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「絵」にできること 後編

最近よく考えていることを、ツラツラと。

・自分の感情に素直になってもいい

ボクという人間はいかんせん何事も常に人前で感情を出すということが苦手です。
ましてや負の感情など絶対に出したくなかったのですがこないだふと気がつきました。

「言いようのない感情を絵に変換すればいい」

当たり前のことになんで何年も気づかなかったのか。
言いようのない、行き場のない、言葉にならない感情や状況を絵に変換することの何が悪いのか。と。
どうやらボクはとんだ勘違いをしていたみたいです。
自分を出すのが苦手なら剥き出しの感情を絵を描くエネルギーに変換すれば良かったのです。
変に格好をつけるからあまり良くない絵を描くことになる。
こんな簡単でシンプルなことに何故気づかなかったのかと憑き物が落ちた感じがしました。


「鬱」をイメージして描いた絵。

・こっちに帰ってくる能力も必要

これは経験から来ているのですが、凄い絵を描く人の作品からは何か霊的な力を感じます。
スピリチュアルという感じのぬるい力ではなく、人間の清濁併せた恐ろしくも神々しい力。
(「死の匂い」と勝手に呼んでます。)

多分描いている時、凄い作品を作る人は「トランス状態」というか「何かに憑依されてる」という感じがする。
あくまで主観なのですが。

で、それから帰ってくる能力も必要だなぁと思いました。
普通の精神状態じゃないでしょうからね。
スポーツとかだとゾーンというとわかりやすいかもしれません。
コレボクも一度経験あるんですが、唐突自分語りします。

大学の講義で内容は「フロッタージュ」
簡単に言うと転写技法で紙を硬い対象に当てて鉛筆でスクラッチするアレです。
遺跡の発掘現場から小学校の図工まで幅広く使われるやり方ですね。

で講義の仔細ですが「B0」の用紙に大学構内のどこかの場所から模様を取ってこいというもので一限目から四限目までの制限時間でした。
ただその当日は真夏真っ盛りで気温は40度越え。ボクは紫外線アレルギー持ちなので日陰の学棟入口のタイルを転写することにしました。
そこでも立ってるだけで滝汗が出るぐらい暑かったのですがシャツを脱いでタンクトップ一枚になりひたすら鉛筆を擦り続けました。
そしたら人間極限状態になると火事場の馬鹿力が出るようで時間を感じなくなりました。
ただひたすら目の前の画面に向かう。
描く。描く。ひたすら鉛筆を擦り続ける。
気がついたら四限目のタイムアップ間際になり、暑さでフラッフラの状態で教室に帰還。
その時の講師の先生が講評でボクの作品を見て「あなた中々ガッツあるわね、よくやったわ」と言ってくれたのを覚えています。

先程描いた「トランス状態、何かに憑依されてるような状態」です。
でボクはこう思いました。

「多分あの時間を感じなくなる状態を自由に引き出せて使いこなすのが所謂天才の絵描きなんだろう」

ただ熱中症直前みたいな状態でそのあと2日ほど寝込んだので命削ったのは確実です。もしかしたら天才はあの暑さが無くてもできるから天才なのかも知れません。


(※余談ですが描き終わるまでにアクエリアスを6リットルほど飲んでましたが一度もトイレに行かなかったほど滝汗をかいたので絶対身体に悪いので真似しないように。本当に死ぬかもしれません。)


・絵にできること

自分語りが長くなったところでそろそろ〆ます。

絵にできることはそんなにありません。
これは前編にも書きました。
だからボクは狭い範囲ですが、ボクの絵を見た人の心を動かせるようにつとめます。

あとは自分の感情を絵に変換すること。
これをできるようにします。
多分形はどうあれ今までと違った物が出来ると思うので。

それでは。
あなたの人生に幸があらんことを。

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