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誹謗中傷しない自分でいるために


2008年5月1日、私は初めてSNSをスタートしました。ブログです。
その日、自分に約束しました。
「私がこれから書くSNSには、自分の名前を出します」


働く人を大切にする「いい会社」を主に取材する私は、
もともと署名入り原稿を書いてきていますが、
プライベートのSNSでも公表しようと。顔も出そうと。

匿名にしない理由は、
職業柄、書いたことに責任を持つため」ですが、

もう一つ、大事な理由がありました。
「誹謗中傷しない自分でいるため」
言葉は諸刃の剣だから、自主規制させるためです。


これまで誹謗中傷を書いたことはないけれど
私は聖人君子でもありません。
黒いシッポを持ったデビルレイコさんと
共存している自覚を持っています。

感じ悪い人には「感じ悪っ」と思うし、
しつこく付きまとわれるのも嫌いです。
なんでもかんでも「いいんですよ」と、
にこやかに許せる器はないし、
そうなろう、と思う気すらございません。


だからもし、
私が匿名の投稿をするようになると
悪口を書く可能性があるんです。

例えば、どこかのお店に入って
すごく嫌な態度を取られたとしたら
「〇〇でこんな目に遭った」と、
書く可能性はゼロじゃありません。
文字を書くのは仕事柄、慣れているし。

そういうことを自分にさせたくないんです。

クレームがあるならば、直接、冷静に伝える。
直接、連絡を取りたくない相手なら
しかるべき人に頼んで言ってもらう。
そのほうが正々堂々としていられます。

そしてまた、
「人には良心がある」と私は考えるので、
卑怯なことをしてしまうと、
いつかそれに気づいたとき、
良心がうずいて非常に苦しむと思うんです。

何が苦しいって、
「自分で自分が許せない」
これ以上の苦しみってないんじゃないかな。
許せない自分から逃れることはできないんですから。

だから、ひどいことをしたことに向き合えないと
「自分は悪くない」と思い込むわけだけれど、
心の底では悪かったと気づいているわけで、
本音に背いて生きたって、
自分自身を生きていないことになる。

誹謗中傷した非は、
自分で認めても認めなくても、
どちらにしても苦しいはず
です。

なので、その世界に入らないように、
自分で自分を律する仕組みをつくる

それが、私にとっては
名前(と顔)を公表するということです。

自分のためが相手のためにもなります。

SNSが怖くてできない人は
匿名でやってみたらどうですかと
ブログに書いたことがありますが、
それは、あなたは誹謗中傷するような人ではない、
という前提で提案したものです。

匿名で発信できるのはSNSの利点なので、
これを非難するつもりは全くありません。

でももし、私のように「匿名、危険」と感じるなら、
名前を出すのは悪くないアイデアだと思うんです。

自分の思いを、自分の名前で発信する。
ごくごく普通のことですよね。

明るい道を歩きましょう!


※上記は2020年5月24日に書いたブログの内容です。アクセスがとても多かったのでnoteにも書いておこうと思いました。


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