道具屋のアリシア

街の中心から少し外れた位置に魔法道具屋は建っていた。店主の名はアリシアという。オレンジの赤毛を編み、腰に羽箒をさして、彼女は今日も閑散とした道具屋の番をしている。客は来ない。カウンターに腰掛けたアリシアはウエストポーチから手鏡を出して髪を弄った。客は来ない。往来を行く鳥の声さえ聞こえるようだ。暇になったな、とアリシアは思った。

魔法を使うのには道具がいる。これはどんな場合であっても是だ。電波塔が存在する限り覆ることのない唯一絶対のルール。そのため、魔法使いを志した人間の数だけ発注が入り、また壊した数だけ修理の依頼が入る。就職や進学とともに必要になる商品特性のためにアリシアの仕事がなくなることはないが、一年の大半はアリシアにとって暇な時間だ。美しく結い上げられたオレンジの髪は持て余された暇の産物だった。

ウェルカムベルがカランと鳴り、アリシアは顔を上げる。黒い服の兄妹が入ってくる。彼らが来るのは数ヶ月ぶりだろうか。アリシアは考える。すらりとした兄は妹を待たせ、カウンター越しに特殊な装飾の杖を差し出す。政府関係者の使う儀礼用のものだ。アリシアは受け取り、作業台で分解洗浄する。カウンターに座った彼が声を潜め、『案配はどうですか』と聞く。アリシアは黙って首を振る。『そうですか、引き続き警戒を』と兄。静かに話す男だ、とアリシアは思う。冷たさと柔らかさの同居する、輪郭の際だった静寂。前任者はどうだっただろうか。思い出せない。

洗浄の終わった杖を組み立て、男へ返す。妹のほうは展示台に飾られた装飾杖を興味深そうに見ている。「お嬢さん、それ、気になるかい」長い髪の隙間から顔が覗いた。「うーん、うん? ねえ、このマークって何? なんかの意匠?」「安全規格の適合証だよ」答えた兄は困ったように微笑んでいた。ふうん、と言った彼女の様子は『ださい』と暗に言っているようでもあった。あれでは兄も気が気では無いだろうな、とアリシアは思った。適合証は神聖なものだ。安全規格の不適合品を市場から排除する、それが店に課せられた特命であり、男が壊れることのない(儀礼用の)杖を持ってまで店に来る理由であり、店とともにアリシアが継いだ使命である。

「用事は済んだし帰ろうか」「うん」妹は兄が声をかけるとつまらなそうな顔から一転して、二人は腕を絡めて楽しそうに帰って行った。あの子はきっと魔法使いじゃないんだろうな、いつかは一人でこの店に来ることもあるだろうか。アリシアは考える。去り際、翻る黒のロングスカートが目にとまり、作業着を着崩していたアリシアは、彼女あの格好で暑くないのかな、と思った。

アリシアは髪に新しいピンを二本追加して、日が暮れるのを待った。そろそろ表の看板をクローズに変えてしまおうと、手を伸ばした扉が勢いよく開く。走ってきたのだろう、息を切らせてドアハンドルを握るのは、楽器ケースを持った女学生だった。「す、すみません。あの、まだお店、やってますか」「あ、ウン。お買い物かな?」「は、はい……もしかしてどこかお出かけのご予定でしたか?」玄関口にいたら普通そう思うよな、とアリシアは思ったが、せっかく来た客を逃しても面倒なのでごまかすことにした。「いやあ全然。お客も多いし店の看板を短縮営業から通常営業にしようかなってさ」女学生は少しほっとしたような顔をした。アリシアはカウンターへ戻り、紅茶を入れた。「それで、道具が必要ってふうな様子だけど、つるしとオーダーどちらをご所望かな? それとも今日は下見の感じ?」「え、ええと、発表会に出るのに少し格式張ったものが入り用で……」

(続く)

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