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伝えるってなんでこんなに難しいの

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2021年9月の記事一覧

日本人に限らないかもだけど、100点狙おうとしてトッピングつけすぎて結局赤点回避もできない人多いよね。MVP作った時に「xxは作ったんですか」とかでいらんトッピング入れて太らせたり、それっぽいけどいらない観点出して、結局毒にも薬にもならない折衷案に落ち着かせたり。

「論理的」「客観的」という言葉がいまだにバズワード感ある。何かというと「論理的」とかいう言葉で人に指摘しておきながら、その人が論理的じゃないとかな人が結構いる。言わんとすることはわかるけど論理的という言葉で人を責めるには我がふり直せよっていう。

「xxは普通じゃない」だけで弾劾するのは大人として思慮に欠けている。きっかけとして直感に頼るのは筋のいい方法だけど、人を弾劾するほどのことをするなら、言語化しなければいけない。xxをするとxxで困る人がいる、だからxxしなければならない、など。断定する必要はないけど言語化は必要

人が絡んだ悪い事態について考える時は
A 起こった事実と因果関係の整理
B 誰かを責めること
はA→Bの順で考えるのが収まりがいい。
結局やりたいことは、出来るだけ人を責めずに済み、再発防止できること。
1番悪いのはそれっぽい誰かを責める対象にした上でAを整理し魔女狩ること

言行不一致は大嫌い。だけど、よくいう「言ったことに行動があってない」ことよりも「行動が言ったことと合ってないことについて、齟齬を言語化できない」ことに腹が立つ。行動を言語化して理想現実のギャップが言語化できれば矯正のしようがあるのに、理解できないと直しようがない

モラハラについてやりがちな人からの述懐。モラハラは「普通」のズレによって生まれる。このズレによりなぜ苦しみが生まれるかというと、A.単純に違うことのギャップとB.考え/行動のギャップ。背景や行動が違う人のギャップがA。「家を常にきれいにしておく」のようなやったら大変なギャップがB

叱る/叱られるときの「わかるように表現しろ」は2種類ある。「A.俺にわかるような表現にしろ」「B.人間に伝えるときにわかりやすい表現方法を考えろ」。大抵Bの皮をかぶったAだけど、Bで叱る人は頭いい。Bの構成要素を一緒に考えられる(これがリトマス試験紙)。「客観的」という言葉も同様

正論って難しい。特に実力や裏付けのある正論。正論は場合によっては暴力になり、それによって傷つけられることをモラハラと呼ばれる。自分は毒抜きにここでは好き勝手に言い続けるけど笑。見たくない人が見なくていい場だから。実社会とか近くにいる人にそれを浴びせられるのは辛い