情動と自己破壊

最近あんまりアップしてませんが、なんやかんや書いたりなんかはしています。
しかし、思うのが、こう、書くとかなんか作るとかって、
自分の中にひとりでに「書きたい!」「作りたい!」って気持ちが生まれてしまったら、もうアウトだと思うんですよね。
それを書くまで、作るまで、じりじりぐつぐつと、そのエネルギーが暴れ続ける感じ。
そんなこと言うたかて、他にもやること色々あるやん!めんどくさいし!思い通りにならへんし!(何故か関西弁)と、後回し後回しにしても、決して消えてなくならない、忘れさせてくれない。
なんか松任谷由実が「曲を作ってみたいとかじゃなくて、作らずにはいられない」というような話を某アイドルとの対談かなんかで言ってましたが、それを思い出します。
普通に、なんか、しんどいよね、滅茶苦茶不自由だし不器用だよね…って、思います。

そのエネルギーって、他のことではなくなってくれないんですよね。
楽しいことも、苦しいことも、人の役に立つことも、何の役に立たないことも、他のどんな行動にも置き換えることが出来ない、満足出来ない、そのエネルギー?
正直なところ、本当に、本当に、本当に面倒くさくてたまらないんですが、だって書いたり作ったりして、嫌な思いをしたことだって山のようにあるわけで、出来るならもうああいう苦しいことはやめて、平穏に生きたいですよそれで満足できる感じにしてくださいよって思うんです。

でも、無理なんじゃね?

諦めようかと、思う今日この頃です。
抵抗を。
従順になります。自分の情動に。
そんでもって、思い通りにならないとかなんとか文句を垂れるのもやめようと思います。
だって、ちゃんと思った通りに出来る部分だって、本当はあるんだから。

ドル☆箱スターとか、売れっ子作家だとか、時代の寵児だとか、大御所だとかなんとかかんとか、つまり金もあれば名誉もあって公に才能を認められるとかなんとかかんとか、そんなことは実のところどうでもいいんじゃないかと。
この苦しみを解消せんがためだけに何か作るとして、でもそれにどうせ売り物じゃないし一流でもなんでもないしと手抜きをしたら、それはエネルギーの発散にはなり得ない。
この苦しみを解消せんがためだけに、私は私自身にもっと真剣になって、私を楽にしてあげるためだけに、私自身に「ほらできたよ」って、与えるように作ってみようかと。
そういう方向性が、ひとりよがりだとも思わないし。

何よりも自分自身に、誠実に忠実に集中しようと、思うのでした。


というわけで、どうでもいい話。
パーカーが欲しくてチャンピオンのパーカーZOZOTOWNで買ったんですけど、ユニセックスSサイズがあまりにも大きくて即返品を決めました。
返送料…返送料よ!と嘆きながら、友人が「ビッグシルエットけしからん」と熱弁していたのを、ほんとそーだなと、しみじみ思うのでした。まる。

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