指導者のモイラ

ある日のことだった。昔から決まっていたことだった。あるいは決まっていないことが定めだった。その日が来たのは偶然だった。しかし出会いは必然といえた。電波塔の元を訪れた男のことをモイラは知らなかった。それがほころび。それが運命。

モイラ。モイラは指導者である。たくさんの名前を持ち、それと同じだけの所属と顔を持った魔法使いの女。それがモイラ。クジャクの魔女。女は目の前の男を見る。男も魔法使いであった。同じように伸ばした赤い髪。同じ肌の色。自分よりうんと年若く、しかし、同じ氏族の血を流す体。妙なことと言えばただひとつ。モイラは男のことを知らなかった。名前も、生まれも、彼に関わる一切のことを。

モイラは指導者だ。法の網目の中心に建つ電波塔に巣を張った古い時代の魔法使いだ。モイラの魔法は見ることだ。それからもうひとつ、関わること。電波塔の法によって守られたこの国は、新しい魔法使いと人間たちのためのものだ。統治のためだ。平等のためだ。平和のためだ。出る杭は打ち付けて調和を保たねばならぬ。女はやった。それだけだ。

モイラは魔法使いに生まれついた子供たちへ手を回し、秘密裏に『適切な教育』を施した。人の手の入らない原初の魔法は野放図で凶暴で予想がつかず、危険なものだった。だからモイラは彼ら彼女らの元へ、自分の分身を遣わせた。危険のないように。踏み越えることのないように。正しく望んだようにいられるように。そしてモイラは奪った。魔法を、思い出を。未加工の願いの産物で傷つく者が出ないよう、全てを忘却の彼方へと押し込めた。

ずっとそうしてきた。全ての魔法使いは彼女の愛し子だった。しかし、目の前の激情を押し込めたような瞳を持つ青年は、モイラの記憶にはない。間違えようもなく魔法使いだった。だってここに人間は入れない。

男はじっと黙っている。モイラは男に幼少期のことを尋ねた。男は戸惑いながら答えた。友人とのこと、親のこと。これ以上は、と男が首を振ったのでモイラは頷いた。奇妙だった。この男には『記憶に欠落がない』。奇妙だった。モイラの目は様々を見る。男はどこまでも正直だった。モイラは自身の目によって靄の中を見透かそうとして、逆に自分の中にある欠落に気がついた。モイラは惑う。こいつは誰だ?

男は網の張られた魔法電波塔伝播圏内で宙に浮かんだ不確定要素だった。モイラはそう結論づける。古い魔法には際限がない。放置しておけば危機の火種にだってなり得た。モイラはさらなる力を望むのだという男を、そばに置いて監視することにした。

(つづく)

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