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品品喫茶譚第33回「東京 神楽坂フォンテーヌ」

幼少の頃より、神楽坂という地名を耳にすることは多かった。家族の会話の中に「カグラザカのおばさん」という単語がよく出てきたからである。もっとも小さかった私には「カグラザカ」が何なのかが分からない。どこかすごく遠いところにある、格調高い、瀟洒な(そんな言葉は当然知らなかったけれども、その時の体感をいま言語化すると)街なのだろう。漠然とそう思っていた。おばさんにも会ったことはなかった。
 
大学生になって上京したあとには、すでに神楽坂が東京の街であることは知っていたが、自分から訪ねることはなかった。駒澤大学と三軒茶屋を往復するばかりの毎日を過ごす私には神楽坂に全く用がなかったのである。だからそこに何があるのかも知らなかったし、調べようともしなかった。
神楽坂に初めて行くことになったのは、その街にあるというせんべい屋に行く両親についていくことになったからだった。何でわざわざそんな用事についていったのかは全く思い出せないのだけれど、とにかくそのとき初めて私は神楽坂に足を踏み入れた。足を踏み入れたといっても、その街並みに関して記憶していることは全くなく、ただただせんべい屋の老婆の態度がとても悪く、なんというか田舎者をちょっと馬鹿にしている風情だったので、私のような田舎者は非常に憤慨した、という思い出だけが残っている。

二度目に神楽坂を訪れたのは、二〇代半ばを過ぎたころだった。確か上村一夫の展示を観に行ったのである。ミニライブと絵の展示に喫茶までついていた非常に楽しいイベントだったと記憶しているが、それはイベント会場の中にすべて集約され、やはり街並みに関する記憶というと、とんと定かではない。つまり私は神楽坂に思い入れがない、ということに尽きるのだった。
 
そんな私がほんの十日ほど前に神楽坂を訪れたのは、作家の太田靖久さんが主宰する『ODD ZINE展』という催しが神楽坂かもめブックスという書店で開催されたからである。
書店の奥に併設されたondoというギャラリーに「動物」をテーマにした様々な散文を展示し、さらにそれらを『ODD ZINEvol9』というZINEにまとめて販売する、というのがこの催しの大まかな内容であり、私も「ねこにひき」という随筆で参加させていただいたのである。
もっとも関西住みの私は当初、この催しに足を運ぶのは無理だと思っていた。だいぶオープンになってきたとはいえ、あいも変わらず疫病の時代であるし、思い立って気軽に新幹線というわけにもいかない。しかし今回は展示の最終日近くになって、たまたま色々な用事が重なったのである。
私は新幹線に飛び乗った(ぷらっとこだま)
 
御茶ノ水に宿をとったので、神楽坂までは歩いていこうと思った。当日はとても天気が良く、意気揚々と宿を出た。道すがら、持ってきたインスタントカメラを取り出し、おのがこれと思った景色をパシャパシャと撮影したりもした。自己満足の所業である。
東京はいつまでも夏のような気候だった。当然、神楽坂に着くころには死ぬほど汗をかき、ちょっとみっともないほどだった。
今回、私がとった水道橋のほうから向かうルートだと、おそらくだが今まで二度、件の街を訪ねたときとは逆の方向からのアプローチになるようだった。見慣れぬ街のより見慣れぬ坂を登っていく。
神楽坂界隈は休日というわけでもないのにカップルや若者が多く、賑わっていた。私の記憶の隅っこにある街のイメージと違う。この街にはそういった面もあったのか。
のらくら歩き続け、かもめブックスの辺りまで来たとき、近くの路地を入ってすぐの建物に喫茶店の入口を見つけた。アーチ状の入口上部には「coffee&サンドイッチ」と書かれている。恐らく洒落た純喫茶であろう。しかし地下へと続く階段は古めかしく薄暗い。ちょっと怖いしやめようかなと一瞬、躊躇したものの、足はすでに地下へと向かっている。私は喫茶店に入る時だけはクソ度胸が出るのである。いつからこんなに喫茶店が好きになったのだろう。気づいたら喫茶店が好きでしょうがなくなっていた。

階段を降り、古めかしいガラス扉を開けると、目の前には厨房があり、老夫婦二人が出迎えてくれた。奥の席に座り、なんとなしに店内を見回す。木彫りの人形、ガラスの鳥、ブロンズの牛、おまけに陶器でできたスニーカーまで飾られている。今日の定食は、麦とろ定食と鶏肉の酒蒸し定食。この二品を見ているだけでもここが洒落た純喫茶とは到底思えない。しかしこここそが真性の純喫茶、純喫茶中の純喫茶。まさに純喫茶のキングオブキングス。この一見、何のこだわりもないような雑多性こそが純喫茶の懐の深さであり、我々が純喫茶に魅力を感じる大きな理由のひとつなのである。と、何か大きなものを代弁したような気持になってしまっているが、少なくとも私にとってはそうなのである。

麦とろ定食を注文する。私はとろろが好きなのだ。今の今まで、まさかこんなところで、とろろにありつけるとは思っていなかった。
思っていなかったのに、ありつける。意外性が演出する喜びの倍々ゲーム。なんて素晴らしいのか。

あとから入ってきた常連らしき老人に、店主が声をかける。

「今日も酒蒸しでいいよね」

今日も、ということは昨日も食べたのだろうか。

「ああ? いいわけねえだろ! 二日連続で酒蒸しは流石にねえぞ。とろろだよ! と・ろ・ろ!」

当然、老人は激高した。



とはならなかった。

「もちろん!」

老人はにこやかに答えた。

阿吽の呼吸である。あまりに阿吽すぎてちょっと怖くなった。
私の人生に二日連続で酒蒸しを食う日はいつか訪れるだろうか。おそらく訪れない気がする。
運ばれてきたとろろ定食を見て、再度驚いた。いちいち驚いていてはまるで馬鹿の態であるが、しょうがない。私は驚いた。
とろろ、飯、みそ汁、刺身、果物。
刺身!
正直、ここまでの和食は想定していなかった。嬉しすぎる誤算だ。醤油にわさび。とろろ飯。この定食にアイスコーヒーを合わせる。
階段を降りて扉を開けるまで、まさかこんな世界が地下に広がっているとは想像もできなかった。これが純喫茶巡りの醍醐味である。予定調和を崩してくれることに感謝する。
結局、最後まで何だったのか分からない果物を食べてフィニッシュした。また来よう。神楽坂を訪れる理由ができた。
 
かもめブックスに着いて、とりあえず奥のギャラリーへ行く。たまたま誰もいなかったので、おのれの文章を改めて読んだ。何遍読めば気が済むのか知らないが、私は読む。ここ直したいなあ、とか当然思う。しかしそれを直したら何かのバランスが崩れることもある。ありきたりなことを書いちゃったかなあとか思う。しかし、人間の生活はありきたりである。ありきたりの中に機微を見つけるのが私の仕事だ。文章も歌も、一緒だ。
書店に併設されたカッフェでコーヒーを飲む。目の前の道路を絶えず人が往来している。この人たちひとりひとりに帰る場所があるのだなあとぼんやり思う。これもまたありきたりな感情である。
しかしここからがシンガーソングライターの仕事である。
歌を書きたまえ。そして高らかに歌うがよい。

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