「やばいときにアラートを挙げる」という単純なことができない理由

やばさに対しての適切な打ち手がないから。

そのままの意味だけではなくて次のような意味。

・「こうすればやばさが解決できる」という打ち手が思い浮かばない
・やばさを伝えるコミュニケーション文法を持っていない

「こうすればやばさが解決できる」という打ち手が思い浮かばない

やばいんですよ、って言っても、それを聞いた人や自分自身に
「じゃあどうすればいいの」とツッコまれて、うーんとなってしまう。

状況が変えられないことをわかっているから、発言してもそれにつながる明るい未来が見えないから、その発言をする意味を感じない。

やばいと言ったらその場しのぎをしてくれる場合もある。一時的に自分をそこから避けてくれるなど。しかし根本の解決にならないことがわかるからその発言もしない。なんだったらそういうことをしてもらったら状況が変わらないのに負い目だけ増えるから言うことはデメリットにしか感じない。

やばさを伝えるコミュニケーション文法を持っていない

打ち手と似ているが、どう伝えたら聞き手にやばいことが伝わり、さらには効果的なアクションを打ってくれるかがわからない。

ただ単にやばいと言っても、弱い自分アピールにしかならない。それは相手に隙を見せることになる恐怖がある。
心の柔らかいところを見せること自体怖いし、「弱い?だめじゃん」と評価されるのも怖い。だめじゃんと思われなくても、打ち手がないために、「じゃあどうすればいいんだよ」と思わせて、相手に面倒臭がらせてしまう。

辛いことを強調して言うと被害者ぶってると思われて、逆に「そんな責めてないよ」と反論されてそれも辛い。変に脱線したときにそのことも指摘されて辛い。被害者と同じような見られ方のラベルに、ヒステリック、拗ねたなどもある。本当はそんなふうに思われたくも振る舞いたくもないのに。

相談相手が思うアラートを挙げなければいけないタイミングと、相談相手が打てる打ち手がわからないといけない。それがわかってその相手の思考回路に響く伝え方をしなければならない。

きつすぎる。

ただでさえ自分の心の柔らかい部分を見せるだけで怖いのに、そこにさらに技術も必要であり、その成功率もなんともいえない、というのはリスクが高すぎる。

だから、やっぱり言えないよね。

この状態のきつさは、もう言葉を発せない辛さ。言いたいことがあるのに発言が許されない。

何か発言するにしてもそれを伝えるのに効果的なコミュニケーションの文法に沿って伝えなければならないことが直感でわかってるから、言葉を発するときに躊躇してしまって、文が作れない、単語を発することができない。

最後に

だからとして誰かにどうしてほしいということもできないんだけどね。変にやっても腫れ物に触るアクションになっちゃうだろうし。

「やばいときにアラートを挙げる」っていうのは、文意が単純、複雑ではないだけで、やるのは難しい。技術が必要。ある程度の戦略や心の機微の推測。「言うは易く行うは難し」というのはまさにで、単純/複雑は簡単/難しいとイコールでないことが痛いほどわかる

伝えるためのインタフェースほしい。辛いというときにその辛さを適切な穴埋めの入力欄に入れれば、どう伝えればいいかを出力してくれるサービスがほしいわ。本当に枠組みに関するハード面のシステムは多いけど、そういったコミュニケーション齟齬の解消とか思考アップデートの支援をしてくれるソフト面のシステムって本当ないよね。

やれるとしたら、アクションやフォローを行える強者の側から、「こういうときにはアラートを挙げてください」というのを明らかにすることくらいかな。
お互いの探り合いにするよりは、こういうときには知らせてくださいとか、こう対応できますよ、という虎の巻が用意されている感じ。
それも業務内容(ドメイン知識)を知らない外部の人が生々しくない基準を作るよりも、その業務について知ってる人が細かくなくていいから生々しいやつ。それができると階級の差、能力の差がある場合のコミュニケーションが楽になるのかな。

自分で作れって言われたら超辛いから多分誰も作らないの知ってるけど。

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