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ずっと大好きでいさせてね、あっちゃん―BUCK-TICK・櫻井敦司さんのご訃報に接して

まさかこんな記事を書くことになるとは、ほんの少し前までは夢にも思っていませんでした。

2023年10月19日。
BUCK-TICKのボーカルである櫻井敦司さんが、脳幹出血のためご逝去されました。


正直、未だに信じられない気持ちでいっぱいです。
57歳というあまりにも早すぎる旅立ち。
あまりにも突然の出来事で理解が追いつかない状態です。

まだまだ、ステージに立つお姿を見せてくださると思っていた。
艶のある、深く響く歌声を聴かせてくださると思っていた。
それがもう叶わないんだと思うと、とてつもない喪失感に襲われます。

せめて私にできることといえば、今の想いを書き留めておくことぐらい。
まとまりのない文章になってしまうかと思いますが、どうかお許しください。


今からほんの2週間と少し前。
私は横浜にいました。

『FISH TANKER'S ONLY 2023』。
ライブハウスツアーの初日であるKZ Zepp Yokohama公演。
そのライブに参加するため横浜に遠征していた私。

いつも通りIDチェックとグッズ購入を済ませて。
開場時間になり番号が呼ばれて。
フロアに入場した後は、まだ暗いステージを眺めながら、今日はどんな曲が聴けるんだろう?どんな演出なんだろう?とわくわくしながら開演を待っていました。

開演時間になり、客電が落ちてSEが流れ始めて。
メンバーの姿が見えた瞬間フロアの熱狂は最高潮に達して。
久しぶりのライブハウス公演ということもあり、ものすごい押しに流され。
気付けばドセンの4列目あたりまでたどり着いていました。

1曲目に始まったのは『SCARECROW』。
ハットをかぶりマラボーを身につけ、両腕を広げるあっちゃんのシルエットがあまりにも美しくて。
思わず見とれてしまいました。
2曲目は『BOY septem peccata mortalia』。
一気にテンションを上げる曲が来て、ファンの盛り上がりもすごかったです。
それは「ああ、私このままここにいたら体力がもたないかもしれない…」と思うほどでした。

3曲目は『絶界』。
この曲が終わるまでは本当に普通のコンサートだったんです。
少なくとも、私にはそう見えていました。

3曲目が終わって一旦照明が落ち、いつもなら少しMCが入るような場面。
でも、なかなかあっちゃんがこちらを振り向かない。
スタッフさんを呼び、何やら話し込んでいる様子でした。
そのままかなり長いこと話していたと思います。
そして…
ふいにあっちゃんがよろけて。
スタッフさんに肩を借りながら舞台袖に帰っていかれました。

あまりに突然のことで、フロア内でもざわめきが起こっていました。
でもさっきまでのパフォーマンスでは、おかしいところもほとんど見当たらなかった。
強いて言えば、『BOY~』の時にあまり前に出てこないなと思ったり(私の位置からは見えませんでしたが、座り込んで歌っていらっしゃったようでした)、『絶界』の時に下を向いた顔が少し険しいかな?と思ったり。
ただそれも、普段より動きは少なめかな?もしかするとちょっと調子が悪いのかな?という程度のこと。
そして歌声にはそのような兆候はほとんどなかったし、歌詞を間違えるようなことも全くありませんでした。
軽い貧血とかその程度ならいいなと思っていました。

メンバーも一旦様子を見るために袖にはけ、その後しばらくして「本日の公演は一時中止します」とアナウンスがありました。

その時のフロアには残念がる声は全くなくて。
寧ろ、温かい拍手が沸き起こっていました。

私も周囲のお魚さんと同じ気持ちで拍手を送りました。
無理しないで、ゆっくり休んで。
明日のライブも中止でいいからね。
また元気な姿見せてね、と。

―まさかそれが、あっちゃんの最後の姿になるなんて。
あの時は想像もしていませんでした。

いやな予感がしたのは、その次の日。
11月に予定されていたユータのトークイベントが中止になったという報せを受けた時。
そして、長らく毎日ブログを更新し続けていたユータが、しばらく更新をお休みすると知った時。

もしかするととんでもないことが起こっているのかも、という思いが頭の中をよぎりました。
最悪の事態になってしまうことも頭の隅の方には浮かんでいて。
せめて検査の結果療養が必要とか、復帰の時期を調整してるとかであってほしい。
命さえあれば何年でも待つから。
そんなことを願いながら、発表を待つ日々でした。


そして、あの発表があった日。
あの日は平日で、私も普段通りに仕事をしていました。
そろそろ休憩に行こうと思ったタイミングでスマホを見た時、公式から通知が来ていることに気づきました。
その「大切なお知らせ」という文言を目にしたとき、血の気が引いていくのを感じました。

咄嗟に「見たくない」と思いました。
でも、Twitterのコメントとかネットニュースで知るのは嫌だ。最初は公式の報告で知りたい、と覚悟を決め。
公式ページを開こうとしたところ、サーバーエラーで開かず…。
インスタなら全文載せてくれてるだろうと思い、公式のインスタを開きました。

最初の一文を読んだ時点で、もうダメでした。
「息を引き取りました」?え、嘘でしょ?

