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品品喫茶譚第47回『某所 並木通りの喫茶店から家の近くの喫茶店』

一月五日ともなると、街はすでに動き出しており、そこここに貼られた謹賀新年や迎春の文字もやや落ち着いたものとなる。昼過ぎにホホホ座と善行堂に新年のあいさつを兼ねて行くことにした。
ホホホ座に着くと、店主の山下さんが黙々と品出しをしていたので、いま展示スペースに古本はんのきが出品している映画のパンフレットを漁ってしばし時を過ごした。そこで見つけた侯孝賢『童年往時』のパンフレットと河出書房の雑誌スピンの第二号をつまんで、山下さんに挨拶する。
山下さんはいつも私をいじってくるが、今回は私のことを終始脇役専門の役者という設定にしてきた。映画のパンフレットを購ったこともあって、やっぱり役者だから映画のパンフレットですね、とか言われながらもにゃもにゃ雑談し、会計を済ませて店を出た。
次は善行堂である。私はホホホ座から善行堂に向かうとき、住宅地を通っていくのが好きである(私の方角からだとホホホ座の方が善行堂より遠いので、ホホホ座に先に行くことが多い)。
途中にかなり昔の洋風建築の医院があって、そこを通るたびに横溝的だなあと思うのである。私は古い洋風建築を見るといつも横溝的(いまさらながら説明すると横溝的とは横溝正史の小説世界に出てきそうの意)だなあと思うのだが、京都にはこういう建物が何か所かある。最近では盛岡に横溝的な建物が多いことを知った。
結果から言うと善行堂は休みだった。というか新年の営業開始日は六日とSNSでインフォしてくださっていたのに、勝手に早合点し、五日に訪れたというわけである。おっちょこちょいだなあ。

さて、次はいつも作業をしに行く喫茶店に新年一発目として行こうと思った。
一軒目の並木通りにある喫茶店は最近昼間に行くと結構混んでいて待つこともあり、かなり久しぶりの来店になった。今日は運よく窓際の四人掛けまで空いていたので、ゆっくりしようと思った。
ランチメニューもまだいける時間帯だったため、先ほど昼ご飯を食べてきた身でありながら、私はスパゲッティランチを頼んじゃおうかな、などと夢想した。と、すぐに、この店で唯一空回りがちな男性店員(拙著『品品喫茶譚』「某所 並木通の喫茶店」参照のこと)が注文を取りにき、焦った私はとっさにアメリカンを、と言ってしまい、ペスカトーレは夢に消えた。書きながらいまゆっくり考えてみると別にこのことに関しては特に店員さんに非があったわけではない。というか、頼みたかったら頼めばいいだけなのである。当たり前だ。何を焦ることがあるのか、と思う。しかし、いつもはこんなに早く注文をとりに来ないのである。新年だったからか、たまたまお客の回転が良かったのか、とにかくあと一、二分くれたら私はスパゲッティランチにしていただろう。
アメリカンを飲みながら先ほど手に入れた本をパラパラやり、ノートパソコンで文章でも書こうかと鞄から取り出した矢先に、入口の方で老人たちが並んでいるのが見えた。店内ではほかにも四人掛けをひとりで使っているお客が何人もいる。しかし彼らは入口のほうには一向に気づいておらず、文庫本を読んだり、黙々と食事したりしている。流石にここは私が長居するのは迷惑だろうと思った。出したばかりのノートパソコンをちゃちゃっとしまい、足早に店を出た。

次に向かったのは、家の近くのカフェである(再度、拙著『品品喫茶譚』「某所 家の近くの喫茶店」参照のこと)。
二〇二三年になっても、いつもこのカフェで会う死神博士みたいな老人はやっぱりいつもの席で書き物をしていて安心した。僕も来ましたよ、と横目でちらりと老人を見やりながら席に着くけど、老人はそんなことは全く意に介さずに黙々と書き物をしている。いつも一体何を書いているのだろう。
珈琲を頼み、ノートパソコンを開く。
去年からずっと書き続けている文章がある。それは自分にとって本当に初めての試みで、ままならないし、全然思ったようにならないけど、今年こそは形にしたいと思ってずっと取り組んでいる。
店内では正月のあのいつもの琴の音が鳴り続けているけど、イヤフォンをし、集中する。
二時間くらい経っただろうか、ふと顔を上げると、老人はすでにいなくなっており、代わりに懸賞生活が始まって数か月経ったときのなすび、みたいな男性が座っていた。たまに近くで見かける人だ。ここに珈琲を飲みに来る姿を見たのは初めてだ。
そこからまた二時間。数か月後のなすびはいなくなり、そこには元気が出るテレビでたけしが着ていたような柄のセーターを着た薄い顔のおっさんが座っていた。周りは何度入れ替わっても、大学生の男女などが多いのに、あそこだけこの店随一の面白席になってしまっている。観察し甲斐がありすぎるが、おそらく誰も気づいていない。
ていうか、私は一体何時間ここに居座り続けるのか。結果を言うと、私は五、六時間、ここで文章を書いていた。一番迷惑なのは間違いなく私である。ていうか、おっさんたちは面白いだけで別に迷惑ではない。勘違いしてはいけない。
店を出ると、すっかり夜の帳が降りている。
ポストを開けると、少し遅めの年賀状が二通届いていた。
今年も一年よろしくお願いします。

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