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学力の向上的変容を実現する指導


1. 「年少者」日本語教育の特殊性 ~小中学校における日本語教育とは
 成人に対する日本語教育と,「年少者(児童・生徒)」に対するそれは,同じではありません。なぜなら,子どもがバイリンガルの状態に置かれた場合,大人に比べると早い段階で会話能力が発達して,友だちとのコミュニケーションには支障がなくなります。
 ところが,実際には通常学級での授業にはついていけず,問題となる場合が少なくありません。
 このことから,カミンズ(J.Cummins)は,2つの異なった言語能力、つまり「伝達言語能力」と「学力言語能力」を想定しました。前者は,生活の中で伝達に必要な言語能力で,後者は,学力に結び付いた言語能力です。「学力言語能力」は,日常会話において身につけることは困難です。例えば,「ぜんぶ」という言葉が理解できても,算数の授業において「あわせて」や「合計」という言葉が理解できなくて,ついていけなくなってしまうのです。
 つまり,「年少者」日本語教育,具体的には小中学校においては,特に学力言語能力を育てることに力点を置く必要があるのです。従って,学校で運営されている所謂「日本語教室」においては,成人に対して行っている「日本語教育」は必要ない,ということを指摘したいのです。つまり,担当する教員は,成人に対するような日本語指導のノウハウよりも,培ってきた教科指導の方法や技術を基に,いかに日本語未習得者に教科学習を理解させるか,という点を考えるべきなのです。そして教科指導を行う中で,日本語の語形や語彙,漢字を習得させていく方がより早く学校生活にも、授業にもなじむことができるようになるのです。

2. 文科省推奨「JSLカリキュラム」
 このように教科を学びながら,同時に日本語の習得やコミュニケーション力を獲得できる指導方法について検証・実証した論文は多数あります。特に,斎藤ひろみ(1998)先生の実践では「児童の学習に対する意欲」,「自然な文脈におけるコミュニケーションの機会」,「教科の知識および技能の定着」,「日本語の学習」という4点からの考察を行い,すべてにおいて効果がみられたことが報告されています。これらの研究に基づき,体系化したのが文部科学省も推奨し,具体例を示している「JSLカリキュラム(「学校教育におけるJSLカリキュラムの開発について 小学校編)」です。「JSLカリキュラム」では,「日本語を学びの活動から切り離して教えるのではなく,学びの活動に実際に参加することをとおして『日本語で学ぶ力』を育成すること」(佐藤・齋藤・高木 2005 40・41頁)を目的としています。
 
 このように,JSLカリキュラムに基づいた指導は魅力的です。でも,実践にあたって,いくつかの疑問点もあります。
 第一に,示されている事例が,ゲームやレクリエーションを主体としており、文部科学省による学習指導要領に示されている国語科の目標「言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で正確に理解し適切に表現する資質・能力」を育成すること(『小学校学習指導要領(平成 29 年告示)解説 国語編』11頁),という指針に必ずしも基づいていないという点です。
 第二に,教科と日本語の学習を有効に結びつける具体例について断片的に示されているものの,実践例が少なく現場で生かせる方法論が体系化されていないこと。さらに、教科学習で必要な「学習用語」の習得という観点が「言語活動への橋渡しの一環として必要な語彙を習得させる」とあいまいに指摘されているのみで、具現化されていないこと。
 第三に,このカリキュラムでは,ほぼ日本語が理解できるようになった児童を対象にしているが,そうでない児童に対しては,どのような指導が必要とされるのかが不明確であること。
そこで,JSLカリキュラムの指針に基づきながらも,疑問や不明点についての解決が可能かどうか実践を試み,新たな視点を加えながら,体系化を試みたいと考えている。
 
