共鳴(第4回阿波しらさぎ文学賞 最終候補作品)

 おばあちゃんは魂呼びの名人だったらしい。おばあちゃんの母もそう。つまり私にも名人の血が継がれているはずなので、おばあちゃんはやがてくる臨終に際して私を呼ぶ子として指名した。エンディングノートにも私の名前が書き記されているので、ヘルパーの大西さんはうちの家にも連絡をくれる。電話の相手が私でも両親でも、世間話のあとでおばあちゃんの体調を教えてくれる。私が聞いたかぎり、あまりよくない。いちどだけ「この欄だけいっちょも変わらんのやけど呼ぶ子てなんですかねえ?」と訊かれたことがあった。あーそれはですね。私はそばにお母さんがいないことを確認する。バレたらめんどうだし。おばあちゃんから聞きかじっただけなんですけど。前置きをして説明するがもちろん伝わらず、はあとかへえとか大西さんはあいまいな返事をした。マスクのせいか大西さんの声はいつもこもって聞こえる。

 三年前の盆のことである。
 いとこの結婚式が終わり、親類縁者たちはおばあちゃん宅で酒宴の続きを催していた。私はとにかくお腹がすいていたので素麺をもしゃもしゃ食べていた。中学生にしてはじめて結婚式に参列したのだが、フォークやスプーンの順番を気にしてばかりでぜんぜん喉を通らなかったのだ。素麺は引き出物として配られた。ここいらで作られたかなり太いやつで、ひやむぎじゃんと口にしたら親戚からしこたま叱られた。
 魂呼びを聞かされたのはそのさなかだった。莉緒ちゃん莉緒ちゃん。おばあちゃんは茹でた素麺を持ってくると隣へ座って、私だけ聞こえるようにしゃべった。大きな笑い声がいくつも飛び交っていたから、内緒話に気づいた人はいなかった。
 おばあちゃんが育った神山という村の言い伝えによれば、亡くなったり、いまにも亡くなりそうな人の魂は肉体を抜けて家のてっぺんに留まる。その間に「誰々さんもどっしゃれ、誰々さんもどっしゃれ」と呼びかけ、声が届いたら魂が返ってくると信じられていた。屋根に登って呼ぶそうだ。声質か呼び方か血筋なのかは知らないが、おばあちゃんは半々くらいの成功率を誇っていたらしい。
 ほとんど意味不明だった。死者? 霊魂? けれど当時はそういったオカルトが大好きだったから、いいよいいよ私やる、と答えた。おばあちゃんはニコニコしていた。会ったのは数えるほどもなかったが、よく笑うひとだった記憶は正しかった。
「こいでくつろいだわァ」しわだらけの手をこすり合わせておばあちゃんは言った。私、声めっちゃ小さいけどいいの。「かんまんかんまん」というか声の大きさとか血の濃さとか考えてぜったいお母さんさんの方がいいんじゃない?「依子はなァ……」「なになに母さんの悪口?」すでに酔っ払っているらしいお母さんは笑いながら間に入ってくる。魂呼びをばあちゃんに教えてもらってた。口にした途端、お母さんの顔色がサッと変わり「頭おかしいんか」とつぶやいた。えっ。私が聞き返そうとしたら「えっとぶりに帰ってきたと思ったらこれじゃ、ええかげんにせえ」と強い声をおばあちゃんへ向けた。肉体から魂が飛び出してしまうかと思った。なまりをしゃべるお母さんは怖かった。
 あたりが静かになった。横目でうかがうと親戚たちがいっせいにこっちを見ていた。イヤそうな顔をしたり呆れていたり、なかには明らかに怒っている人もいた。おばあちゃんはうつむき、小さな背中をますます縮こませる。そのさまがかわいそうで、わかったわかったよ、とお母さんをなだめた。まだ言葉を続けようとしたけれど、結局なにも言わなかった。気にしていないふりをして素麺を口に持ってゆく。ちっとも味がしなかった。
 翌日の新幹線でもお母さんの機嫌は悪いままだった。横顔はおばあちゃんに似ていた。名古屋をすぎたあたりで「おばあちゃんから言われたこと、忘れてね」と洩らした。それから叔父のことをぽつぽつ話した。事故で亡くなったらしい。おばあちゃんは病院で容態を見守るおじいちゃんや幼いお母さん、他の親類たちをふり払って家へ帰り、屋根からひとりで叔父を呼び続けた。叔父は戻ってはこなかった。

