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第九話 『黒猫のカフェ』


 とある黒猫は化け猫として江戸時代に生まれた。名前の由来は化け猫の集落にいた年上猫たちから自然と名付けられた。年上・目上には夜に現れる闇のように体の毛が真っ黒であったから「夜闇」、年下・親しい間柄に夜空に散りばめられた無数の星のように瞳が光り、辺りを照らすから「星屑」と呼ばれた。ほとんどの化け猫たちが夜闇と呼んでいた。夜闇の親は誰も知らないらしく、本人も記憶がない。いつの間にか集落で暮らしていた。集落の猫たちと時折人から食べ物を奪って生活していた。化け猫の中でも黒猫は珍しく、人から疎まれる存在であることから強奪が上手くいかないことも多々あったため、集落の猫たちからは好奇の目に晒され、避けられていた。
「夜闇。またあいつのせいだよ。人間が縁起が悪いって逃げちまう」
「まあまあ、仕方ないさ。あいつも集落の一員だし、追い出すなんてできないだろ。長老たちも迷惑しているけれど、黙っているんだからな」
「あいつ自身は一番取り分少ないのに、折半なんて……」
「ほら、呼ばれてんぞ。早く行こう」
 すぐそばの茂みに隠れて聞いていた夜闇は特に気にすることもなく。集落へ合流した。
 そんな日々を送る中、大人になっても関係性は変わらずにあるため、集落の猫たちといたくなくて夜に蛍が見える小川へ行くようになる。そこで出会った化け猫の雌。その雌猫は愛らしい容姿と珍しく白と茶色と焦げ茶色の三毛の綺麗な毛並みをしていて、人間でいえば美人と言われるだろう。偶然出会い、それからはたびたび人間が全員眠った深夜になると他愛のない話をするようになった。その時に、いつも話をする場所であるとても静かで清らかな、蛍がたくさんいる川を見て言った。
「まるで、貴方のようだわ」
 そう言われて以来、夜闇のことを蛍。そう呼んでくるようになった。
 雌猫と過ごす時間はどの化け猫といるよりも楽しく充実したものだったが、特別な感情はなかった。相手にもなかっただろう。でも、どこか心地よい。ずっとこのままいられたらいいのにと密かに願って彼女と別れた。雌猫と出会って一年と半年の頃、いつもの小川へ行くと彼女の姿はなく、その日々が続いた。どこかで人間に捕らえられてしまったのか。それとも集落が移住地を変更したのか。もしかして、一人で生活していて江戸という街に飽きたのか。なぜ彼女がいなくなったのかはいまだに知る由もない。ただし、心配するようなことは夜闇の心の中に一切なかったことだけははっきりしていた。
 彼女が来なくなったのをきっかけに一人で生きていくことを決意した。そして、もう集落に戻ることはなかった
 時が流れ、昭和になった。自立に自分だけで生きれるようになっていた夜闇は、喫茶店ブーム真っただ中の街中を散歩していた。夜闇には人間が熱狂しているものなど何なのかも知らず、今日の食事を探す。ここら辺を生活圏としている夜闇には気になる場所があった。そこはなぜか中が丸見えの建物で、透明なのに近づけない不思議な壁の向こう側には人間が何かをよく飲んでいた。そばに上って観察すると、黒い何かを嬉しそうに飲んでいた。それを見て、夜闇はとても親近感が湧いた。人間がいろいろ動くのが面白くてよく寄るようになった。
 お決まりの所へ上ると撫でてくる人間がいる。年老いているが優しい手つきで触ってくる。これはいい人間だと、餌をもらいに目当てにした人間の後を追いかけたら計画通り食事をくれるようになった。しめしめと思っていた夜闇は毎日その人間の所へ通い、餌を分け与えてもらっていた。いつも暗い建物の裏で餌をくれる老人は餌だけではなく、雨などの天候の悪い日は抱きかかえて建物の中へ入れてくれた。建物の中はとても暖かくて、茶色い部屋だった。落ち着くのにピカピカ眩しい光が降ってきて不思議で仕方なかった。そんな夜闇を老人はいつも楽しそうに眺めていた。
 とある日。当然のように暗い建物の裏で餌をくれと鳴いてみせる。しかし、いくら鳴いても老人は出てこない。もしかしてもう餌をもらえなくなったのかと落ち込んでいると、二人の人間の声がして慌てて屋根によじ登る。どうやら老人について話をしているようで聞き耳を立てていると驚愕の事実が発覚した。
「もうこの店に来られないなんて悲しいわ~」
「本当よね。昭和からあったのに、平成に入った瞬間、亡くなってしまうなんて……」
「いつも笑顔でお店を経営されていて、天職だって仰ってたもの。残念だわ」
「それに、お一人なんですって。お気の毒だわ……」
 ――亡くなったって……。もしかして死んだってことか?
 寿命が長く死とは無縁の夜闇にとって馴染みのない出来事だったが、なぜかとてつもなく悔しく苦しい感情が湧きがってきた。どうしたのかと自問自答するが、目にたまるのは涙ばかり。あの温かいぬくもりと手つきを思い出すだけで体が重くなる。早く会いたいと屋根の上でうずくまり、二人の人間が去っていくのを待った。
 あの老人がいた建物がこのままでは壊されてしまうかもしれないと人間の習性について学んだ夜闇は必死でどうしたら残せるのかを探るために、百年ぶりに人間の姿に化けた。いろいろ走り回った結果、カフェというものを引き継げばいいらしい。あの空間にもう一度入りたかった夜闇はカフェを残すためになんでもこなした。そして、十年後悲願を果たしたのだった。

