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入れ替え

ふと思いついたんだけど、相手と自分の行動を入れ替えて考えると、なかなか新鮮な感覚になる。

相手が自分にしたことを、もし自分がやるとしたらどんな心境だろうか?
自分が相手にしたことを、相手が自分にするとしたらどんな風に感じるだろうか?

これをやってみると、謎が解けたように感じてスッキリしたりする。
例えば、相手に苦痛を与えているのを知りながらも同じことを繰り返す行動を、もし自分が誰かにするとしたら…。
その時の自分は、かなり思い込みが激しくて、それを正しいと信じて疑ってなくて、相手をモノ扱いしてて、舐めてて、反撃してこないだろうと高をくくってて、イライラして余裕がないと思う。
そう思うと、かなりヤバイ状態の人なので、「あ、離れよ」っていうのが一番いいなという結論が出る。
もし誰かが誰かにそれをしてたら、とりあえず引き離そう、ということになると思う。

他には、構って欲しそうな様子で寄ってくるけれど、仲良くなると落ち着かない様子で距離を取る行動を、誰かが自分にするとしたら…。
なんか野生の小動物みたいな行動パターンの人だな、きっと人間を警戒しているんだな、危害を加えないことがわかったら仲良くしてくれるかな、と思うだろう。
そうなると、ああ期待と不信があるんだなあ、と自分の状態が確認できる気がする。

どうせ他人の気持ちなどわかりっこないのだから、こうして自分の気持ちとして考えてみる方が、モヤモヤする時間を減らせる気がした。

さて、それで自分がスキをするとしたら、読んだ記事をイイネと思ったか、その人がスキのワンクリックで元気になってくれたらいいなと思うか、仲良くしたいか、挨拶の代わりとか、定期新規投稿チェック作業の一環、そんなところだと思う。
そう思うと、スキをくださる方々と私は実はとても仲良しなんではないかと…。

これ、心に引っかかっている色んなことに当てはめてみると、結構楽しいし、スッキリしてくる。
ああ、あの人はその場の勢いだけでもの言ってて、発言の中身空っぽなんだなーとか。
ああ、あの人は仲良しのフリして利用したかっただけなんだなーとか。
ああ、あの人私のこと心底どーでもいいんだなーとか。
反面、あああの人は尊重しながら見守って、いつでも求めた時に応えてくれていたんだなあ、とか。
あの人は仲良くしたい、関係を続けていきたいと思ってくれてるんだなあ、とか。

この辺の感覚のバイアスが取れてくると、人との距離感の調節がうまくできるようになる気がする。
離れるべき相手がわかると同時に、近づいても大丈夫な相手がわかる。
しばらく脳内で流行しそうだ。

「自分がこだわってた相手に大切に扱われていなかった」ことや、
「自分が避けてた人に実は大切にされていた」ことなんかがわかって、
あちゃーってなっちゃうけど、腑に落ちる気はする。
そして、大事にされず、拒絶され傷ついてる自分と、大事にされたのに信じず邪険にした自分、両方をそのまま認めてみる。許してみる。
どっちも認めたくなかったわけだ。
大切にされてる自分を認めたら、大切にされなかった自分が浮き彫りになってしまう。
大切にされてなかったって思いたくない、そんな自分は認めたくない、拒絶されたこと自体をなかったことにしたい。
そんな現実逃避が、現実の認識まで歪めてしまっていたのだろう。
大切にされないことも、大切にされることも、どっちもなんだか、悲しいものだな。

今日はぼんやりとそんなことを考えながらドライブしていた。


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