 おばあちゃんと会ったのはそれきりだった。
 はっきり言って魂呼びのことなどすっかり忘れていた。なのについこないだ、エンディングノートに名前が載っていると私に電話がきたのだ。気を回してくれたのが大西さんだった。もちろんお母さんは烈火のごとく怒った。しかし大西さんも譲らなかった。おばあちゃんはエンディングノートが果たされることをほとんど唯一の楽しみにしているらしい。両親、というかお母さんは結論を先延ばしにして、おばあちゃんの体調をうかがうことにしたらしかった。
 おばあちゃんがどうして魂呼びにこだわっているのかは知らない。ただ、葬儀の方法とか親類のメッセージと一緒に並んでいると思うと気が重かった。なによりオカルトの熱はとっくに私から去ってしまっていたから、そんないかがわしい迷信なんてどうでもよかった。私が眠っている間におばあちゃんが亡くなったら。そんなことをほんのちょっとだけ頭をかすめてしまうけれど、その考え自体にめちゃくちゃ落ち込み、ひとまず準備だけは整えることにする。現代文の朗読するときに背筋をちょっと伸ばしてみたり、腹式の呼吸を意識してみたり、シャワーを浴びながら声を出してみたり、たまにひとりでカラオケにいって大声の練習したりとか、そういうの。
 でも緊急事態宣言のせいでカラオケはどこも休店したし、高校もなくなってしまった。お父さんはあいかわらず出勤していたけれど、お母さんはずっと家で仕事をするようになり、大声を出せるチャンスが減ってしまった。なので寝る前に顔を枕へうずめて呼ぶ子の練習をしている。おばあちゃんの輪郭はぐにゃぐにゃしていて、いつもうまく描けない。真っ暗な視界で呼び続けていると、おばあちゃんの名前がフサエだったかフサコだったか、たまにわからなくなる。

 車内販売の中止に気づいたとき、ほとんどペットボトルは空になっていた。ひどく喉が渇いていた。ちょっとお茶ちょうだい。お母さんは険しい表情をしたあと、ティッシュで飲み口を拭って渡してくれる。どこまでいっても新幹線は貸し切りだった。「やっぱり非常識って思われるかしらね」お母さんは宙を見つめてつぶやく。マスク越しの声はぼやけていた。かもね。お母さんはため息を吐くだけで返事はしなかった。マスクをしているとお母さんの目尻のしわが深くなったように見えた。西へ進むにつれて天気は悪くなっていった。
 早朝の電話をとったのは私だった。嗄れた声の男性はヨイチと名乗った。なまりが大西さんと似ていたのでイヤな予感がした。お母さんに替わると眉間にしわを寄せ、しばらくうなずいたり唸ったり首を横にふっていたが、受話器を置いてからしばらく呆然としていた。どうしたの。「おばあちゃん倒れた。峠かもしれないって。いま病院みたい」お母さんは目を伏せて淡々としゃべった。私はなんと答えたらいいかわからず、うん、と言ったきり黙っていた。いつだったか、大西さんが「本当におうちが好きなんですねえ」と話してくれたことを思い出す。家で看取られたいとエンディングノートに書いたらしい。
 お母さんは仕事用のノートパソコンを開くけれど、しばらくすると画面を閉じ目をつむっていた。どうすんのとお母さんに尋ねる。首を振って「いけるわけないでしょこんなときに。こないでほしいとも念押しされた」ソファに身体を沈めてテレビをつけた。感染者の推移について年寄りのコメンテーターと疲れきった表情の医者が話していた。
 それでもお母さんは立ったり座ったり意味もなく歩き回り、ひとつの動作のたびに深いため息を吐いた。身体の薄いお母さんがなくなってしまいそうだった。そんなに弱っているさまなんて見たことなかったから、これからおばあちゃんとこいこうよ、なんて口から出てしまう。魂呼びのことも頭の片隅にあった。「アンタさあきいてなかったの」私がいきたいってワガママ言ったことにしてさ。「いまそういう問題じゃないことくらいわかるでしょ」お母さんは会いたくないの。「なんども言わせないで」会いたくないの。「怒るよ」ねえ。「そんなわけないでしょ!」

 