 入院から3か月が経っていて、意外と長い病院生活になったなと退院を実感できず、清川は道を当てもなく歩いた。頭上を桜が舞っていることなどどうでもよかった。退院できたことは誰にも知らされていないらしく、出迎えは誰もいなかった。それもそうか。あんなこと言ったんだもんな。誰もが僕を見捨てているよな。もう帰る場所もない。頼れるものもない。生きていたのは幸いだが、これからどう生きていこうか。唯一の居場所も、きっと化け猫だったことがばれて、もう僕の物じゃなくなっている。それに、もう以前みたいに人間に化けるのは無理だ。老化しているのか維持できるのが一時間と持たない。これでは黒猫カフェは終わりだ。みんなとの関係も終わってしまったし、ちょうどいいだろう。これで良かった。これで、いいんだ。
 そう思っていたら、常連客の一人が夜闇を見つけて手を振っている。あれは釘野煉だ。両親とともに清川の方へ勢いよく走ってくるので逃げ場もなく、そのまま腕を引かれて連れていかれる。
――あんなことを言った僕をどうするつもりだ……!?
 引っ張られるまま、ついていくと到着したのは夜闇の店『黒猫カフェ』だった。
 店の中まで引きずられると、見慣れた常連客達の姿があった。九重、襖、千種、筅儀、柊、神坂の五人だ。どうして集まっているのか。そして、何故集まっているのか。というかどうやって店の鍵を開けたんだ?
「すみません……。清川さんが寝ているうちに借りちゃいました」
 申し訳なさそうに言うのは九重だ。消極的な性格と思っていたのに意外と突飛なことをするんだな。
「今日退院されると聞いて、煉君にお迎えに行ってもらいました。ありがとうね、煉君」
「うん!」
 無邪気な笑みで返事をする煉。その笑顔に思わず辛いことを忘れてしまいそうになる。
 そうだ、ぼくはもう見捨てられたんだからここに来る理由はないんだ。
「……もう僕に用なんてないでしょ。なんで連れてきたの」
「清川さんに来てもらったのは他でもありません。清川さんが思っているようなことが起きていないことを証明するためです」
「証明……? 今更何を」
「僕たち考えたんです。どうしたら黒猫カフェを残せるのかって」
「残さなくていいよ。もう、いいよ」
「お医者さんからはこれからは活動するのがほぼ無理で安静にしてないといけないって。だからお店はやっていけないって聞いて……。すごくショックでした。もう、黒猫カフェに来れないかもしれないなんて」
「……」
――もう体力的に限界なことはバレていたのか。
「そこで思い付いたんです、僕。じゃあ、僕たちで黒猫カフェをやればいいんじゃないかって」
「は?」
 素っ頓狂な声が出たところで、清川が退院するまでの三か月間に何をしてきたのかを説明された。
 九重が常連客たちを集め、黒猫カフェを続けるためにしなけらばいけないことを話し合った。そして、清川がやっていたことを自分たちでする必要があることが分かった。頭を抱えそうになった九重だったが、千種がみんなでやれば問題ないわと勇気づけてくれた。リーダー千種を中心に接客指導や計画を襖、経営権を譲り受けるための手続きを筅儀、店の外にある看板を絵心がある柊、商売繁盛の祈禱を神坂が担当。そして、清川の代わりに黒猫カフェを引き継ぐ店長に九重が就任することになった。
 協力してこの『黒猫カフェ』を残せるように走り回って、結果、夜闇の代わりに九重がこの店を継ぐことまで手を回せた。
「だから、あとは夜闇さんの許可だけです」
 そう言って、店主引継ぎの書類を目の前に出された夜闇は大粒の涙をこぼした。
 自分のために、こんなにも大勢の人が助けてくれたこと。自分の店をこんなにも愛してくれたこと。
 そして、この店を、黒猫カフェを何としても残したいと思ってくれたことが本当にうれしくて感極まってしまった。
 夜闇はその書類に判子を押し、新たに九重が店主になった黒猫カフェのカウンターで長い尻尾を揺らしながら常連客達の話声を聞いていた。
 その月の光の瞳は、潤んでアンティークな照明に光って輝いた。


 四月。出会いの季節も黒猫カフェは忙しい。今日も何かと道に迷って訪ねてくるお客さんがいた。

「すみません。道に迷ってしまって……。ここ、どこですか?」

 若い女性が同い年くらいの男性に話しかけると、男性は笑顔で女性の問いに答えた。そして、ある提案をする。

「そうですか。俺は大変でしたね! とりあえずうちでゆっくりしていってはいかがですか?」

 男性の提案に安堵すると同時に、若い女性はあることに気づく。

「あっ! そういえばここってカフェなんですね。素敵な店内だなぁ……」

 うっとりとした表情で店内を見まわす若い女性に、この店の店長である男性ははつらつと感謝を述べて歓迎した。

「ありがとうございます。では、こちらへどうぞ!」

 新たな客の来店に、看板猫の黒猫が微笑んでお出迎えをした。

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