人情を相手にした場合、かけたコスト(時間・お金・苦痛)はある程度発言力になる。「時間をかけた私を無視できるのか?」「苦痛に耐えた私に報われる権利がある」。
認知的不協和で説明できるけど、やっぱり仕事でも看病でもコストかけてる人の発言は重く聞こえるし、わかってる人だと感じられる

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