それより後の文章はあまりのショックで全く入ってきませんでした。
一人で抱えきれず、職場の同僚に伝えようとしたものの「これ見て…」とスマホの画面を見せるのがやっとで。
そこでせき止めていた思いがあふれてしまい、職場のど真ん中で声を上げて泣いてしまいました。

幸いにも私の職場の人たちは、私がBUCK-TICKを追っかけていることを知っている方ばかりで。
横浜に行っていたことも言っていたし、現地でこんなことがあったという話もしていました。

その後はしばらく休憩室で休ませてもらい、ひとりで泣き続けました。
信じられない、という気持ちが一番大きくて。
あっちゃん、早すぎるよ。おいてかないでよ。
あっちゃんがいない世界で私はどうやって生きていけばいいの?
悪い夢だと言ってよ、ねえ。

発表があってから、今井さんのインスタとユータのブログも更新されて。
そこでさらに現実感が襲ってきました。
これは嘘じゃないんだ。本当のことなんだと。
いまいんすたの「ずっと、あっちゃんの横でギターを弾いていたかった」という一文を読んで、また涙が止まらなくなりました。
ずるいよ、今井さん…。

そして、泣き続けること3時間。
今日はもう仕事にならない…という状態だったので早退させてもらうことに。
申し訳なさも感じながら、でも周りの方々が「今日はゆっくりしてね」と声をかけてくださる優しさにまた涙してしまいました。

あっちゃんの訃報はすぐにニュースに取り上げられ、それを見た周りの方たちから沢山連絡をいただきました。
報せを知ったリア友も私を心配してくれていて。
一人でいることに耐えられなかったときは、傍にいて話を聞いてくれたりしました。
その中で言ってくれたひとことがとても印象に残ってます。
「あっちゃんに出会ってから、すごく生き生きしていたように見えた」と。

これは本当にその通りで。
私にとってあっちゃんを好きになってからの5年間はとても幸せな日々でした。

私はあっちゃんに出会って救われました。
あっちゃんから生きる気力をもらっていたんです。
あっちゃんがいる間は死ねないと思ってここまで生きてきたんです。

どれだけつらいことがあっても、あっちゃんは寄り添ってくれた。
手を差し伸べてくれた。
それにどれだけ助けてもらったか。

「あっちゃん、これからもずっと大好きでいていいよね?」

今、私にできることといえばあっちゃんを愛し続けること。
それしかないんだと思います。
だから私はあっちゃんの歌を聴き続けるし、過去の映像も観ます。
スマホの待ち受け画像をあっちゃんにしてるのも。
グッズまみれの自分の部屋で、あっちゃんに囲まれて生活するのも。
毎日部屋中のあっちゃんに「おはよう」と「おやすみ」を言うのも。
それが私なりのあっちゃんへの愛かな、と思っています。
(曲が聴けない、というお魚さんも多いかと思いますが私は逆でした。通勤中とかはもうBUCK-TICKの曲を聴くのがルーティンになっているのでそれを崩す方が怖くて。)


私自身の死生観として、決して死は割り切れるものではないけど、
できるだけ故人のことを思い出してあげることがいいのかな、と思っています。

「人は忘れられたときに2度目の死を迎える」という言葉を聞いたことがあります。
失った哀しみは決して癒えるものではないけれど、どこかで折り合いをつけるには「忘れないこと」「思い出してあげること」が大切なのではないかと。

また、こんな話も聞いたことがあります。
「故人のことを思い出すと、向こうの世界ではその人の周りに花が降る」と。

今頃あっちゃんの頭上にはたくさんのお花が降り注いでいることでしょう。
本人は状況があんまりよく分からず「?」と首を傾げていそうだけど。
多分ISSAYさんが近くにいてくれると思うから、敦司、これはこういうことなんだよって教えてくれて。
「ああ、そうなんだ」って思ってくれてるといいなって。
私があっちゃんにしてあげられることは、そのお花が絶え間なく降り注ぐようにするぐらい。


