「言われてないからわからないですよ」は通用しない。領域に関わった時点で暗黙に要求されているものがある。
「言われてないからわからないですよ」は、何かを頼まれたときに、足りないエッセンスがあったときの発言。新人など初心者が言っているのを聞くし、自分も言ってた気がする。
でも言わないのも仕方ないし、言われない項目がありえる時点で、頼まれた側は察する力がある程度必要となる。
ではなぜこんな不幸が起きてしまうのか。
それは、ある領域に踏み入れた時点で暗黙に必要とされる構造や前提があるからである。
カレーの材料調達を頼まれたことを想定してみよう。
頼まれる側「カレー作るって聞いたけど、何必要?」
頼む側「えー、適当でいいよ。あんなの玉ねぎと人参とじゃがいも煮るだけじゃん」
頼まれる側「わかった、買ってくんね」
---- 買い物後 ----
頼んだ側「はぁ!!
カレー作るって言ってんのにカレー粉ないってどういうこと?
玉ねぎと人参とじゃがいもしかないじゃん」
頼まれた側「え、だってそれが必要だって言ってたじゃん」
頼んだ側「言われてなくてもカレー粉必要ってわかるじゃん。あとうちのカレーは隠し味に牛乳入れてんの。作ってるところ何度か見たでしょ!」
頼まれた側「知らないよそんなの。言われてないんだから」
ここまでひどい状況はないにしても、すぐに想像できたと思います。牛乳はともかくとして、カレー粉についてはみなさん必要だと思ったでしょう。
これは極端なことにしても、普段起きている「言われてないからわからないですよ」失敗は大抵こういうこと。
カレーを作る時点でカレー粉が必要になることが暗黙に必要とされている。
なんだったらより凝るんだったらカレー粉でも不正解でクミンとか香辛料かもしれない。
牛乳にしても頼んだ側がカレーという領域に関わっているからこそ、牛乳がいいという構造を知っているために必要だと思っている。
つまり、何かを言われたときの理解には、その字面というよりかは、なんの領域に関わっていて、その領域で何が必要とされているか、何が勘所なのかという把握が求められている。
「一を聞いて十を知る」ことができる人の頭の良さはここにある。あることを聞いたときにその構造を知ることができるから言われていないことも補完できる。
何か伝わらないときに「こいつ日本語もわからないのかよ」っていう返しがあるけれど、それは相当な不幸だしハラスメント。言われた字面の理解ができないというよりも、言われた言葉の背景や構造を知らないために理解できないということが多いんじゃないかと予想している。
ロジックツリーみたいな構造があり、盛んに話されるのは末端で、前提部分はあまり語られないことが多い。
カレーについても香辛料をどれだけ入れるかということは、カレーを作る基本フローがこなせる、理解している前提でやっと話になる
プログラマとしての私もなれていないプログラムのエラーメッセージ見て、ロジックツリーの末端すぎるところを指摘されて、上位概念を理解していないから、エラーメッセージを全く理解できないことがある。
言う側が全部伝えなきゃいけないのは辛い。とにかく面倒くさい。時間コストも精神コストも思考コストもかかる。そりゃ全部言える仕組みやマニュアルが整っていれば強いしコストかからない再現性あるからメリット大きいけど、用意されていない場でやるのは結構タフ。
こういう不幸がなくなるような仕組みができればいいのにな。領域なんてそんな数ないんだからいい感じに構造が理解できるマニュアルがあって、必要なときに補完してくれるような何か