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胸にネヴァーマインドを

ここ数日、地元のグループLINEがよく動いている。
ニルヴァーナの「ネヴァーマインド」の件。

裸のベイビーだった男性が性的搾取だとして訴えを起こし、その旨が続々と報道され、男性の意向とはまったく逆の形でまた人の目に晒されていて、この話自体は複雑な気持ちだ。けれど、私たちは是非で盛り上がっていたわけではない。高校生だった私たちはネヴァーマインドのジャケットを、本当にいやというほど見た。正確に言うとジャケットがプリントされたTシャツ。亡くなった友人の一張羅だった。

DIMEでもRIZINでも、ライブ本番は必ずそのTシャツで臨んだ。ニルヴァーナの「ネヴァーマインド」Tシャツに、色素の薄くなったナチュラルダメージジーンズ。気合が入るらしい。謂れも理由もよくしらん。真冬の、スーパーマーケットの駐車場で演奏したときだって「動いてたら暖かくなるって!」と言い張って半袖だった。寒くて指がちっとも動いていなかったのを私は知ってる。けれど、一張羅というくせにふつうに遊びにいくときも着ていた。というか、かなりの頻度で着ていたので、胸のところにあるプールの光は薄くなり、赤ん坊はかすれ、お札の文字はバリバリになってもう読めなかった。


友人が亡くなってしばらく経つ。
当時スタジオで遊んでいた友人たちとは東京でもしばしば会っていて、そのたびに彼の話になる。地元を離れてから私が東京、彼が愛知にいたので肉体的な距離がずっとあり、そのせいで、いつかひょっこり現れるんじゃないかと思う瞬間が未だにある。1年くらい前には夢にさえ出てきた。


亡くなった友人とは、よくスカイプを繋ぎながらゲームをしていた。
ゲームにまつわる会話はほとんどなく、たいていが気になったニュースや音楽や小説の話。彼は星新一と藤原伊織が好きで、音楽は分け隔てなく聴いていたけれど、なかでもHi-STANDARDとELLEGARDENとHAWAIIAN6のファンで、アニソンやボカロのベースラインをすぐに耳コピして披露する癖があって、麻雀の好きな役は一盃口、GibsonのThunderbirdを愛用していて、バンドのなかで、もっとも楽しそうに楽器を弾いていた。頭の回転がよくて、足が速く、それから底抜けにアホだった。私が小説で小さな賞をもらったとき、私なんかよりもずっと喜んでくれた。照れもあって書き上げた小説は渡さなかった。いまも悔いている。私は大学院生だったし、友人は留年しておりまだ大学生だったから、持て余すほどの時間があった。24歳だった。

友人と最期にしゃべったのはおそらく私だった。

2月。大学院の口頭試問も終えて、現在の事務所にアルバイトという形でほぼ毎日通っていた。当時の事務所は(もちろん仕事への慣れやスキルがなかったとはいえ)いま考えてみてもかなり修羅場の連続だった。そのせいでゲームをやる頻度はみるみる減ってゆき、たまに電話しても私がアルバイト先のことばかり話すようになった。友人はまだ就職先が決まっておらず、そのまま地元に戻ることになっていたと聞いたのは亡くなった報せを受けたタイミングだった。それが亡くなった理由だったのかは知らない。知るのが怖いので聞かなかった。最後の通話は、たぶん「また今度」だったと思う。それが最期になるなんて知らなかったから、いつもどおり喋り、いつもどおりにお別れの挨拶をした。お別れの挨拶と呼ぶにはおおげすぎるほどふつうの言葉だった。


先日ギターが結婚した。時勢的にどうなるかはわからないけれど、式を挙げて友人たちも招くつもりらしい。私もいるとのこと。嬉しいね。どうなるかわかんないけれど。

余興でバンド演奏したいとのことで、それはぜんぜんいいんだけど、ベースどうするねんな、と言うとギターは「そうやね」と困ったように笑った。わざわざ口にしてしまったことに落ち込んだ。あと、ギターが使っている機材はオレンジ色のテレキャスだと未だに思っていたけれど、高校生までしか使ってなかったらしく、私の時間が止まっていたことにも落ち込む。やりとりを聞いていた花屋の友人(他のバンドでギターを演奏していた)が「それやったらベースやるわ、ベースがなくて悲観的になるよりもアイツ喜んでくれるやろ」と言う。たしかに、ネヴァーマインドのジャケットさえ胸元にプリントしておけば、だいたい笑って許してくれそうな気はする。

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