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夜の小道、空想と現実のはざま

仕事帰り、最寄駅から自宅まで歩く。
夜の静かな住宅街の小道は、街灯がぽつぽつとあるものの、
なんだか心細くなるのが常である。

日によって、おばけが怖くなったり、不審者が怖くなったりする。

さて、そんな夜の小道を歩きながら、今日はふと刀について考えた。
ざわざわと真っ暗な闇を見つめながら「護身しなきゃ」と本能が叫んだのだろうか、「もしわたしが今、手元に刃物を持っていたとしたら」という考えがとりとめもなく、浮かんだ。へんなの。

ただ、手元に刃物を持って歩いたことなんてないから、うまくイメージができない。
よくRPGで勇者が掲げている剣を思い浮かべてみる。
時代劇でお侍さんが持っている日本刀を思い浮かべてみる。
そして今日職場で玉ねぎを刻んでいた包丁の質感を思い浮かべてみる。
・・・一番最後の想像が少しリアルでぞっとする。

ぞっとしたその悪寒と、一つ前の「時代劇のイメージ」が脳みその中でゆるっと結びついた。左腰元に目を下す。200年ほど前は、この腰のあたりに、実際に刃物を携えて歩いている人々がいたのだ。
それってどんな感覚なんだろう。アメリカで護身用のピストルを持つようなものだろうか。

空想の上に妄想は重なって行く。

ふむ、もし日本刀が日本社会に残り続けたら、たとえば身分制度の撤廃や男女平等はちぐはぐに進んだりして、わたしのような20代女性でも腰に刀を差して歩くことになっただろうか。いやならないか。これこそフィクションの世界だな。へんなの。

余談だが、わたしは「新選組」にまつわる物語が好きだ。
一番最初に触れたのは大河ドラマの「新選組!」で、中学の頃ハマっていた。近藤勇役の香取くんも、土方歳三役の山本耕史さんもかっこいい!!と友達ときゃっきゃ言っていた。
司馬遼太郎さんの「新選組血風録」も血生臭さと綺麗すぎないキャラクターの性格にはらはらしながらも、面白くて一気読みした。
一番ハマったのは渡辺多恵子さんの漫画「風光る」。これは男装した女の子がひとり新選組に混じるお話なのだけど、渡辺さんの時代考証や演出へのこだわりと人物への愛情が凄まじくて、その作者さんのパッション含めてとても好き。

そして”推し”はどの人の物語でも、たいてい土方歳三さんだ。

わたし、普段生きていて、戦争はもちろんだし、身近に起こる暴力も、もっと言えば小さな言葉のささくれに至るまで忌み嫌っている節がある。極力そういったものに近づかないように、細心の注意を払って生きている。
そんな自分が、刀を持って闊歩する新選組に萌えるのは不思議だなあと、たまに我に返って思ったりする。

今日もそう。

身近な刃物・包丁の質感が蘇った手。
誰かを傷つけて、血を流し得るものを日常的に携行する時代があったのだとゾワッとした。

江戸時代はどこか”安定”しているイメージがあって。
(「太平の世」みたいな言い回しがあるからかなあ)
血生臭さは身近な昭和の戦争の話の方が上回るけれど。

うーん、いつか血生臭い戦争の話も、誰かの英雄譚になるだろうか。
現れるキャラクターに、心躍らせる子孫がいるだろうか。
それがどうだと100年先の誰かにやいやい言うことはできないけど。

うまく実像が浮かばない、だけどキャラクターだけキラキラと一人歩きするわたしにとっての「新選組」のイメージに、少し気が遠くなるような、ならないような。

ごちゃごちゃ考えてみても、物語の中の「新選組」のキャラクターたちが、わたしはとても好きなままなんだけど。自然とそこからつながる実在した幕末の人々に、リスペクトの心持ちもあるのだけど(これは当時の立場関係なくいろんな人たちに)。

いつの間にか夜道は怖くなくなって、空想と妄想と現実を、バランスのとれないまま噛み締めて帰路をたどる。

帰り着いてからふと、現実の土方さんはどんな顔をしていたっけ、とウィキペディアを開いて見たら、なんとびっくり。今日が彼のお誕生日だった。

185年前の今日生まれた土方さん。
わたしは、リアルに生きてたあなたのファンだろうか、どうなんだろうか。

うやむやと、「呼ばれたのかしら」と訝りながら、ひとまず書き留めてみました。

おしまい。

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