でも、時折怖くなります。
私はこれからも同じ熱量であっちゃんを愛し続けられるんだろうか。
いつか忘れちゃう日が来るんだろうか。

いや、絶対に忘れない。忘れることなんてできない。
あっちゃんは、私の心の一番大事なところにいてくれる人だから。

あっちゃんの命日も絶対忘れない。
なぜなら、私の誕生日と同じ10月19日だから。
毎年一緒にいられるよね。私が年を重ねていくのを見ててね。

欲を言えば、これからも一緒に年を重ねたかったけど。
私が三十路になったらあっちゃんは還暦だね、なんて。
還暦のあっちゃん、想像つかないけど見てみたかったな。


発表があった後、今後のツアーの予定はすべて中止になって。
ただ本来回るはずだった会場では、グッズ販売とメッセージボードの記入スペースを設けてくださるということになり。

名古屋会場は発表から日が浅く、気持ちの整理がつかなかったため行けなかったのですが…。
先日私の地元である大阪にも来て下さったので、そちらにお邪魔させていただきました。


まずは初日の11月3日。
本来なら『FISH TANKER'S ONLY 2023』の大阪公演が行われるはずだったZepp Osaka Bayside。
12時頃に最寄りの桜島駅に到着したのですが、車窓からものすごくたくさんの方が並んでいらっしゃるのが見えて。
会場前から横断歩道を渡った道路沿いまで列が伸びていました。
私たちの後ろにもどんどん人が増えていき、気づけば駅手前の高架橋の上まで並ばれているのが見えました。

私が会場に入れたのは、並び始めてから5時間以上経った17時過ぎで。
物販でグッズを買い、メッセージボードを記入する会場へ向かいました。

いつもはライブが始まる前、高揚感と共に進む場所。
その日は、いつもとは雰囲気が違いました。

客電がついたフロア。
前の方にはメッセージを書くスペースがあって。

いざ前に立つと、何を書いて良いのかわからない。
元々ファンレターを書くのにも何時間もかかるタイプなので、今回は何を書くか決めてから行こうと思ってたのですがそんな気にもなれず決めかねていて…。
うまく言葉にできたかはわからないけど、自分なりの愛の言葉を書いてきました。
書くときに手が震えて字もよれよれになっちゃったけど。

メッセージを書き終わった後、しばらくは柵に寄りかかってステージを眺めて。
最前ってこんなにステージと近いんだ、とか。
メンバーはあっちから出てくるのかな、とかいろいろ考えて。

そうしてふと時計を見た際の時間は、ちょうど18時を迎える頃で。
本来ならライブが始まっていた時間。

でももうあっちゃんはいない。
ライブも始まらない。
その現実を突きつけられた瞬間、また涙が溢れてきてしまって。

いつまででもここで待つからさ。
戻ってきてよ。
もう一度、ステージで歌う姿を見せてよ。
あっちゃん、この間「亡霊になってもやってやる」って言ってたもんね?

後ろを振り向いても、がらんとしたフロアがあるだけで。
いつもの満員の会場じゃない。
そして、あっちゃんがその景色を見ることはもうないんだ。
そう思うととても悲しくて。

そうしてひとしきり泣いたあと、会場を後にしました。
出口に進むとき、あっちゃんにお別れしなきゃと思ったけどどうしてもできなくて。
いやだ、お別れなんてしたくない。
あっちゃんはこれからもずっと私のそばにいてくれるんだよね?
ずっとずっと好きなままでいていいよね?
いろいろな気持ちが混ざり合ってごちゃごちゃになってしまいました。

翌日、11月4日。
昨日のこともあり、私たちは早めに到着し9時過ぎには列に並ぶことに。
そうして待つこと6時間。
(一人では耐えられなかったと思う…。前日の夜中に「明日9時から並びたい!」って突然言ったにもかかわらず付き合ってくれたお魚友達よ本当にありがとう)

開始の15時と共に入場し、昨日同様グッズ購入→会場へ。
昨日も来たし、あの雰囲気にも慣れてるし、今日は泣かない!と思って会場に入りました。

メッセージボードは新しいものが用意されていて。
昨日も書きましたが、2日目もほんの一言だけ書かせてもらいました。

そして、またフロア内で思いを巡らせて。
なかなか帰る踏ん切りがつかなかった。
今日この場を後にしたら、もう来ることはないんじゃないかって思って。
だから、できるだけ長く会場内に留まっていたかった。

