて、写真。現実が現実じゃないように見える。いや自分が現実を知らないだけなのだ。

それをギッ!と眼の前に見せつけられる。写真の力、写真家の脚の力はすごい。

(初投稿:2019年9月7日)
欧米のアートメディアの記事の中から、雄手が気になった今ホットな展覧会情報やアートに関する話題を引用紹介。(注)基本は『Frieze』から。
本日も、ロンドンに拠点を置くアート雑誌『Frieze』から引用紹介。

(2019年9月4日付記事)
How Is Disaster Photography Sublime? (災害写真の崇高さとは何を意味するのか?)
BY MARY HUBER
イメージの飽和と気候変動の時代において、破壊の写真はかつてのように私たちに影響を与えない。

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View of a burnt area of forest in Altamira [アルタミラの森林の焼けた場所], Pará state, Brazil, in the Amazon basin, on 27 August 2019. Courtesy: AFP/Getty Images; photograph: João Laet

「痛みや危険に関するイメージを刺激する一切の類に当てはまるあらゆること、すなわち、恐ろしいものや恐ろしいものに関する知見、テロと同様の方法で行われる物事、は崇高美の源泉です。つまり、それは心が感じることができる最も強い感情を生み出します。」
―Edmund Burke, 1757

João Laetは、ブラジル人のフォトグラファーです。異常に多くの火災がアマゾンの熱帯雨林を破壊したため、彼は、8月下旬に報道機関のために上記の写真を撮影しました。彼は、その破壊が崇高に見えるようにすることで、何を意図したのでしょうか。

Laetは、残虐な行為を記録する必要性と視覚的に喜ばしいイメージを作るという欲求は対立するものだとは捉えていません。彼は、一般的な抵抗手段としての写真に惹かれると私に話しました。そして、その大規模火災を「犯罪的な火災、[…]アグリビジネスの仕業、森林や先住民、少数民族に対する行き過ぎた権利」と呼んでいます。これは「災害ポルノ」、つまり消費するという病的な好奇心に向けた荒廃を表す搾取的な描写ではなく、連帯感に由来する作品です。彼の写真は、鑑賞者を恥じ入らせて、変わることを要求します。―そして、鑑賞者達は「心が感じることのできる最も強い感情」に影響を受け、変わらないことなどできません。

様々な政治的な感性を持つフォトグラファー達は、写真の発明以来、ほどんど同じことを行ってきました。NGOや国連の本体や財団向けの専門的なストーリテリングとトレーニングの機関であるAreteは、デジタルプラットフォーム全体に配信される言葉や写真、ビデオを通して、「インパクトを与える」支援機関に支援を行っています。そのブログでは、医療現場の人々を撮影したり、自然災害を記録したりする方法と理由について説明しています。可能な限りの同意を確保したり、センセーショナリズムを避けるようにしています。しかし、そのような写真を継続的に普及してきたものの、今その力が弱まってきています。それは、フォトグラファーが破壊、暴力、貧困について多くの写真を撮るほど、私たちはそれらを見ることに慣れてしまうからです。Burkeが想像したように、インターネットやソーシャルメディア上には私たちに影響を与えるものがあまりにも多く存在しています。

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Edward Burtynsky, Oil Bunkering [燃料補給] #8 , Niger Delta, Nigeria, 2016. © Edward Burtynsky; courtesy: Howard Greenberg Gallery and Bryce Wolkowitz Gallery, New York / Robert Koch Gallery, San Francisco

「人々は自然からの保護を必要としていたが、自然は、かつての存在でいることを止めてしまった。」と『写真論』(1977)でスーザン・ソンタグは述べていました。「今や、飼いならされ、痛めつけられ、死に瀕した自然は、人々から保護される必要があります。」人為による気候変動の時代では、自然災害はますます人為的に発生します。その変化を捉えた写真は、人間の大量の死を予感させるものとして役立つでしょう。またそれらの写真の多くは美しい。主題を欺くような方法によって、また美と崇高の考えを改めさせるような方法によって、美しくあるのです。

カナダのフォトグラファーのEdward Burtynskyの大規模な工業地帯の風景写真は、「人新世: 人類の時代(Anthropocene: The Human Epoch)」という主題で2019年9月に公開予定の長編ドキュメンタリー作品です。このアーティストは自身の作品を、崇高さの概念をアップデートし、自然や人間的な力とは対照的に、圧倒されるような技術に最大限に接していると考えています。「私は、この作品を『災害写真』とは思わないよ」とBurtynskyは話しました。「一般的に言って、私の作品は、この惑星の変わり映えしない日常生活の様子に目を向けています。これらは全て、規制、産業、需要によって現れた意図された風景なのです」リチウム鉱山やパーム油のプランテーションがあるこれらの地域の多くが、現代的な生活を可能にする活動の場です。それらの影響は一連の自然災害に似てはいますが。それらを美しくさせることで、Burtynskyは、私たちの注意を引きつけようと挑み、さらに私たちの「恐ろしい」消費の巨大さと崇高さも理解していきます。

・自然とアーティストの結びつきは謙虚さと環境への敬意を燃え立たせることできるのか?

MARY HUBER
Mary Huber is editorial assistant of frieze, based in New York, USA.

(翻訳: 雄手舟瑞)


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