妖精頭のマリア

扉をくぐればそこは塔の中。

今は日中、宣言通りの真昼間。ルカを認め、女魔術師は控えの女へ指示を出す。女は頷く。女の背を見送り、ルカは女魔術師と向き合った。そうだ、確かにこんな顔だった、とルカは思う。目の前にいれば顔を思い出せるのに、目を離せばすぐにその長い髪の紫が印象を塗りつぶしていく。曖昧な顔をした女は手を広げて、ルカ達へ歓迎の意を示した。
背の高い女魔術師をルカは見上げる。その背にカロンは身を縮めて隠れた。ルカは訝しむが、考えあってのことだろうと放置する。魔術師はまず、『何から話そうか』と言った。ルカは邪魔をせぬように黙って頷いた。言葉を探すように揺蕩っていた目が明確に戸口へ向けられる。その視線を追えば、戻っていた女がカロンを見ていた。控えの女。黒衣の女。四人の視線が交差する。時間の流れがどろりと鈍る。女は瞬きをして、魔術師(あるじ)の元へと進んだ。女の持ってきた報告を聞いて女魔術師は少し驚き、中座の失礼を詫びてから、しばしの間待つように言って出て行った。

ルカは振り向く。視線を避けるように屈む姿は見知らぬ大人に怯える子供のようだった。カロンは一言、『帰りたい』と言った。黒衣の女は目をそらさない。「……あの女、歳上だ」怯えたように伏せられた顔から、ちっとも震えていない声が低く告げる。それはそうだろう、とルカは言いかけ、カロンが自分よりも年嵩であることを思い出した。黒衣の女は自分より一つか二つ下に見える。ルカは口を噤んだ。カロンがわざわざ歳上だというのならそれは、きっとずっと年嵩だということだ。ルカは言葉に迷い、そうか、とだけ言った。

黒衣の女がつかつかと歩み寄ってきて、伸ばされた腕がカロンの腕をねじり上げた。「おまえ、マリアに何の用だ?」無理に顔を上げさせられたカロンは顔を歪め、『何をする?』と言った。ルカは驚き、止めようとした。「邪魔をするな。人間が」腕を掴んだままで女はためらわずルカを殴りつけた。急なことに対処できず、ルカは床へ尻餅をつく。カロンは腰を曲げ、逃れようともがいた。語気を荒げ、気色の悪い、何が目的だ、とカロンは言う。お前、同族を殺しただろう。女は言った。わかるんだぞ。その口は笑っていた。

座り込んだまま、ルカは反射的に杖を取り出した。あと一言。それで均衡は崩れる。止めなければ、でも杖は。起動を思いとどまり、承認が通る前に床に捨てる。慣れない魔法で失敗すれば双方無事では済むまい。事態は切迫している。ルカは迷い無く、もう見たくないとさえ思っていた親しい『虚構』を引きずり出した。血の力。生まれ持った力。地上から失われた土着の魔法は黒衣の女を止める。振り上げられた手がゆるゆると下ろされるのを見て、ルカは少しほっとした。黒衣の女がルカを見た。その表情には非難の色が宿る。視線の先で、解放されたはずのカロンが怯えたような目をした。ルカは戸惑う。ふと視線を感じて振り返れば、後ろには女魔術師が立っていた。

塔の魔術師は三人を叱責することはなかった。黒衣の女は諫められ、ルカは魔法を使うのを見られた罪悪感で、カロンは身を隠すもののなくなった不快感でそれぞれ嫌そうな顔をしていた。
「何か俺に言いたいことがあるんだろう」前後の脈絡無く、カロンは魔術師へ言った。「知っているんだろう、俺のことを。ロールを俺のところによこしたのはあんただ。違うか?」女魔術師は目を瞬く。「何の話かな」「しらばっくれるな、わかっているんだ。『妖精』の親玉があんただってことは」

遮ったのはルカだった。「カロン、妖精って何のことだ。一体何の話をしている? おとぎ話だろう、そんなものは」「……お前のところにも来てるはずだ。忘れてしまったのか? それならそれでいい。妖精は関わった人間の元から消えるとき、記憶と魔法の全てを念入りに奪い去って……いやまて」言葉を切り、カロンは視線を泳がせる。「……忘れたのならなぜ魔法が使える?」女魔術師は自嘲の滲む顔で曖昧に笑う。「私はその男のことを知らないんだよ、カロン。ロールのことは残念だった」「抜かせ。それ以上知ったような口をきいたら俺は『好きにさせて貰う』」「恐ろしい男だな、君は。わかった、黙っているとしよう」ルカは二人の顔を交互に見遣った。

「……魔法が使えるのはおかしいことか? 俺が、俺が魔法を使うのは妙か」苦しげにルカはいう。カロンは腕を組んで嘆息した。「そうだって言って欲しそうに見えるぜ。おかしいことは何もない。そもそも俺たちは全員『魔法が使える』。ひとつ妙なのは『理由無く』魔法が使えることだ。お前、一体何をした?」

(続く)

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