3人の妻を病気でなくした ある医師の話
昔、福岡の友だちが上京した折、
夜のレストランで聞かせてくれた話です。
ちょうどいまごろの時期、
静かな外のテラスにて。
彼女の母親は重い病にかかり、
ふさぎ込む日々が続いていたといいます。
その様子を心配した主治医の先生は、
ある日、診察室で母親に向き合い、
自分自身の話を語ってくれたそうです。
~ ~ ~
〇さん、悲しまれる気持ちはよく分かります。
でも、僕の話を聞いたら、
少しはいいかもしれませんよ。
僕は若いころ、最愛の妻をがんで亡くしているんです。
その後、縁あって再婚しました。
幸せな日々でしたよ。
でも、再び、妻をがんで失いました。
1度ならず、2度もです。
ずいぶん時が経って、
また素晴らしい出会いがあってね、
3度目の結婚をしたんです。
今度こそ、添い遂げたいと思いました。
しかし、同じように、妻はがんで先立ちました。
こんなことがあるなんて信じられないでしょう。
だけど、本当なんです。
助かる人だっているのにね。
僕は医師でありながら、3人の妻を見送りました。
愛する人を救えなかった。
それでね、これもまた信じられないと思いますが、
今、僕が末期がんなんです。
そうですよね。驚くでしょう。
人生にはこういうこともあるんですよ。
それでね、僕は毎日、自分にできることをやっています。
たとえばこんな風に、
自分の経験を患者さんに話すことができる。
すると少しは、悲しみを和らげてもらえるかもしれない。
僕は最後までそうやって生きるつもりです。
だからあなたもそんなに落ち込まないで。
~ ~ ~
友だちのお母さんは、その後、亡くなられたそうです。
病院にお見舞いに行くこともなくなったので、
先生がどうされているかは分からない、と。
でも、自らの辛い話を語ることで
母親を励ましてくれた先生がいたことは、
今でも心のなぐさめになっている、と話してくれました。
私の周りには、がんを克服したり共に生きる人が何人もいて、
必ずしも余命が限られる病ではなくなっています。
先生に起きたことは本当に稀だと思うし、
その心中は想像もつきません。
それだけに、「僕は毎日、自分にできることをやっています」
という考えに至った軌跡に感じ入り、そして思うのです。
どんな状況になっても、
人は人の心に灯りをともすことができて
それが自分の灯りにもなるのではないかと。
ときどき、ふと、心によみがえる話です。
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