〈参考文献〉
・池上摩希子 1998 「教科に結びつく初期日本語指導の試み-教材『文型算
 数』を用いた実践例報告」『日本語教育』97号,pp118-129
・池上摩希子/佐藤郡栄 2005 『小学校 JSL算数科の授業作り』スリーエー  
 ネットワーク
・岩沢正子/高石久美子 1994 「『算数』の教科学習を助ける日本語テキスト
 試案」『日本語教育』83号,pp73-84
・大田晴雄 1996 「日本語教育と母語教育-ニューカマー外国人の子どもの
 教育課題-」宮田喬・梶田孝道編『外国人労働者から市民へ』有斐閣,
 pp123-143
・岡崎敏夫 1995 「年少者言語教育研究の再構成-年少者日本語教育の視点
 から-」『日本語教育』86号,pp1-12
・岡崎眸 2002 「内容重視の日本語教育」細川秀雄編『ことばと文化を結ぶ 
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・加藤彰彦 1963 「日本語教育における基礎学習語」『日本語教育』2号,
 pp46-55
・加藤彰彦 1964 「日本語教育における基礎学習語(続)」『日本語教育』
 3・号,pp60-72
・川上郁雄 2003 「JSL教育学の構築へ向けた予備的考察 ―オーストラリアの
 ESL 教育の分析を通じてー」『早稲田大学 日本語研究教育センター紀要』
 第16号,pp17-35
・齋藤ひろみ 1998 「内容重視の日本語教育の試み-小学校中高学年の子供
 クラスにおける実践報告」『中国帰国者定着促進センター紀要』第6号,
 pp106-130
・齋藤ひろみ 1999 「教科と日本語の統合教育の可能性-内容重視のアプロ
 ーチを年少者日本語教育へどのように応用するか」『中国帰国者定着促進
 センター紀要』第7号,pp70-92
・齋藤ひろみ 2000 「帰国児童・生徒クラスの『日本語と教科の統合学習』
 における教室会話の分析」『中国帰国者定着促進センター紀要』第8号,
 pp99-123
・齋藤ひろみ 2011 「日本語教室における教師・子ども間の相互作用 ―内容
 重視型の日本語の授業における会話の分析を通してー」『国際教育評論』
 第8号,pp1-11
・斎藤ひろみ/田中祐輔/森篤嗣 2018 「JSL児童が在籍学級の学習に参加す
 る」ための日本語 -教室談話と教科書の語彙分析の結果から-」子ども
 の日本語教育研究会第3回大会 パネルセッション
・齋藤恵 2006 「適応支援としての年少者日本語教育の役割と課題 ―JSL児童
 生徒の「行為主体性」をどう捉えるかー」『早稲田大学 日本語教育研究』
 第8号,pp37-50 
・野口芳弘/千葉・木更津技法研 1988『子どもを動かす授業技術20+α』明
 治図書
・本間祥子/南浦涼介 2021 「年少者日本語教育における研究課題の変遷 ―学
 校と教育の再構築に向けてー」『日本語教育』第179号,pp62-76
・文部科学省「学校教育におけるJSLカリキュラムの開発について(最終報
 告)小学校編」
  https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/clarinet/003/001/008.htm
・矢崎満夫 1998 「外国人児童に対する教科学習支援のための日本語教育の
 あり方」『日本語教育』99号,pp84-95
・矢崎満夫 2000 「年少者への日本語教育を考える」講演とシンポジウム,
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・山本忠行 2016 「言語による価値創造を目指して(1) ─学習言語能力を
 育てる教育─」『通信教育部論集』第19号,pp35-58
・山本忠行 2017 「言語による価値創造を目指して(2) ―談話構成に関す
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・山本忠行 2018 「言語による価値創造を目指して(3) ─表現力を伸ばすた
 めの発問指導─」『通信教育部論集』第21号,pp37-59
・山本忠行 2019 「言語による価値創造を目指して(4) ─中級日本語教育
 の教材と指導法をめぐってー」『通信教育部論集』第22号,pp16-36
・山本忠行 2021 「言語による価値創造を目指して(5) ─文型の文脈化を意
 識した練習法の開発―」『通信教育部論集』第24号,pp1-20
・山本忠行 2022 「言語による価値創造を目指して(6) ─「教科書『で』教
 える」とは─」『通信教育部論集』第25号,pp1-21


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