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自分を許す

自分を許すのを、最近がんばっている。
ので、応援してください!という記事である。

完璧主義と自己嫌悪と自己卑下と自己否定と自己批判と自虐はがっちりとセットになっていて、私は生きれば生きるほど苦しくなってしまっていた。
だって人生は失敗だらけ、思った通りにならないことだらけだから。

「お兄ちゃんに世界一愛されたいのに世界一邪険にされる」
「突然の雨でお気に入りの服がびしょ濡れ」
「隣のアイツが意地悪してくる」
「顔も体も理想と違う」

そして自分の心が一番、思い通りにならない。

「お兄ちゃんのことなんか忘れたいのに、まだ振り回されている」と自己嫌悪し、
「何故天気予報をチェックしなかったんだろう」と後悔し、
「隣のアイツ死ね。でも上手くやれない自分死ね」と憎しみに苛まれ、
「モデルの顔と体型に生まれなかった人生最悪」と投げやりになった。

自分を責め苛むのがすっかり習慣になってしまっていた。

さすがにこれでは先が見えているというか、先が見えないと思って、色々と試行錯誤してきた。
もちろんそれも失敗だらけだった。

そして辿り着いたステップ、「自分を許す」
(アル中の治療過程みたいだな。自己嫌悪も刺激だから、同じようなものだな)

「自分を許すなんて、そんな悪いこといっぱいして悪いとこいっぱいあるのに、許しちゃダメでしょ!!」って思う方は、罪と罰の世界に回れ右して戻っていただいて…。

え、自分を許すってどうするの?
誰か無罪って判決出してくれるの?
自己嫌悪って止まるの?

という疑問が湧いてくる。
答えは、自己嫌悪と同じ方法を使うのだ。

何かあった時に、毎度頭の中で自分を責める言葉をリピートして、さらに思考して責めポイントを見つけ、「自分はダメだ」をリピートしまくっているのが、自分を許さない状態だとする。

その反応を変えるため、何かあっても「自分を許します」という言葉をひたすらリピートしてみるのだ。
失敗というボタンによって起こる反応、浮かぶ言葉を、別の言葉にサッと置き換えて、反応を変えてしまおうというわけである。

こういうのはアファメーションって呼ばれている。
affirmは、「断言、確言する、肯定する」という意味だ。

怪しい気持ちにもなる。
まるで呪文のように「自分を許します」って唱えてたら、なんか変な宗教とか自己啓発本に洗脳されちゃった?って思われるかも知れない。
でも、それまでずっと「自分が悪い、許さない」って頭の中で言い続けていたことがまず、十分アブナイ宗教っぽいし、洗脳されちゃってると思うのだ。

それを変えようというのだから、ひたすら「あなたは悪くないんだよ」「あなたを許すよ」って言い続けないと、定着しないというものだ。

教育というのは、300回ぐらい同じことを言い続けることだという話を、どこかで聞いた。
300回お前たちはダメだと言われ続けた生徒と、300回お前たちは素晴らしいと言われ続けた生徒の考え方は、どう違うのだろうか?
と思うと、なるほどアファメーションって妥当な方法なのかも知れないなあー、と、最近やっと納得出来たのである。

自信があって、人も自分も許せる人は、きっと沢山許されてきたのだろう。
「大丈夫だよ」「良いんだよ」って、何百回も言われてきて、そういう癖がついてるんだろう。
「ダメだ」「悪い」を何万回も繰り返してきた私は、今度は同じだけ自分に「大丈夫」「いいよ」を言ってあげるのだ。

というわけで、日々「私は私を許します」というものすごく抵抗のある呪文を唱え続けているわけだが、なんだかだんだん楽になってきた。
(何楽になってんだよ!という方はまた回れ右していただいて…)
で、それを共有したいな、応援してもらいたいな、と思ったので、そういう日記でも書くことになった次第である。

「私は私を許します」
自分を許すのは罪じゃない。
自分を許さず他人を許せる?
私は私を許すのです。



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