 けれど、やはり私たちは歓迎されていなかった。
 大きな荷物を提げた私たちを見て、タクシーの運転手から「どっからきたんな」と警戒されたので覚悟こそしていたが、そもそも会うことさえできないとは思っていなかった。「藤本フサエに面会したいのですが」「ご親族以外の面会はご遠慮しております」受付に座る女性は気の毒そうに言った。どれだけ親族だと主張しようが無駄だった。夕方前だというのに待合室には私たちしかいなかった。お母さんが食い下がるたび、着替えの入ったバッグの金具がきしみ、いやな音を立てた。「入院棟にいかれますと感染拡大のリスクがありまして……」女性のいうことはもっともだった。私たちは圧倒的によそ者だった。
 お母さんはどこかへ電話をはじめる。受付の女性が顔をしかめながら「いい加減にしてください」と言った。すみませんすみません。私は何度も頭を下げた。そのたびに肩からずれるバッグの位置を直し、自分の想像力のなさに涙が出そうだった。
 しばらくするとエレベーターから初老の男性が大股でやってくる。私たちを見るなりぎょろっとした目をみはって「依子ォおまはんなんできたんじゃ」と声を荒げた。電話で聞いた声だった。「こんでええいうたんわっせたんか」マスクの真んなかがへこんだり膨れたりした。「ちょっと藤本さん」受付の女性が人さし指を口元にあてた。「ご無沙汰してますヨイチのおっちゃん」「そんなんどっちゃでもええわ」首の皮に張りついた喉仏がぐねぐね動いた。「あれのことヘルパーから聞いたで。ほなけんきたんか」ヨイチは私をにらんだ。私もにらみ返して胸のなかで舌打ちをした。「そんなこと」「頭おかしんか、迷惑しとんじゃみんな」私はとっさにお母さんを見た。うつむいて背中をまるめた。手が震えていた。「東京からウイルス持ってきて、これで感染者出たらどなんすんでがだ」あのそんな言い方ないんじゃないですか。「子どもは黙っとれ」いやでも。「なにが魂呼びじゃ。いね。はよいんでくれ」本当に、本当に本当に腹が立って、ヨイチのそばへずんずん歩いていって、ジャージに隠れていたすねを思いきり蹴る。弾力性のない肌と奥にある骨に触れた気がした。ヨイチは短い悲鳴をこぼした。もういちど私は蹴った。すねを抑えて屈んだ隙に、お母さんの手を引いて待合室から出る。なにも言わなかった。呆れていたのかもしれない。病院を出るとお母さんはうつむいたままだったけれど、いちどぎゅっと目をつむってから「おばあちゃんちいくから」と言った。

 タクシーから降りる頃には雨がひどくなっていた。もうじき日が暮れそうだった。
 お母さんは迷いのない手つきで鍵をあけた。家の明かりをつけ、すぐさま階段を駆けあがる。私もあとに続く。記憶のなかにあるおばあちゃんの家よりも広々としていた。酒宴の名残などこれっぽっちもなく、私が素麺を食べていたところには電動のベッドが横たわっていた。シーツは乱れ、ベッドはゆるい傾斜を保ったままになっていた。
 お母さんは二階の窓を開けるなり「のけ!」と声を荒げる。鳴き声とともにおびただしい数のカラスが飛び立っていった。それからサッシに足をかけるので、ちょっと、と言うけれどお母さんはおかまいなしに瓦へ踏み出してゆく。ためらいがなかった。私は身を乗り出す。無数の白い直線が瓦を打ちつけているのが見えた。お母さんは瓦の上で身を屈めていたけれど、壁を支えに立ち上がり、雨に身体をさらしながら、家のてっぺんに向かって「フサエさん戻っしゃれ」と叫んだ。グレーのブラウスがみるみる濃くなる。私はお母さんを見た。こんなことしてなんになったんだろう。こらえていたお母さんを煽ってみじめな思いをさせ、結局会うこともできない。「フサエさんもどっしゃれ」私も瓦に乗る。「フサエさん戻っしゃれ」ソックスが滑って思いきり膝を打ち付ける。お母さんは気づかない。立ち上がって声を出そうとしたところで「フサエさん戻っしゃれ」病院のおばあちゃんの魂が屋根に現れるかもわからなくて「フサエさん戻っしゃれ」家を背にして呼ぶ。おばあちゃん戻っしゃれ。マスクが張りついて息苦しい。膝がじんじんと痛む。雨が全身にぶつかって重い。「母さん戻っしゃれ」背中越しでもお母さんの声はやっぱり大きい。私はマスクを外す。「おばあちゃん戻っしゃれ」土砂降りで目を開けていられない。髪や目尻やあごや指先から雨が流れ落ちてゆく。「母さん戻っしゃれ」「おばあちゃん戻っしゃれ」「母さん戻っしゃれ」「おばあちゃん戻っしゃれ」届いているんだろうか。「おばあちゃん戻っしゃれ」「母さん戻っしゃれ!」けれど私は信じる。「おばあちゃん戻っしゃれ」「母さん戻っしゃれ!」私の怒りと「おばあちゃん戻っしゃれ!」お母さんの声量と「母さん戻っしゃれ!」私たちの血筋と祈りを。




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