監視者のマリア

女はマリアと呼ばれていた。最初の自己紹介の時にマーリンだかマリーンだかと言ったのが発端だったが、そのことを詳しく覚えているものは誰一人としていなかった。無論その中には女自身も入っている。本当の名は別にあったが、連中は誰一人として女の名を知らなかった。過去には知るものもいたが、今はもういない。女は単純にマリア、もしくはマリーと呼ばれた。

マリアは魔術協会の監視者だった。反旗を翻すことなく、しかし肩入れしすぎず、ただ動向を監視する。女はすべてを見る目を持っていた。過去を見、未来を見、見るはずのないものを見る。知るはずのないことを知り、それに干渉する。時空に干渉しうる。それが女の持つ魔法の正体だった。

人間には魔法が使えない。しかし女には魔法が使える。なぜか。マリアは人間ではないからだ。人間には魔法は使えない。しかし杖を持つ人間は魔法を使うことができる。なぜなのか。魔法の由来が人間それそのものではなく、携えた道具によるものだからだ。女は魔法使いだった。だから女は魔法が使えた。

女は電波塔ができる前から町に住んでいた。遙か昔のことだ。死ぬことがないのだと嘯いていたこともあるが定かではない。何しろ女は今までただの一度も死んだことがない。ずいぶん長く生きてきた、としばしマリアは考える。塔の建設にも立ち会った。マリアは当時を思い出す。そのころは魔法使いの数も今よりずっと多く、魔法を使う人間も爆発的に増え始めた時期だった。時代の幕開け。そんな中で塔は建設された。マリアは塔の創設者の一人だった。そのころから魔術協会に名を連ね、そのころから観測を続けている。

塔の創設者。電波塔。魔法の力は許可制だ。誰が、誰に許可するのか。無論国だ。街一つを管轄する電波塔は飛び交う通信によって、魔法の力を制御する。より厳密に言うならば、電波塔の『許可』は人々の持つ『道具』に備わった停止命令を一時的に解除する。全ての『道具』には元来魔法を使うための回路が備わっているが、それらの機能の全てが人の手に渡る前に施錠される。一種の安全装置だ。使用時には使用者登録と承認、電波塔の許可とがそろって初めて回路は作動する。

道具なしでは魔法は発動しない。それはいかなる場合であっても真だ。安全装置のない『道具』は存在しない。それは塔に仕える『王宮』の人間が総力を挙げて駆逐したからだ。人間の肉体は生身で魔法を扱えるようにはできていない。それはもうどうしようもないことだ。人間には魔法は使えない。だから『道具』がある。できないことをするための補助として。

マリアは紫の長髪を撫でつけて手袋に包まれた手を撫ぜた。魔法使いは数を減らし、人間たちが体系だった魔法を使う。混沌は秩序へ。猥雑は清浄へ。野放図は許されない。この街は『整っている』。『わたしたち』がそうなるようにしてきたのだ。マリアは遠くを見た。街の外、規律の行き届かない辺境の地を。マリアは遠くを見透かした。未来を見る月色の目には雨が映った。偵察に遣った『王子』が返ってくるのはいつになるだろう。雨が降る前には戻ってくるのだろうか。長い髪を垂らしマリアはそんなことばかりを考えていた。

(続く)


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