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誓い

「病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、愛し敬い、慰め助け、その命が尽きるまで共に生きることを誓いますか?」

重すぎない??
そんなこと出来るのか?
誓っていいのか?
本当に大丈夫か?

っていつも思うんですけど、ふと閃いたのです。
誰かに対して誓う前に、私自分に対してそれが出来ない…って。

自分と別れることは出来ないので、「病める時も健やかなる時も富める時も貧しき時も」自分とはずっと一緒です。
あと死ぬまで自分は自分なので、「共に生きる」ことになるのは自明のことです。

でも、どんな時でも「愛し敬い慰め助け」られてるのかしら。
そうする姿勢でいるかしら。
そうするって誓ったかしら。

愛し敬い慰め助けたくない、自分自身とお別れしたい!って思ってた。
自分と離婚したがってた。
自分にDVしてた。
自分にモラハラしてた。

そんな自分だから、誰かに愛なんか誓えないよ!
って、思うのかも知れないなあ。

誰かを愛するところから、自分を大切にすることを学んでいく側面もあるとは思うけど、順番としてはまず愛され大切にされて自分を大切にすることを覚え、そのあと人も大切に出来るようになると思う。

私はいま自信を持って、「自分を愛し敬い慰め助けると誓います!」って宣言したいと思う。

それは私を愛さず敬わず慰めず助けなかったものとの訣別であり、私自身との本当の出会いであり、約束だ。

結婚と同じ、最初は上手くいかなくて失敗したり、すれ違ったり、お互いのことがわからなくなったり、信じられなくなったりすることもあるだろう。
でも、それでも一緒にいよう、愛し敬い慰め助けていこう、という方向を常に向くこと、真摯であること、それが信頼なんじゃないかなあーと、そう思う。

私は私と生きていく。
そうするしかないからじゃなく、そうしなければならないからでもなく、そうすると今自分で決めた。
誰かにじゃない、私自身に対して誓う。

ずっと待たせてごめんね、結婚しよう!!
と、自分を迎えに来たような気持ち。
そして私が待ってたのは王子様じゃなくて、自分自身だった。
今、私はとても嬉しい。
もう迷う必要はない。

おひとり様宣言ぽくなった(笑)
そういうわけではなく、自分自身との関係って、一緒にいるのが最初から当たり前だから意識しないけど、他人との関係よりずっと重要だと思うんだ。

自分を投げ出さないって決める。
寄り添っていくって決める。
そういう儀式があってもいいんじゃないかなと思った(。・ω・。)


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