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楽しんだもん勝ちって誰が決めたの



「今が一番楽しいからね」
「子供のときが1番よ」
「遊んでおけるのは今だけよ」

とたくさん聞いてきたけど
それを言った大人たちは今どうなんでしょうか

の割に
なりたい職業を自信満々に言うと


「◯◯だから大変よ」
「あなたには無理よ」
「あんなきつい仕事…」


と何を根拠にという言葉も多かったです

そうか、今が1番幸せなんで
なら大人になんてなりたくない


と子供ながら本気で考えてました
お風呂の中で


体が成長していくのがすごく嫌でした
確実に子供の体じゃなくなるんですから

心は子供のまま
体だけが大人になっていく

凄く凄く嫌だったのを鮮明に覚えています


はーい、ですがですが
大人になり(成人してからカウントして)

え?今のが楽しくない?
年々楽しいこと増えてない?
え?え?え?子供の時より自由なんすけど


状態です。
いや、もちろん子供の時の
あれ楽しかったわ〜
幸せだったわ〜
もう味わえないな〜
もたくさんあります


制服きて学生生活送ることも
限られた小遣いの中で何を買うのか考えたことも
将来なんか考えたり決めれないのに
進路という期限が迫ってたことも
運動会という全力で体動かすことも


大人になればないですからね


じゃあ何が楽しいのか
せとぐちなりに整理してみました


①決定権がすべて自分にある

子供の時は親や地域の大人に守られてました
あと育った環境ってのもありますが
良い意味でも悪い意味でも選択権はありませんでした

せとぐちの場合、家族といった
ファミリーレストランの注文も
親が決めたメニューからの選択でした

進路も親が許す選択肢の中からの選択でした

そんな選択肢から選ぶ生活から
選択肢すら自分で決めるという生活に


こんな事があったのか
こんな経験ができるのか
こう時間を使うのか
こうやって仕事するのか


と刺激溢れています


そうか、可能性って案外無限大
大人になればいろんなことが
身の回りに溢れてる

その可能性やいろんな事ごとを見つけたり
拾ったり置いてみたり接してみたりと


子供の時には決して味わえなかったことが多いからです

なーんで周りの大人は教えてくれなかったんだろうと
不思議に感じるほど

今の方が楽しくない?
この年齢でしか味わえない楽しみもたくさん
自己責任を伴い、大人が守ってくれることは
ないですがその分刺激に溢れてます


②子供のときと同じ事で楽しめる

先に書いた事はもちろんできないですが
子供の時に楽しかったことは今でも楽しめます

子供の楽しみ + 大人の楽しみ

が合わさって増えてる感覚です


そうか、子供の時にしか楽しめなかったのも
あるけど継続して楽しめるものもあるんだなぁと

ただ、幼いか成長できてないだけかもですが
楽しんだもん勝ちだ、きっと。イエイ。

まだまだ若輩者と括られる年齢ですが
年齢で区切らなければいくらでも
刺激的で楽しい人生なんだなと思いました


心のどこかで区切っていると
できない事が増えちゃうんだろうなと思います
区切っても、その年齢でできることや
楽しめることを捻出すれば…ですが
それはそれで楽なものではない

みんながみんな
やりたい事があるわけじゃない

難しいものですね


やっべぇ、仕事も辞めたしどうしようと
9/30に考えてました
夏目三久じゃないのでそんな呑気にできないし

と思ってたら、母上が電話で

「実は思い切って学校いくわ」

と言ったので
せとぐち小さい事で悩んでたなと思いました


子育て落ち着いて
母上(ババア)は自由そのものです

コロナ前には、いきなり韓国やメキシコ行ったり
電話なったなぁと思ったら
「実は今、東京でーす」と自撮り写真

周りの目なんか気にせず
自分のしたいことに進んでいくんですから


全く同じ事ができたり
同じ人生は送れませんが
せとぐちもババアのように
あるがままに赴くままに生きたいと思います


楽しんだもん勝ちが誰が決めたかわかりませんが

自分がそう決めたなら良いさ、きっと

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