野球少年
「俺、野球にだけは嘘つきたくねえから!」
夕暮れ間近のJR横浜線の車内、彼はそう叫んだ。
当時、僕は大学1年生で上京したばかり、東急田園都市線青葉台駅の陰気な学生寮に住み、幼少の頃に何度か親に連れて行ってもらっていた桜木町のランドマークタワーに行くことが唯一のオシャレだと思っていた。
その時も桜木町に向かう途中だったが、彼がそう叫んだ時、ヘッドフォンをして、結構大きめの音で音楽を聴いていたにもかかわらず、思わず声のする方に目をやってしまった。
それくらい大きな声だったのだ。
他の乗客たちも同様だったようで、車内は、静まり返り、時が止まったようになった。
一瞬の静寂の後、クスクスと彼の事を馬鹿にする様な笑いが至る所から聞こえてきた。
実際、僕も笑いはしなかったものの、何故か自分の事の様に恥ずかしく、俯くことしかできなかった。
彼は何でそんなことを叫んだのだろう。
彼の周りにいた友達が野球の事で彼をなじり、からかった末の発言だったようだが、彼の友達も彼がそんなにも野球について真摯に向き合っていたとは思ってもいなかった様で、面を食らっている様だった。
とにかく、夕暮れの西日が射しこむ車内に、あまりにも青臭いその叫びが、たまらなく恥ずかしかった。
自分の一番触れられたくないところをぐちゃぐちゃにかき回されたような気がした。
彼は今どうしているだろうか。
日に焼けた顔にするどく剃った眉毛をした何処にでもいそうな野球少年だった。
何かの拍子にあの時の情景を思い出す時があるけれども、それで何か勇気づけられたりということは皆無である。
思い出すたびにやっぱりとても恥ずかしい気持ちになってしまう。
青臭さを通り過ぎて、イカ臭かったからだと思う。
「俺、音楽にだけは嘘つきたくねえから!」
とは、一生言わないだろう。
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