いろいろ考えている時に、最後に大阪に来てくれたのはいつだったっけ?と思って。
ああ、そうだ。今年6月の異空ツアーの時だ。あの時はオリックス劇場に来てくれたんだっけ。
そういえば、私があっちゃんの魅力にとりつかれたのも、5年前のNo.0ツアーでオリ劇に行った時だったな…なんて当時のことを思い出して。
その時の光景が一気によみがえった瞬間、また涙が止まらなくなってしまいました。

昨日あれだけ泣いたから今日は大丈夫だと思ってたんだけどな。
あっちゃんのこと、笑顔で見送ってあげられると思ってたんだけどな。
もう全然ダメでした。

今日が終わっちゃったら、もうこの先大阪に来てくれることはないのかな。
そんなの寂しすぎるよ。
お願い、いかないで。

その時、ちょうど会場内にかかっていた曲が『RENDEZVOUS~ランデヴー~』。
この曲の歌詞が刺さりすぎて、嗚咽をこらえることもできず泣きじゃくりました。

『たった一言 聞いてくれるかい
 そう さよならが来るその日まで 心から』
 
『たった一言 言ってみるのさ
 そう あなたに会えて良かったって
 心から ありがとう』

『RENDEZVOUS~ランデヴー~』/BUCK-TICK


また、今までに知り合ったお魚さんたちとも会場内でお会いしたのですが。
これまでは、BUCK-TICKのコンサートがある時はいつも顔を合わせることができた。
でも、もしコンサートがなくなっちゃったら、もう会うことはないかもしれない。
そう思うと辛くて堪らなくなって。

でも、また会おうねって約束ができた。
あっちゃんが繋いでくださった縁だから、これからも大事にしていきたいよ。
お友達がまたねって言ってくれた時の手のぬくもり、抱きしめてくれた時のあたたかさ。
とても嬉しくて、心強くて。
その優しさにまた涙しました。

そして、あっちゃんへのメッセージボードの周りはいつもたくさんの人がいて。
皆さんがメッセージをしたためている様子を見ていたのですが、驚いたのは本当に老若男女関係なくファンがいること。

まだ小さなお子さんが一生懸命書いたであろうメッセージの文字、若い男の子が数人連れ立って会場へ足を運んでいる様子、メンバーと同年代ぐらいの男性が涙ぐみながらメッセージを書いている姿。

あれだけ並んでもここに来たいと思う人がこれだけいるんだと思うと、また目頭が熱くなってきて。
櫻井敦司という人は本当に凄い人だったんだ、皆から愛されていたんだと改めて感じました。

結局、私が会場を去る勇気が出たのは18時過ぎで。
3時間ぐらい会場内で思いを巡らせていたことになります。
でも、ゆっくり時間を過ごすことができて良かった。
気持ちも幾分か落ち着いたような気がします。
(最後まで泣き通しだったけど)


こうして、大阪での2日間はあっという間に過ぎました。
そして翌日の朝。
目が覚めて、心にぽっかりとした穴が開いていることを今まで以上に感じて。
ああ、大阪に来てくれることを楽しみに生きていたのに、その楽しみも終わっちゃったな。
これからはあっちゃんがいない世界で生きていかなきゃいけないんだな。
じわじわとその実感がわいてきました。

この先、もうあっちゃんの「現在」が更新されることはない。
新しい音源も出ない。
コンサートもない。
声を聴くこともない。
姿を見ることもない。

果たして私はその悲しみに耐えられるだろうか。
今までコンスタントに活動してきたBUCK-TICKだからこそ、よけいにそう思ってしまいます。

年月は過ぎ去っていきます。
1か月、2か月、半年、1年…。
そうなった時、失ったものの大きさに打ちひしがれ、喪失感に涙を流す日が来ると思います。

でもね。
これだけは自信を持って言える。
私はあっちゃんに出会ってから、あっちゃんのことを考えない日はなかった。
これからもきっとそう。

受け容れるのにどれだけ時間がかかってもいい。
無理に割り切る必要もない。
あっちゃんを失って私の心に空いた穴は、もうふさがることはない。
あっちゃんのことを思い出しては涙する瞬間も、この先沢山あるでしょう。

それでも。
私はこれからもずっとあっちゃんのことを忘れないよ。

今までありがとう、あっちゃん。
辛いこと、苦しいことがあってもずっと歌い続けてくれて。
貴方に出会えて私は幸せでした。
今はどうか、安らかにおやすみください。

これからも、ずっとずっと大好きなままでいさせてね。


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