偶然スクラップ#34: The Uncanny Geometry of Satoshi Kojima? (Satoshi Kojimaの不思議な幾何学)

(追記:2019年12月31日)
日本人アーティストも、もちろんfriezeに取り上げられる。海外の批評家は、日本人アーティストをどんな風に批評するのだろうかと気になって取り上げた記事。

自分もイギリスの美大で作品づくりをしていたが、困ったのが文脈づくり(本当は考えながらも手を動かさなければいけなかったんだけど、手が動かなかった。何も知らなすぎたのだ。挫折。)。

現代の文脈で考えようとすると、現代に流れ込んでる水脈の上流はどんなだ?水源はどこだ?というのが気になってしまう。勉強してればよかったのだが、勉強してないので分からない。すると調べるに一生懸命になってしまう。最近のは複雑すぎてよく分からなさすぎる。ということで、ルネサンスとか、宗教画とか比較的わかりやすいところを参照してしまう。それも表面的に。そこから10年。やっと全体の流れが見えてきたのだが、この日本人アーティストはどうなのだろうか?と気になったのだ。

シェークスピアにゲーテをモチーフにしている。絵は日本の美大を出てるので巧い。モチーフは古いが、古典は普遍だ。それを現代人が昇華すれば必然的に新しくなる。それを表現できる確かな技術。そして対話するきっかけを与える。これぞアーティストの仕事だ。

(初投稿:9月9日)
欧米のアートメディアの記事の中から、雄手が気になった今ホットな展覧会情報やアートに関する話題を引用紹介。(注)基本は『Frieze』から。
本日も、ロンドンに拠点を置くアート雑誌『Frieze』から引用紹介。

(2019年8月12日付記事)
The Uncanny Geometry of Satoshi Kojima (Satoshi Kojimaの不思議な幾何学)
BY MARY HUBER
オプ・アートの影響で、アーティストの筆の痕跡はほとんど残されていない。しかし、精神世界に関わる不安が彼の繰り返しと鏡像に染みわたっている。

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Satoshi Kojima, XO (detail), 2019, oil on canvas, 150 × 110 cm. Courtesy: the artist, Tramps and Michael Werner, New York; photograph: Mark Woods

今年の最も暑い日に、私は気がつくとニューヨークのギャラリーTrampsで開かれているSatoshi Kojimaの最新の展覧会「Chaste as Ice, Pure as Snow (氷のような貞淑、雪のような純粋)」の冷ややかで停止した空気に包まれていました。このギャラリーは、この展覧会もそうですが、チャイナタウンのジェントリフィケーションの役割を巡る論争でよく知られています。この展覧会のタイトルは「ハムレット」(1604)からのセリフーオフィーリアに尼寺に行けと言う前のデンマーク王子がオフィーリアに掛けた呪いーの言い換えです。シェークスピアの戯曲と展示されている9つの中規模な絵画との関係を解明する情報は提供されていませんが。しかしながら、政治的(そして性的)な腐敗に取り憑かれた戯曲からの純粋さへの言及は、この画家の主題と関連させた皮肉を表しています。Kojimaのキュビズムのようにカクカクした、不可思議な場面はナイトライフ(「No Limit」(2019) ―巨大なミラーボールの上で踊る二人の人物がフィーチャーされている)とピンナップ的猥褻さの現代的な撮影テイク(複数のキャンバスで、挑発的に口を開けたセミヌードの金髪の女性を描いている)に言及しています。無時間性によって、人物にも空間にも、重力による質量が宿っていないように見えます。

Kojimaの画面構成は、抑えた色彩、カクカクした輪郭と、アーティストの筆の痕跡が残らない多くもなく少なくもなく、均一な絵の具の使用といったオプ・アートの影響を受けた形式でまとめ上げれています。「Mort à Crédit (Death on Credit (なしくずしの死))」(2019)では、バスタブに横たわっている女性をじっと見つめる瞳孔のない狭い窪みに座った女性という、二人の女性が描かれています。彼らは、絵画が掛けられている壁の水平な薄板に対して、垂直に引かれた青と白のストライプの構成以外には何もない建築的な空間の中に存在しています。Kojimaは、厳格な幾何学を、彼のオプ・アート的美しさを伴う不思議なものに変換させる才能を持っています。「Alice」(2018)では、金髪の女性が、鏡に半分囲まれたトイレに座ってポーズをとっていて、彼女の鏡に映った複数の鏡像は、形が欠けたり層が連なって形を作っています。

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Satoshi Kojima, Mort à crédit (Death on Credit), 2019, oil on canvas, 160 × 120 cm. Courtesy: the artist, Tramps and Michael Werner, New York; photograph: Mark Woods

以前はショッピングセンターだったこの展示スペースの建築が、この海外のオプアート的様式を強調しています。それぞれのキャンバスは、お店の商品を吊るすための溝が並んだ壁に面したガラス製のブースの中に設置されています。そのスペースは元々は住宅の小さな小売店のために作られたものです。パーテーションの向こうに掛けられた、「light more light (もっと軽く輝け)」(2019)は、鑑賞者に左から急な角度で近づくことを求めます。同心円状の青と黒の円の背景の上に重ねられた部屋という印象を作り出すこの絵の中で、この動きは、Kojimaが使った白の線の上向きのベクトルを強めます。この絵画の空間的構成を鑑賞者に順守させることによって、このインスタレーションは鑑賞者と、描かれた部屋の反対側に描かれたー神秘的な赤い円の周りに書かれた「Mehr Licht (more light)」という繰り返される言葉の円形の帯の前に立つ―人物との間の見かけ上の距離を広げます。「Mehr Licht」は、ゲーテの最期の言葉とされています。ゲーテの「Theory of Colours (色彩論)」(1810)は、かつて、色の知覚に関心を持つアーティストや哲学者にとって不可欠な著作でした。このようにこの作品においては、絵画と死の両面に関連する別の文学的なリファレンスをKojimaは取り入れています。

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Satoshi Kojima, light more light, 2019, oil on canvas, 240 × 150 cm. Courtesy: the artist, Tramps and Michael Werner, New York; photograph: Mark Woods

ギャラリーのショッピングセンターというロケーションならではの窓ガラス群と吹き付ける空調が、氷のような、クリスタルのように透明な鑑賞環境を作っています。しかしながら、Kojimaの絵の具の取り扱いは、氷よりももっと雪―なめらかで不透明なもの―に近いです。彼は、使用する色を、かなりの量の白を混ぜたパステルカラーと時折の同じく白を混ぜた淡いアースカラーに制限しています。その結果、Kojimaは主に遠近法で作り出した深さと、限られた数のトーンでピクセルのような陰影付けだけで抑えた明度を作り出しています。

私たちの潜在的な意識は、夢や幻想を創り出す共通点のない要素を無理やり秩序付ける選び抜かれた現実をリミックスしていきますが、「Chaste as Ice, Pure as Snow (氷のように貞淑で、雪のように純粋)」は、どこかで見たことのある図形や人物をKojimaがありふれたものと変なもの、楽しいものと怖いものといった二方向でバラバラにし増殖させて提示しています。

「Chaste as Ice, Pure as Snow」は2019年5月20日から7月21日までニューヨークのTrampsで開催された展覧会です。

MARY HUBER
Mary Huber is editorial assistant of frieze, based in New York, USA.
(翻訳: 雄手舟瑞)


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